Check our Terms and Privacy Policy.

人類へ『気ヅキの視ゲキ』を与える雑誌「THE RACE」創刊プロジェクト

2022年の今を生きる偉人たちの言葉を100年後の2122年の人類へ遺す為、また、改めて現代の時間をともに生きる我々が同じ時代を共に生きる偉人たちの言葉や視点を見聞することで新鮮な刺激と学びを得るために【THE RACE】(意味:the human race=人類)という雑誌を創刊いたします。

現在の支援総額

2,978,729

297%

目標金額は1,000,000円

支援者数

221

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/05/19に募集を開始し、 221人の支援により 2,978,729円の資金を集め、 2022/08/06に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

人類へ『気ヅキの視ゲキ』を与える雑誌「THE RACE」創刊プロジェクト

現在の支援総額

2,978,729

297%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数221

このプロジェクトは、2022/05/19に募集を開始し、 221人の支援により 2,978,729円の資金を集め、 2022/08/06に募集を終了しました

2022年の今を生きる偉人たちの言葉を100年後の2122年の人類へ遺す為、また、改めて現代の時間をともに生きる我々が同じ時代を共に生きる偉人たちの言葉や視点を見聞することで新鮮な刺激と学びを得るために【THE RACE】(意味:the human race=人類)という雑誌を創刊いたします。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

私自身(山口豪志)の話になってしまいますが、私は昆虫博士になりたい少年でした。そして、その気持ちをもったまま、21歳まで大きくなりました。大学も研究室も卒業研究の内容も、全て昆虫博士になる為に選んだ進路でした。ただ、その道を途中で辞めて、私はビジネスの世界に来ました。理由はシンプルに、お金の問題です。一家の大黒柱である親父が亡くなり、理系の大学院(マスター2年、ドクター3年)の5年間を経て独力で研究者になる自信も、それ以降の仕事の見通しも立たなかったからです。私自身の21歳以降の歩みはこのアナザーライフというメディアに詳しく語っています。(30歳の頃のインタビュー記事)昆虫博士になるやつを応援するのが僕の夢。虫採り少年と、父の死と、ベンチャーと。結局、幼心に抱いた昆虫博士になる、という幼少期からの夢は叶いませんでした。ただ、違う形で昆虫研究や自然との向き合い方ができる面白い環境に今います。現在は投資家であり、事業家であり、今回は雑誌の発行人として関われています。そういう、一見関係なさそうな、当初は想像も付かないような人生の歩みをしてこれたことを今振り返ると、少しの気恥ずかしさと半生での数多くの苦労に裏打ちされた多少なりともある自信とで神様がいるならば、その神様に感謝したい、面白い人生のストーリーを用意してくれたんだなってぼんやりと温かい気持ちになります。雑誌『THE RACE』の紙面上での記事のイメージと情報量を知ってもらうため、全文公開してる唯一の記事は、こちらの昆虫を愛してやまないお二人の対談です。おふたりの年齢差は約50歳もあるのに、とってもフラットな対談となりました。そして、ご両人の昆虫に対してのピュアさと情熱、直向きさに私は取材途中に涙ぐむほどに感動しました。昆虫好きに悪い人はいませんね(笑)無限の虫たちの世界から100年後の地球が見えてくる 昆虫写真家 海野和男氏×昆虫標本作家 福井敬貴氏人生は、色んな経験や実績が振り返るとつながって線になっている。本当に “connecting the dots” だな、と。スティーブ・ジョブスは、本当に良いこと言いますねwスティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年


thumbnail

2018年の夏頃、投資先の起業家が私に私が好きそうなアートがあるから、と浅草橋の近くにあるギャラリーへ連れ立って行ったのが、最初の出会いだった。池内務さんは、日本の現代アートを90年代から牽引する、レジェンド的な人だった(らしいのだが、)なんの知識も事前情報もないままに、ガタイの良い方だな、良い意味でクセが強い、酒も強い、ゴツゴツした漢っぽい人だなという印象だった。その池内さんとの出会いが、もう、4年も前になる。その際に、投資先の起業家が私が好きそう!と言っていた作品、昆虫の自在置物の作者こそ、満田晴穂さんだった。彼の生み出す昆虫たちは、生きているようであり、また、イキイキとした体つきは本当に神技で、私のような昆虫マニアは釘付けになった。さまざまな作品を、チャンスがあれば買い集めてきて、コレクターになってしまってはや4年。満田さんは、どんどん有名になり、TV番組でも何度も出られてて、すっかり平成・令和の自在置物師、金工作家としてのポジションを確立された。東京交差点 #115「自在置物」 -自在置物作家・満田晴穂【超困難】「メタルクワガタ」の作り方。自在置物作家・満田晴穂 How to make the metal stag beetleおそらく、100年後もこのカテゴリの芸術品を江戸から明治、現代という時間の推移の中で間違いなく彼の偉業は美術史に残り、また、語り継がれる事になる。それだけのことを成した満田さん、それを世に出した池内さん、お二人の対談が、今回の雑誌で叶ったことが、とても嬉しいし誇らしい。全文は雑誌内の記事のみでしか読めないが、その一部をWEBメディア『THE RACE』でも読めるので、ぜひ、ご覧いただきたい。「100年後のやつらざまあみろ、俺たちの時代はこんなに楽しかったんだ(笑)」 自在置物作家 満田晴穂×美術商 池内務 対談


thumbnail

昨日この雑誌の創刊についてのお話を公開できて、まず、そのことがとても嬉しいです。この雑誌のプロジェクトは、ちょうど1年ほど前に本構想があり、まわりの関係者へ一人一人お話をさせていただいて、徐々に始まりました。100年後に、現代の偉人の姿や言葉を遺すということは、そもそも、個人的な趣味として古美術のコレクションをするようになったことから、あることに気付いたことがきっかけで、このプロジェクトをやりたいという気持ちが大きくなったのでした。その気付いたこととはその時代、時代に活躍した偉人であっても没後のあとの100年ではすっかり忘れ去られてしまうということを知ったのです。まずは『百聞は一見にしかず』で、この絵を観てください。この絵は、渡辺省亭という、その当時の圧倒的に有名な画家の作品です。渡辺省亭wikipedia彼がどれほど著名だったかは、wikipediaを確認いただければと思いますが、このような絵は、世界初の『遠近法を使った日本画』なのです。そして、彼は『ウクライナの踊り子たち』で有名な画家ドガ氏に日本画を教えたという逸話も残っています。ドガも魅了した画家・渡辺省亭。国内美術館で初の回顧展が東京藝術大学大学美術館で開幕そんな当時は圧倒的な偉人であっても、100年の間にスッカリ忘れ去られてしまいました。彼が残らなかった大きな理由はこの2つだと思う。・弟子を取らなかった(画壇を離れて、孤高の天才だった)・御子息が後を継がなかった(詩人となり、画家にはならなかった)これは、現在の偉人の方々にも言えるのではないかと思っています。原丈人さんはじめ、今回取り上げる方々は少なからず、この2つが無いと没後にあっという間に忘れ去られてしまうのだな、と。雑誌を作り、リアルの紙媒体として、物理的に遺す。そして、コンテンツの一部はWEBで公開する展開も行い、情報を拡げていくことにこのWEBメディアを活用したいと思っています。THE RACE webサイト雑誌の創刊の前に、どんな話が載るのか、また、どういう方を取り上げてその話題が展開するのか、ということをこのメディアで覗いてもらえたら、と思います。ぜひご覧ください!どうぞよろしくお願いいたします。