はじめに・ご挨拶
『砦草』は幕末期に原昌克によって書かれた漢方の医学書です。内容的には、長期の出陣の際に、一時的に無医の状態となった場合に備えて書かれたものですが、明治時代初期に政府によって漢方医学が医学から除外されたため約150年間秘蔵されていました。今回、これを翻刻し、現代文で出版することを目的にしています。
なお、このチームの中心は千葉大学医学部教授の並木先生で、この他にも千葉大学文学部教授の内山直樹先生、帝京平成大学薬学部准教授の鈴木達彦先生、千葉大学医学部准教授の平崎能郎先生、千葉大学医学部非常勤講師平地治美先生、元千葉大学非常勤講師の丸井敬司先生が参加しているプロジェクトです。お名前・画像の記載について了承いただいたうえでご案内しております。
このプロジェクトで実現したいこと
『砦草』は幕末期に水戸藩の藩医である原昌克によって書かれた漢方の医学書です。
本来、同書は、長期の出陣の際に、一時的に無医の状態となった場合や非常時の応急処理などを応急処理するために書かれたもので、その内容は古文書と漢文で書かれています。このため、これまで、その解読ができなかったのですが、今回、古文書と漢文、更に漢方医学の専門家が協力することで、同書の解読が実現したのです。
この本が解読された結果、同書は、江戸時代だけではなく、現代医学にも汎用性の高いものであることが分かりました。このため、『砦草』の現代語訳は速やかに行われる必要を感じましたが、この現代版の出版には、経費がかかり、今日まで、出版までには至っていません。
予定では、本のサイズはA5、120ページ余で、定価は、1,500円程度と考えています。このため郵送代を含めて、一口、1,800円をクラウドファンディングで募集いたします。私たちの趣旨に賛同して資金を提供される皆様には、本が発行され次第、一口、一冊をお送りさせていただきます。
これまでの活動
千葉大学医学部では戦前より古医書の収集が行われ、同時に目録作りが始まりましたが、これらの古医学書は、医学部の附属図書館に移され、昭和56年には『目録予備版』ができました。更に平成5年より本格的に目録作りが始まり、平成19年3月31日に古医書の目録である『古医書コレクション目録』が完成し、附属図書館より刊行されました。
実施のきっかけ
これを受けて平成20年、千葉市立郷土博物館で「千葉市の医学と医療」という特別展が開催されましたが、同時に、千葉大学医学部和漢診療科の中から古医学書の翻刻の機運が高まったことが今回の『砦草』の発刊に繋がっていったのです。
資金の使い道について
(本の制作費)
印刷費 500,000円
人件費 530,000円
広告費 200,000円
CAMPFIRE掲載手数料・決済手数料:約270,000円
計 1,500,000円(1,500円×1,000冊)
返送郵送料 300,000円(1,000冊×300円)
合計 1,800,000円
リターンについて
出版される本はA5、120ページのもので、リターンは1口当たり一冊を予定しています。
出版社は弊社:合同会社ミナクルライトです。また、表紙などのレイアウトは弊社内にて作成しております。
出版予定の『砦草』
実施スケジュール
現在、最輯的な校正を行っており、5月中には校了し、5月末には出版する予定。
メッセージ
『砦草』現代版の出版により、小中学生の課外活動や登山など事故、災害時の応急対応などに身近なものを利用した効果的な初期手当が広く行われ、多くの方の健やかな日々にお役立ていただければ、これ以上の喜びはありません。
推薦の言葉
※お名前の記載・写真の掲載の了承をいただいております。
(監修者)
千葉大学医学部附属病院 和漢診療科診療教授 並木隆雄
自然災害が多い日本においては、平時では解決できたことが、そのような時に簡単にできなくなることは想像に難い。電気も何もない時に、役立つ知識があったらと思うことは、あるかもしれない。電気もない江戸時代に書かれた戦時(非常事態)の対応マニュアルがこの『砦草』である。
実は津波の時に助かっても、あとで起こる災難は、ものにひっかかれて起こる「破傷風」というのは案外知られていない。このマニュアルには、「釘で足を踏み抜いてしまったとき、(つまり、すぐに抗生物質が手に入らないとき)どうするか」とか「溺れた時はどうするか」などの対応が書かれている。また、卑近な例では、「喉に魚の骨が刺さった時」など平時でも役立つ知恵が書かれている。目からうろこの本である。
今回、平易な言葉に初めて訳され、専門家の解説もついた本が完成した。太古からの日本人の知恵の復活とその普及に期待したい。
元自衛隊衛生学校長 後藤達彦
ミサイルが飛び、ドローンが爆弾を落とす現代の戦場に江戸時代に戦傷病の予防治療のために書かれた書物が何の役に立つのか思う人も多いかもしれません。しかし、「温故知新」の言葉もあるように物事の本質を考えるためには先人の書いた書物を読むことが実は早道であることを実感させてくれるのがこの本です。
原著者の原南陽は有名な漢方医ですが、戦場では医師は当然いるので銃創などは医師に任せて素人が手を出してはいけないと述べています。しかし戦の流れで医師を伴わずに行動中に負傷した時、自らそして仲間を助けるために本書を書いたと著述の動機を述べています。その上で漁猟や野遊などの折にも心得ておくべきことでもあると江戸時代の救急救命処置と疾病予防についての記述もあります。
一般の人向けに書かれてはいないとのことですが、当時は医療に限らず専門技術を秘蔵することが多かったためでしょう。本書からはたくさんの示唆を得ることができます。戦に臨む心構え、普段から健康管理に注意すべきこと、野戦や行軍中の危険とその対策、防御のために陣地を選ぶ場合の注意、野原で火に囲まれた場合の対策、毒ガスの対策、水脈の発見法、打撲の対処方、銃創や刀傷の処置、甲冑を装着する場合の注意、船や車酔いの対策、食あたり、足のマメの処置、火傷の処置、溺れた場合の処置、凍傷の処置、気絶、仮死状態、ストレスの対処などなど現代でも起こりうることに当時どのように対処していたかわかる貴重な資料です。
今に振り返って予防、診断、治療の参考となるヒントが得られます。自衛隊ばかりでなく警察、消防、災害救助、その他野外での活動を行うすべての人に参考となるものと考えますのでご一読されることをお薦めします。
私は自衛隊退官前から漢方医学に関心があり、退官後、以前部下であった防衛医大出身の中田英之医師に師事して勉強しました。今回その中田医師を通じて千葉大学和漢診療科並木教授から推薦文のご依頼がありました。
読んで思ったのは、現役の教官時代に本書に出会っていればもう少し良い教育ができたのにということです。今この治療を行うのは、過去に先人が行った治療の改善の上に行われているわけですから、そのことを理解して学生にもこの内容が理解できるような教育を行えばより質の高い医療人を育成できると考えます。災害や防災の教育にあたる諸氏に読んで欲しい一冊です。
令和4年春
著 者
元千葉市立郷土博物館館長、元千葉大学非常勤講師、文学博士 丸井敬司
私が、千葉大学医学部の並木先生と知り合いとなったのは千葉市文化財団の嘱託をしている時でした。平成21年、私は千葉市立郷土博物館を退職した後、千葉市文化財団の嘱託職員となり、市民文化大学の担当となりましたが、その翌年、市民文化大学で、漢方の講座を実施することになりました。その時、講師としてお招きしたのが、医学部の並木先生でした。
さて、私は以前から漢方に興味があり、千葉大学附属図書館別館に多数の漢方の医学書が所蔵されていることを知り、平成19年に、この目録である『古医書コレクション』が刊行された事を知って古医学書の展示会を行う計画を立て、翌20年に「千葉市の医学と医療」という特別展を開催しました。
この時の千葉大学医学部和漢診療学の教授は寺崎先生で、特別展の開催には寺崎先生には大変お世話になりました。この縁があって翌々年の市民文化大学の漢方の講座を設けることになり、千葉大学に問い合わせたところ寺崎先生が退任されたので、その後任であった並木先生に講師をお願することになりました。
この時の講座は、大変、受講生に評判が良く、我々担当者もホットとしたのですが、講演後、控室で並木先生と平成20年の「千葉市の医学と医療」の特別展のお話や漢方医学について色々とご教示をいただきました。この時、私は、多少の古文書の知識があり、また、古文書を読める友人が多数いることを申し上げたことが、後日、並木先生が『砦草』の原本の翻刻を計画された時、私の名前を思い出したことに繋がったものと思います。
さて、私と『砦草』の原昌克とは不思議な因縁で結ばれています。私が、千葉市立郷土博物館の学芸員の時の主な仕事は、千葉氏の研究でしたが、『砦草』の作者である原昌克は、系図には、武蔵国葛飾郡原村出身(現東京都葛飾区立石町)とされている事から、千葉氏の一族であった原氏と同族であったと思われます。
この一族は、本来、下総国匝瑳郡原郷(現在の千葉県多古町染井字原)を基盤とする桓武平氏出身の武士でした。この一族は、源頼朝の挙兵期には、平家方であった千田親正に属し、千葉氏と戦火を交えました(『源平闘諍録』)が、千田氏滅亡後は、千葉氏に属し、その家臣となりました。
さて、千葉氏は、室町時代末期に起こった本家内部の紛争で、本宗家の千葉介胤直が馬加(千葉)康胤に滅されると、胤直の弟賢胤の子自胤が、太田道灌を頼り、武蔵の赤塚城に逃れて、下総の千葉氏と対立しました。下総の原氏が、武蔵に渡ったのは、この時であったと考えられます(これを「武蔵原氏」という)。
この後、武蔵原氏は、甲斐の武田家の家臣となり、甲斐に移りますが、下総に残った原氏も戦国時代には、その本拠地であった千葉氏の小弓城を足利義明によって攻められると、生き残った一族の一部は甲斐武田家を頼って甲斐に逃れます。恐らく、それを助けたのは、一足先に武田家の家臣となっていた武蔵の原氏である可能性も高いと思われます。
武田氏に仕えた両原氏が知られるようになるのは、信玄の時代で、武蔵原氏の原昌胤と下総原氏の原虎胤は、武田家が信玄の時代には、それぞれ武田24将の一人として活躍します。
さて、両原氏は、武田信玄が亡くなり、その子勝頼の代に武田家が滅亡すると暫くしばらく野に下っていましたが、徳川家康が江戸に幕府を開くと江戸で医師として開業しました。
原氏の子孫が医者となったのは、千葉氏一族の守護神であった「妙見菩薩」の信仰が大きな影響を与えたものと考えています。妙見信仰は、7~8世紀に中国から伝わり、我が国で独自な発展を遂げた宗教で、医学とも密接な関係がしており、特に平安仏教の天台・真言の両宗の密教の修験者によって全国に伝えられました。この修験者が得意としていたのが、医術で、これらの修験者は全国各地の農村に留まり、その地の医療にも従事しました。
この妙見菩薩を守護神としていたのが千葉氏でした。このため千葉の一族は、医術にも深い人物がいたようです。これらの人々は、天正19年(1590)、千葉氏滅亡後、各地の農村に留まり、医療に従事しました。千葉氏滅亡後、千葉県内で、医者となった有名な一族には、茂原市永吉の千葉家があります。現在、千葉大学図書館別館に所蔵されている古医学書の3分の1が、この永吉の千葉家が寄贈した医学書です。
このように千葉氏の一族であった原氏の子孫である原氏が近世になってか医者となったのは、医術の心得があったからであると思われますが、その子孫である原昌克が『砦草』を執筆するに至るのは、当時、昌克が水戸藩の藩医となっており、藩の命令で長期の出陣をする際、医者が不足することを想定したためと思われます。
この内容を読んでみると緊急時の無医の状況の治療だけではなく、平時における不測の場合に備える事という意味を持つものであり、現代の災害時や予想できない非常事態における医療行為などにおいても汎用性の高いものもでもあることが分かってきました。
この『砦草』の内容を読んでみると、数千年に渡る中国の漢方医学や著者である原昌克自身の経験に裏打ちされたもので、飲料水の確保の方法から始まり、犬や蛇など動物に噛まれた場合、刀剣などによる傷、また、不慮の事故対する療法など緊急の手当などが書かれており、江戸時代版サバイバル教本と言ってよいものです。
しかし、内容が、古文書で書かれており、これを読み解いて理解するには、近世の古文書、漢文、漢方医療の三部門の知識が必要でした。このため、これまで、同書を読み、それに従って直接、医療行為をするには、かなり困難な事でした。しかし、今回、この三部門の専門家が集まることが並木先生のご尽力で可能となったことによって『砦草』の原本の翻訳が可能となり、7年の歳月をかけてようやく全文の解読に成功し、現代語版にすることに成功しました。
この成果を、同書の翻訳出版に繋ぐことができれば、この内容を広く医療に携わる人々が、平易に読み、理解して、非常時の医療にも役立つ事になると思います。是非、多くの児童や生徒を引率し、林間学習などに携わる先生方や山登りにおける事故、災害時の緊急な手当など緊急医療、災害などに携わる救助隊員の皆さんだけではなく、我々自身も緊急時の手当の方法として役に立つものとしてクラウドファンディングにご応募をお願いしたいと思います。
著 者
内山直樹、鈴木達彦、平崎能郎、平地治美
このたび医学・歴史・思想の各分野の専門家が協力して、江戸時代の軍陣医学の名著『砦草』を翻刻・現代語訳することになりました。『砦草』は、主に戦場で医師や薬品の備えが十分でない場合の、応急措置の方法を記したものですが、それに加えて、血気にはやらないこと、平常心を保ち慎重であるべきこと、樽酒を飲んだり生肉を食らったりして豪傑ぶっていると、かえって肝腎の時に働けないことなど、心身の管理に細かく意を砕いた記述が多く、一種の養生論としても読むことができます。ぜひ多くの方に手に取っていただきたいと思います。それぞれの関心に応じ、きっと得るところがあるに違いありません。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
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2022/07/10 19:00こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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