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愛媛・宇和の酒蔵の麹室を改修して幻の日本酒「大和楽」を復刻させたい!

愛媛・宇和で110年以上続く酒蔵で20年以上前に数年間だけ造られた幻の純米吟醸酒「大和楽」。仏教詩人の坂村真民も愛した口当たりが柔らかく深い味わいの純米吟醸酒でした。酒蔵の老朽化と造り手が足らず幻となった日本酒をもう一度復活させるために「麹室」を改修して高品質のお酒を全国にお届けしたい!

現在の支援総額

700,000

140%

目標金額は500,000円

支援者数

74

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/06/26に募集を開始し、 74人の支援により 700,000円の資金を集め、 2022/07/30に募集を終了しました

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愛媛・宇和の酒蔵の麹室を改修して幻の日本酒「大和楽」を復刻させたい!

現在の支援総額

700,000

140%達成

終了

目標金額500,000

支援者数74

このプロジェクトは、2022/06/26に募集を開始し、 74人の支援により 700,000円の資金を集め、 2022/07/30に募集を終了しました

愛媛・宇和で110年以上続く酒蔵で20年以上前に数年間だけ造られた幻の純米吟醸酒「大和楽」。仏教詩人の坂村真民も愛した口当たりが柔らかく深い味わいの純米吟醸酒でした。酒蔵の老朽化と造り手が足らず幻となった日本酒をもう一度復活させるために「麹室」を改修して高品質のお酒を全国にお届けしたい!

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千鳥 の付いた活動報告

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ここまで応援していただいた皆様、本当にありがとうございます!ついに明日でクラウドファンディング終了となります。ずぼらな私が活動報告を頻繁に更新して、SNSにシェアをして、いいね!の数もだんだん減って来ていたりと結構精神的にもつらい部分もありました(笑)それでも、ご支援いただいた皆様のお力添えがあきらめずに頑張る気持ちを保たせていただきました。誠にありがとうございました!!活動報告も残すところあと少ししか書けませんが、今日は昨日の予告通り日本酒の話にしようと思います。今現状のうちのお酒ですが、実は宇和産のコシヒカリを農家さんから直接仕入れて、自家精米で磨いております。自家精米なので、精米機も小さく能力的にも精米歩合は80%までが限界という事もあるので、高精白のお酒ではなく、田舎の地酒というような造りに敢えてしているところであります。こうした低精白の日本酒は、私個人としてはいろんな味がして、いわゆる「表情豊か」な味わいで料理との相性もとても良いので好きなのですが、やはり好みの分かれる酒でもありますね。今回復刻させる「大和楽」は、以前にも書きましたが、旨味とやわらかい酒質になるしずく媛を使用する事で宇和の軟水の口当たりの良さを残せる事、米の旨味を最大限に表現するために精米歩合は60%の特別純米酒でご提案しようと考えております。まだラベルのデザインも決まっていない「大和楽」なので、クラウドファンディングが終わってからもやる事はたくさんありますが、引き続き温かい目で見守っていただけますと幸甚でございます。最後の一日も前向きな姿勢で頑張って行こうと思います!!


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トップ画像にする写真があまりなくなって来ました(笑)さて終了まであと5日となりましたが、なんと!昨日(7月24日)20:30から市川うららFM83.0MHzで放送された【King&Presidentの二刀流で行こう!】でこのクラウドファンディングの事をご紹介いただきました!!King&Presidentの八木さんにはいつも色々な事でお世話になっていて、大変恩のある方です!また、八木さんだけでなく、他にも多くの方々にご協力いただけている事に本当に感謝しております。皆さんの協力あっての事業だということを今一度自覚して、残りの5日間も頑張ります!!


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活動報告、もう書く事ないよ!なんて事はおしゃべりの僕には全然無く(笑)今日も懲りずに書いていきます!クラウドファンディング終了まであと8日です!最後の最後まで発信し続けます!今日は、宇都宮酒造の歴史について簡単にですが触れて行きたいと思います。宇都宮酒造株式会社は、今から112年前の明治43年(1910年)に野村町で誕生しましたが、創業すぐに宇和町鬼窪(現:卯之町)に移転し、酒造りを開始しました。当時、宇和町には造り酒屋が30軒以上あったとも言われており、実はうちの奥の蔵は近所で辞めようとしていた蔵元から譲ってもらったとの事です(蔵の下に車輪だとか丸太だとかを敷いて、人の手で引っ張って来たそうです!すごい!!)。創業者の宇都宮 寅治は田舎相撲の力士で四股名が「千鳥」であったと言われています。実は、酒の銘柄「千鳥」はこの名と、鬼窪の湿地が千鳥群れ飛ぶ地であったという二つの由来があります。二代目の宇都宮 俊六は昭和10年に蔵元となるのですが、就任後わずか2年で41歳の時に病気になり他界、当時18歳であった宇都宮 園行が三代目蔵元として継承しました。この三代目体制の時は、とにかく勢いがあったようで、南予では「千鳥」を知らない人はいないのではないかというくらい有名になり(実際、松山の人でも、話した時に千鳥を知っている人もいました。)また三代目の園行は5町合併前の宇和町会議員を務めたりなどして親分肌の人だったようです。今でも、近くの居酒屋などで飲んでいる時にご一緒したご年配の方から「園行さんは俺たちの親分だった」と言われるくらいカリスマ的な人だったようです。四代目の宇都宮 繁明は、婿養子として宇都宮酒造の跡を継ぎ、坂村真民先生との関係性の中で今の「千鳥」の題字を揮毫いただいたり、赤色酵母を使ったピンク色の清酒を開発し、そのお酒がまるで花のような色をしているという事から司馬遼太郎先生に直筆の手紙を送り小説「花神」の名をいただくなどオーナー杜氏として商品開発に注力をしました。ここで気づきましたが、最初の一行目の書き出しの文が笑えるくらい書いてますね(笑)まだまだ書けるのですが、今日はこの辺にしておきます!引き続き頑張りますので応援お願いします!!m(_ _)m