2022/07/09 10:59

こんにちは。プロジェクト実行委員長の山中です。

 昨日、安倍晋三元内閣総理大臣が奈良市内の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近にて、銃撃され、逝去されました。第26回参議院議員通常選挙の直前、というタイミングであり、衝撃は計り知れません。

「政治家は歴史法廷の被告である」という故・中曽根康弘元首相の有名な言葉が示している通り、その業績が全歴史を通して審判に晒され続けるという大変大きな責任を負っています。安倍元首相の業績も、今後様々な立場から評価、批判が為されていくことでしょう。

 このことは、作曲家もまた例外ではありません。無名だった作曲家が死後、評価されることは珍しくありませんし、その逆も然りです。「何が善いか」は、それを評価する時代や社会の在り方、各々の立場によって異なっていくるので、政治家も作曲家も常に厳しい他者の批評や歴史の審判に晒され続けています。意外に思われるかもしれませんが、人類の歴史の中で不滅の名声を打ち立てているかに見えるバッハでさえ、生前は様々な批判に晒されました。その中には、当時の宗教思想の観点から、人の心を大きく揺さぶる音楽芸術そのものの存在意義を問う批判もありました。現代ではバッハの権威は自明ですが、実は問題そのものとしては現代でも解決着しているとは言えない問題にバッハも直面していたことは忘れてはならないでしょう(念の為、申し上げますが、バッハと安倍元首相の業績を比較しているわけではありません)。多くの人の生死と生活にかかわる政治家であれば、猶更のことだと思います。

 言わずもがなですが、本プロジェクトで採り上げた山田耕筰についても然りです。彼については、様々なことがこれまでにも言われてきましたし、これからも言われ続けるでしょう。しかし、「無かったこと」にしてはいけない、と私は強く思います。過去の文化遺産とどう向き合うか、ということは、現在の私たちを見直すことであり、問われているのは私たち自身だからです。様々な批判はあり得るにせよ、山田の音楽の中に宿っている純粋な喜びは、西洋と日本の出会いの原点であり、参照され続けるべきであると思っていますが、その是非は、勝手に決めることはできません。決めることができるのは、私たち一人一人であり、問われるのも私たち一人一人の心です。

 大変衝撃的な事件でしたが、選挙が公正に行われること、全ての皆様の安全を心よりお祈り申し上げます。

(文責・山中)