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行方不明だった「番場の忠太郎」の銅像が見つかり、地元の米原市番場に移築したい!

1950年代に一世を風靡した「番場の忠太郎」。行方が分からず私たちが長年探していた忠太郎の銅像が見つかり番場に移築し、町の財産として守っていきたいと考えています。

現在の支援総額

605,000

60%

目標金額は1,000,000円

支援者数

41

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/05/28に募集を開始し、 41人の支援により 605,000円の資金を集め、 2022/08/05に募集を終了しました

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現在の支援総額

605,000

60%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数41

このプロジェクトは、2022/05/28に募集を開始し、 41人の支援により 605,000円の資金を集め、 2022/08/05に募集を終了しました

1950年代に一世を風靡した「番場の忠太郎」。行方が分からず私たちが長年探していた忠太郎の銅像が見つかり番場に移築し、町の財産として守っていきたいと考えています。

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はじめに

初めまして。私は番場の「番場史跡顕彰会」の泉峰一と申します。私が住む番場は、江戸時代中山道の宿場町として賑わった滋賀県米原市「番場宿」。

番場と言えば、ご年配の方はご存じだと思いますが「番場の忠太郎」が有名です。私たちが長年探していた忠太郎の銅像が見つかり、番場に移築したく皆さまのご協力をお願いしたいと思っています。(番場史蹟顕彰会メンバー)

プロジェクトについて

若い方はご存じない方が多いと思いますが、番場の忠太郎とは1930年作家の長谷川伸さんが発表した「瞼の母」の主人公です。任侠の世界に生きる忠太郎が幼い頃に生き別れとなった母を探して旅をする、親子の絆がテーマの戯曲です。

1950年代には番場の忠太郎主人公の「瞼の母」が映画で大ヒットしテレビドラマ、舞台などで一躍ブームになりました。
50年以上後の2004年、2009年にはオリジナルの「瞼の母」がCDとしてリリースされ、時代が変わっても日本人の心に訴えかける不朽の作品です。

幼くして母と生き別れた無宿の渡世人「番場の忠太郎」。一目でいいから母に会いたい、その思いだけで母を探し求める旅に出ます。
子が親を慕い、親が子を想う心。殺伐とした今だからこそ、もう一度見直す「親と子の絆の物語」です。

「瞼の母」は長谷川伸先生が蓮華寺を訪れたことがきっかけ

作者の長谷川伸先生が中山道番場宿を旅して浄土宗本山蓮華寺を訪れた際、住職より重要文化財でもある南北過去帳を見せていただき、そこには1333年足利尊氏に追われ退路を断たれた北条仲時以下四百三十余名が蓮華寺にて自害したという記録が残されていました。中には14歳、15歳の若者の名も記されていました。
長谷川伸先生は3歳の時に母と別れた自分と、蓮華寺で自害した若者の生き様が重なり、番場の忠太郎が生まれましたという説があります。番場の忠太郎は長谷川伸先生の分身かも知れません。

「瞼の母(番場の忠太郎)」は70年以上も前の作品が今での受け継がれている、古臭いように見えますが日本人である私たちに脈々と流れる普遍的な愛なのかもしれません。

番場の忠太郎の銅像が建てられていました。

時期は不明ですが米原市の国道21号線沿いに番場の忠太郎を信望されていた方が「忠太郎食堂」という名前のレストランがあり、道路脇に「番場の忠太郎の銅像」(米原市樋口西交差点付近)が建てられていました。(忠太郎食堂にあった銅像)(食堂跡地、銅像もどこかへ)

食堂の閉店とともに銅像もなくなりました。

人のうわさを頼りに何年も探していましたが今年3月、ついに見つけました!長浜市にお住いのファンの方のお庭に移築されていらっしゃいました。私たちの忠太郎に対する情熱、番場での忠太郎まつりの活動などをお話し、私たちの想いを汲み取っていただきお譲りいただけることになりました。

忠太郎銅像の移築には譲り受ける代金の他にも、台座の作成費、運搬費も必要です。そしてこの機会に番場の忠太郎記念室を整備したいと考えています。

忠太郎地蔵は1958年(昭和33年)長谷川伸先生の「親子の絆を後世に伝えたい」というご意思のもと「忠太郎地蔵尊」を米原市番場の蓮華寺に建立しました。

コロナ禍で2年間中止していた私たちにとって大事な行事です。このお祭りに忠太郎銅像の設置は間に合いませんが、このプロジェクトで私たちの悲願が叶えばと頑張りたいと思います。

この2つの忠太郎を番場のシンボルにし“親子の絆”を全国に伝えていきたいと思います。

最後に米原市番場をご紹介いたします。

〇 番場宿
米原市番場は江戸時代「中山道・番場宿」として栄えました。歌川広重の「木曾海道六十九次」の一つとして番場宿が今に伝えられています。(広重作:番場宿)  (現在の番場)

〇 鎌刃城跡
鎌刃城は湖北と湖南をつなぐ要所として、戦国時代には北近江の京極氏・浅井氏と南近江の六角氏が領有をめぐって争った城です。2017年には続日本100名城に指定されました。(主郭虎口)

〇 蓮華寺

番場には聖徳太子が建立した(当時は法隆寺と称された)浄土宗本山の蓮華寺があります。
1333年、南北朝時代、足利尊氏に攻められた六波羅探題の北条仲時らは東国に落ち延びる際、佐々木道誉に塞がれ、ここ蓮華寺で430余名が自刃しました。その後歴史は室町時代に向かうこととなります。(蓮華寺本堂)

(花園天皇から菊の御紋を頂いた勅使門)(供養塔)

◆リターン品のご紹介

・番場の忠太郎のキャラクターシール、缶バッチ
・番場の忠太郎のご朱印状
・番場の忠太郎銅像の除幕式出席
・蓮華寺い保管の重要文化財・陸波羅南北過去帳(複製)の拝観などをご用意しました。

(資金の使い道)

・銅像の購入  500,000円
・運搬・設置費 100,000円
・台座設営費  400,000円
・忠太郎記念館整備費 1,000,000円
・手数料・雑費 200,000円/計2,200,000円の一部として使用いたします。

(実施スケジュール)

8月 忠太郎銅像の引取り
10月 台座制作
12月 忠太郎銅像の設営
2023年3月 忠太郎記念館整備

(最後に)

これを機に全国の皆様にもう一度番場の忠太郎を思い起こしていただき足を運んでいただけるように頑張って活動してまいります。よろしく応援お願いします。


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

最新の活動報告

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  • 1950年代に映画「瞼の母」の大ヒットで一世を風靡した「番場の忠太郎」の物語発祥の地といわれる米原市番場では、長年行方不明となっていた「番場の忠太郎銅像」が見つかり、たくさんのご支援のお陰で令和5年3月に故郷である番場地先に建立することができました。 番場の忠太郎銅像の建立を記念するとともに、戯曲「瞼の母」の作者である長谷川伸の没後60年、忠太郎地蔵建立65周年を記念して、「第1回 全国番場の忠太郎歌合戦」を開催し、瞼の母の故郷の地・番場を盛り上げたいと思います。第1回 全国番場の忠太郎歌合戦 開催日:令和5年7月23日(日曜日)13:30~16:00開催場所:蓮華寺研修道場(滋賀県米原市番場511)出場条件:番場の忠太郎にまつわる歌を歌うこと。例)番場の忠太郎(歌:氷川きよし)、番場の忠太郎(歌:鏡五郎)  瞼の母(歌:中村美津子)、忠太郎月夜(歌:三波春夫)  瞼の母(歌:三波春夫)、瞼の母(歌:二葉百合子)審査員  松岡弘一氏ほか     ※松岡氏は2019年日本作詞大賞を受賞出場者募集人数:25人出場者募集締切:令和5年7月10日(月曜日)※郵送の際は期日必着応募方法:住所、氏名、電話番号、歌う曲名・歌手を記載して申込先あてにメールまたはFAX、郵送により申し込みください。※現地までの交通費はご負担お願いします。 申込先:番場史跡顕彰会     〒521-0025 滋賀県米原市番場1982     メール:mine-izu@mx.bw.dream.jp FAX:0749-54-2101たくさんのご参加お待ちしています。番場史跡顕彰会 泉峰一 もっと見る

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