活動報告、もう書く事ないよ!
なんて事はおしゃべりの僕には全然無く(笑)今日も懲りずに書いていきます!
クラウドファンディング終了まであと8日です!
最後の最後まで発信し続けます!
今日は、宇都宮酒造の歴史について簡単にですが触れて行きたいと思います。
宇都宮酒造株式会社は、今から112年前の明治43年(1910年)に野村町で誕生しましたが、創業すぐに宇和町鬼窪(現:卯之町)に移転し、酒造りを開始しました。
当時、宇和町には造り酒屋が30軒以上あったとも言われており、実はうちの奥の蔵は近所で辞めようとしていた蔵元から譲ってもらったとの事です(蔵の下に車輪だとか丸太だとかを敷いて、人の手で引っ張って来たそうです!すごい!!)。
創業者の宇都宮 寅治は田舎相撲の力士で四股名が「千鳥」であったと言われています。
実は、酒の銘柄「千鳥」はこの名と、鬼窪の湿地が千鳥群れ飛ぶ地であったという二つの由来があります。
二代目の宇都宮 俊六は昭和10年に蔵元となるのですが、就任後わずか2年で41歳の時に病気になり他界、当時18歳であった宇都宮 園行が三代目蔵元として継承しました。
この三代目体制の時は、とにかく勢いがあったようで、南予では「千鳥」を知らない人はいないのではないかというくらい有名になり(実際、松山の人でも、話した時に千鳥を知っている人もいました。)また三代目の園行は5町合併前の宇和町会議員を務めたりなどして親分肌の人だったようです。
今でも、近くの居酒屋などで飲んでいる時にご一緒したご年配の方から「園行さんは俺たちの親分だった」と言われるくらいカリスマ的な人だったようです。
四代目の宇都宮 繁明は、婿養子として宇都宮酒造の跡を継ぎ、坂村真民先生との関係性の中で今の「千鳥」の題字を揮毫いただいたり、赤色酵母を使ったピンク色の清酒を開発し、そのお酒がまるで花のような色をしているという事から司馬遼太郎先生に直筆の手紙を送り小説「花神」の名をいただくなどオーナー杜氏として商品開発に注力をしました。
ここで気づきましたが、最初の一行目の書き出しの文が笑えるくらい書いてますね(笑)
まだまだ書けるのですが、今日はこの辺にしておきます!
引き続き頑張りますので応援お願いします!!
m(_ _)m