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ドクメンタ15でアーティスト栗林隆の展示を成功させたい!

ドイツ・カッセルにて、1955年以来、5年に1度行われてきた現代アートの国際展ドクメンタに、今回日本から唯一招聘されている「CINEMA CARAVAN & TAKASHI KURIBAYASHI」のうち、アーティストである栗林隆のプロジェクト「元気炉」を設営・運営するための現地活動資金の募集です。

現在の支援総額

5,171,000

114%

目標金額は4,500,000円

支援者数

252

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/06/13に募集を開始し、 252人の支援により 5,171,000円の資金を集め、 2022/07/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

5,171,000

114%達成

終了

目標金額4,500,000

支援者数252

このプロジェクトは、2022/06/13に募集を開始し、 252人の支援により 5,171,000円の資金を集め、 2022/07/31に募集を終了しました

ドイツ・カッセルにて、1955年以来、5年に1度行われてきた現代アートの国際展ドクメンタに、今回日本から唯一招聘されている「CINEMA CARAVAN & TAKASHI KURIBAYASHI」のうち、アーティストである栗林隆のプロジェクト「元気炉」を設営・運営するための現地活動資金の募集です。

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当初目標額100%達成しました!ありがとうございます!!

みなさんの暖かく、熱いご支援のおかげで、7月27日夜に当初目標額を達成致しました!一時は遠い目標かとも感じていただけに、栗林さん、一般社団法人 something like this の一同、感無量です!ありがとうございました!

一方で、ウクライナ情勢やコロナ環境下によって、当初想定より資材費が高騰し、移動コストも上昇しており(日本からすると円安の影響も)、ドクメンタ15での展示をより良いものにするためには、引き続きご支援の呼びかけをさせていただきたいと思っております。

本クラウドファンディングは、7/31(日)の23:59までとなっておりますので、残りわずかな日数ですが最後まで走り抜けたいと思います!ご支援いただいたみなさんにもぜひ拡散のご協力を賜りたく、引き続き宜しくお願い申し上げます!

ドクメンタ15開催、現地における最初の元気炉制作 (Aue Park)

 

はじめに・ご挨拶 (以下、当初文面)

みなさん、はじめまして、一般社団法人 something like this (サムシング・ライク・ディス)です。 当法人は、本年3月に、アーティスト、キュレーター、批評家が国内外で活躍するための支援を行い、アートと多様な領域を繋ぐ提言や活動を通じて、時代に適した文化芸術環境を育んでいくことを掲げて設立されました。当法人の設立背景については、巻末にウェブサイトのリンクがございますのでご覧ください。

このプロジェクトで実現したいこと

さて、法人設立後、最初のプロジェクトとして、CAMPFIREで募集させて頂くこととなったのは、世界的に知名度の高い国際美術展であるドクメンタ15に日本から唯一招聘されている「CINEMA CARAVAN & TAKASHI KURIBAYASHI」のうち、アーティスト栗林隆さん(以下、「栗林さん」で進めます)の「元気炉」を制作・運営していくための必要資金です。

出所:ドクメンタ・ウェブサイト

ドクメンタとは?

ドクメンタ(documenta)とはドイツの中央部(かつての東西ドイツ国境付近)、ヘッセン州にあるカッセルで、1955年以来、5年に一度行われる現代美術の大型国際展です。毎回設定されるテーマのもとに現代美術の先端を担う作家を世界中から集めて紹介するという方針で開催されていまして、美術界の動向に与える影響力は非常に大きく、世界の数ある美術展の中でも最古の国際展である「ヴェニス・ビエンナーレ」に匹敵する重要な展覧会の一つに数えられています。1975年のドクメンタ5 (第5回)以降は、毎回チーフキュレーターが選出され、テーマや作家選考を一任されるようになったことで、その時代における世界情勢等への考察を通じた一つのテーマが掲げられるため、アートを通して世界に何を訴えられるかという要素が強く出てくるようになりました。

今回のドクメンタ15(第15回)の芸術監督を務めるのは、「ルアンルパ」というインドネシアのアート・コレクティブです。彼らがここで掲げるコンセプトは「ルンブン(Lumbung)」です。インドネシア語で直訳すると「米倉」となるこの言葉には、「コミュニティにある知識やアイディア、資源などを集約し共有する」という意味が込められているようです。その言葉の通り、開催に向けて世界中から参加する54組のアーティストが、事前にオンラインで協議をしていく過程(「毎回5時間はかかる。。」栗林さん談)も重視されているだけではなく、ドクメンタ15以降も長期的な交流や持続的なつながりを目指しています。さらに、現代アートの根本的な概念を広げたいというルアンルパの考えから掲げられたスローガンは

No Art Make Friends

美術展とは思えないスローガンからも注目せざるを得ない内容となりそうです。今回、「CINEMA CARAVAN & TAKASHI KURIBAYASHI」が招聘された経緯は、こうしたルアンルパが設定した「ルンブン (Lumbung)」というコンセプトに、彼らが長年コミュニティやつながりを重視してきた活動内容が合致しているところが大きいといえます。

出所:ドクメンタ・ウェブサイト

プロジェクトをやろうと思った理由

プロジェクトが立ち上がった理由は、こうした世界的知名度の高い国際美術展に出展が決まった栗林さんの展示を成功させたいという純粋な思いや、支援したいと思わせる本人のパーソナリティによるところも大きいと言えます。

今回展示を行う「元気炉」は、栗林さんが、2020年から2021年にかけて入善町(富山県)入善町 下山芸術の森 発電所美術館で開催された個展での作品に端を発します。この作品「元気炉」が生まれた背景としては2011年に起きた東北大震災まで遡ります。栗林さん自身はこう述べています。

2011年3月11日、東日本大震災、それに伴う福島第一原子力発電所の事故、これらの一連の出来事が、私に絶望と、新しい時代への可能性を感じさせました。可能性とは、この事故をきっかけに多くの人達が目を覚まし、時代の流れが自然エネルギーや再生可能なものへと大きく舵を取り、全く違う世界へと変化する、千載一遇のチャンスだと捉えることもできたからです。 

ここで栗林さんは、原発事故の恐ろしさを認識しましたが、現状の原発に批判的に傾倒するよりも、人々にとって可能性と持続性の高いエネルギーのオプションの提案をしています。このアイデアの源泉ともなったのは、栗林さんが20代の頃にタイに赴いて現地式の薬草スチームサウナで、崩れた体調が整い、自分自身のエネルギーを取り戻したことだと言います。

この数十年かけて紡がれたきた思いやつながり、負を正へと転換させようとする発想と試み、そしてドクメンタ15に掲げられたコンセプトやスローガン、これらすべてが示し合わせたように合流したこと、その全体像を聞いて、生物的にも社会的にも美術的にも魅力を感じてこのプロジェクトを立ち上げました。

栗林隆「元気炉」(入善町 下山芸術の森 発電所美術館) 、撮影:志津野雷

これまでの活動
<構想段階>

2011年3月11日、東日本大震災、そこで引き起こされた福島第一原子力発電所の事故、これらの一連の出来事が、栗林さんに絶望と新しい時代への可能性とを感じさせたできごととなったようです。現在、コロナの影響、その後の世界で起きている出来事に目を向けがちですが、時代の変化・シフトを感じさせたのは、栗林さんにとって、福島の事故であったと言います。それはなぜでしょうか?

12年間生活をしたヨーロッパ、ドイツの地で、当時多大な影響を受けたチェルノブイリの原発事故。それにより生み出されてしまった矛盾、不安、そして恐怖。ヨーロッパ全域に、何十年もの爪痕を残し続けた、事故の元凶たるたった一基の原子力発電所が、日本には58基(2011年当時)も存在しているという事実。原子力は安全、という安全神話のもとに、すでに多くの人たちが、頭では理解していても受け入れてしまっている、諦めてしまっている世界。そのような環境のもとで引き起こされた、福島原子力発電所の事故は、想像を超える恐怖を与えるものであり、インパクトは計り知れないものでした。

当時の事故レベルは、チェルノブイリの規模をこえるレベル7の警戒度が置かれ、今後、東日本に住める可能性はほぼなし、と言われるほど悲惨なもので、欧州における経験だけではなく、九州・長崎に生まれ育った栗林さんのバックグラウンドやその地の歴史を考えてみれば、それはまさに絶望とあきらめの瞬間でしかなかったことは、想像に難くないことでしょう。 

サウナ内部への通路、撮影:志津野雷

そんな栗林さんに、1つの大きな可能性と希望が残されてはいたのも事実です。それは、この事故により多くの人達が目を覚まし、時代の流れが自然エネルギーや再生可能なものへと大きく舵を取り、全く違う世界へと変化する、千載一遇のチャンスだとも捉えることができたからです。俗に言う、ピンチはチャンスである、ということです。

日本における先人たちを振り返れば、多くの偉大な先輩方が、さまざまなピンチをチャンスに変え、世界に向けて日本の可能性を示して来た歴史と経験があるでしょう。足許において、たとえ日本のリーダーを頼りとできないと感じるひとがいても、これほど絶体絶命のピンチ、大事件(もはや事故ではなく、事件である)が起こったのであれば、腹をくくり、本来のリーダーシップを発揮し、日本の新たな可能性、方向性を示し、むしろ世界に向けて大きな舵取りをする可能性があるのではないか。当時、世の中、世界、そして作りあげられた社会の仕組みをいまだに知らなかった、浅はかだった自分、そう自認する栗林さんにとっては、この世界的な大事件が日本の可能性、さらには世界における時代の変革期になるのだと、疑わずにはいられなかったようです。 

しかし、そこで起きたことは、何もなかったことにする、元に戻ろうとする、恐るべき流れ、空気だったといいます。事故そのもの以上に衝撃を受けたのは、まさにそんな経験だったようです。栗林さん本人はその時から、自分が生まれて学んできたこと、見てきたこと、信じてきたこと全て、逆転、反転させる、疑うのではなく、全てのことをひっくり返してみることにしたといいます。まさに、本人にとっての新しい時代の幕開けだったといえます。

全てを逆さから捉えることを決めた栗林さんが、まず最初にしたことは、自分の目で見たこと、そして頭ではなく、心から腹落ちすることを信じる、ということでした。そのためには、事故後誰も近寄らないと言われていた福島の原発事故の現場、またそこに一番近いとされる多くの場所に、自分自身で赴き、自らの目で見て、感じて、経験することでした。自分の意思とは別に、心が福島へ向かえ、と訴えかけていたのを覚えていると振り返ります。

元気炉のサウナ内部、撮影:志津野雷

一方で、当時の時間や空間、そのほかの多くのことを、今思い返そうとするとはっきりとは思い出せないとも述べています。自分たちがやれることはやった。おかしいと思うことはおかしいと伝え、蹴り出されても懲りずに、毎年とにかく福島に向かったと。とにかく目の前のことに一生懸命向かい合っていたからかもしれないと振り返っています。 

<発想の転換>

そこから5年ほどした頃に、逆転させる、と決め打ちしていた自分が、もしかしたらおかしな視点で福島の地を見つめているのではないかと気づき始めたとのことでした。それは何か。結局、福島に対しての目線、見方、捉え方が、世の中の情報や、常識、いわゆるステレオタイプな方向からしか向き合っていないことに気づいたというのです。つまり、原発は危険なもの、放射能は怖い、身体に悪い、福島の人たちは苦しんでいる、東京電力や政府は悪だ、などなど一般的な価値観からでした。この価値観のめがねを通して見た福島は、不幸や恐怖、ネガティブなパワー全開の場所でしかなかったと振り返ります。何も反転などできていなかったのだと。福島の人々や自然、そして多くの不安や恐怖を煽る情報を逆転させ福島に赴くと、そこは人情に溢れ、自然豊かでとてもエネルギーに満ちた素晴らく魅力的な場所にしか見えなくなっていったのでした。 

人間というものは単純というか、不思議な生き物だと感じます。他の動物や植物、存在するものの中で、感情一つで見るもの見えるものが全く逆になるのですから。他の生き物たちにはない、独特の性質です。居心地が良い場所となった福島は、いつしか「行かざるを得ない場所」から「行きたい場所」へと変化していったのでした。 この頃を機に、栗林さんは多くのエネルギーやパワーを福島の土地、人々から分け与えてもらい、この感覚や感情、状況を自分の媒体であるアートというものを通して伝えたり、体験させられないかと思考し始めるようになりました。 

元気炉のサウナ内部、撮影:志津野雷

<行き当たりばっちり=繋がっていく>

時間と空間の繋がりについても触れています。アーティストにはよくあることですが、今やっていることが、数十年先の自分のため、または、その数十年先の自分の知り合いのためのものであったりします。その感覚を掴めると、今やっていることが意味不明でも、理由が分からなくとも、何の問題もなく今に集中することができるようになります。アイデアというものはそういうものの1つであり、何十年前のものが、時間や空間、時代を超えて、ばっちりとハマる瞬間が現れるのだといいます。栗林さんはそれを「行き当たりばっちり」と言っています(笑)。

20代の頃、本人は自分の身体にとてもフィットする、タイ式スチームサウナを好んでいました。当時はお金を作る為や経験をいかに活用するか、そして、単純に水中の世界が好きであったということもあってか、ダイビングのインストラクターをしてたことがあり、冬の寒い時期は、ドイツから遠く離れたタイに行き、水中生活を営んでいました。その当時出会ったのが薬草スチームサウナでした。どんなに体調を崩したとしても、1時間もスチームの中に入れば、あっという間に自分がエネルギーを取り戻し、充填できる素晴らしいシステムでした。毎日毎日その空間に通い、自分の生活の一部になった頃、この装置を自分の作品の一部に取り組めないかと様々なアイデアや思考をめぐらし始めたのです。その思いとアイデア、そして栗林さんの中から湧き出る気持ちは、そのままの自分の心のメモリーの中にインプットされ保存され続けたといいます。 

そこから月日は流れました。 栗林さんの作品という媒体を通して、人間にエネルギーを注入させるシステムとしてのアートを作り出すことはできないものか?そう考え始めたのです。 そして、25年の月日を超えて「元気炉」という名の作品が誕生することになりました。2011年から10年の月日が経とうとしていました。

福島の、原子力発電というもの、そして人間が持つネガティブなイメージやエネルギーをアートというものを通し反転できないかと考えていきました。全てのものは、エネルギーなのです。それは、見えるものから見えないものまで、我々に起こる問題やテーマ、そして関わる全てのことは、このエネルギーという物に集約されます。そしてこのエネルギーは見えないだけに、人々の思考でどんなものにでも変化を遂げるのです。それならば、このエネルギーを全てポジティブなものに変換させてしまうシステム、そして精神的な喜びに変えるだけではなく、強制的に肉体的にも健康に元気にさせてしまうものを作ることができないだろうか。

そう考えているところに、偶然にも(もしくは必然!?)、富山の発電所美術館からの個展のオファーが舞い降りてきたのでした。2019年の末、時代はコロナが流行し、人々が毎日無駄にマスクと消毒を始めた頃です。元水力発電所の跡地を美術館にした、知る人ぞ知る不思議な空間を有した場所です。ここは、水力発電所だったこともあり、水や土、その他かなりの荷重にも耐えられる構造をしており、栗林さんの作品には打ってつけの場所であると言われていました。今までやりたかったのに出来なかったことをぜひこの機会にやってくれ、とのことでした。

栗林隆「元気炉」(入善町 下山芸術の森 発電所美術館) 、撮影:志津野雷

アーティストに好きなことをやらせる、ということはとても素晴らしいが、恐ろしいことでもあります。福島の事故から10年、自分の中で原発の問題と向き合った10年、そしてこれからに10年、どう向き合ってアートというものを人々に必要なものへと昇華させることができるのでしょうか。エネルギーを生む場所であった水力発電所跡地で考えたのは、同じエネルギーを発電する原子力の問題をいかに違うエネルギーへと変換することができるのか、ということです。

電気という、ほんの150年ほど前にできたエネルギーに翻弄される我々人間。しかし一番のエネルギー体であり、ものすごい威力を持つのは我々生き物自身であり、特に人間の持つプラスのエネルギー、幸せや喜びを放つ時のエネルギーがいかに強く、パワフルであるかを今一度再認識させ思い出すことが出来る作品。では自分がその状況に精神的にも肉体的にも置かれる状況とは何か、と考えたときに思い浮かんだのが、20代の頃引き出しにしまっていた薬草スチームサウナなのでした。

ドクメンタ15における展示をイメージしたスケッチ
『蚊帳の外』(元気炉)
今もまだ試行錯誤を繰り返しているそう。

物事はすべてが繋がっています。時代、空間、意識、そのほか全てです。原子力発電所が蒸気でタービンを回すスチームサウナのようなものだったり、制御棒がメルトダウンしそうになると水風呂に浸かるのも我々と同じです。そこで誕生した栗林さんの作品は、人間の元気の力で稼働する、「元気力発電」。そしてその中心にあるものが、そう、「元気炉」なのです。

原子炉から元気炉へ。現在日本に鎮座する55基の原子炉。それを超える数の元気炉を日本中に設置し稼働させていきたい。人間の抵抗力と免疫力を上げ、さらには元気にしてしまう新しいエネルギーシステム。原子炉をはじめとする多くの問題に対抗するのではなく、それとは別に人々の喜びや幸せのエネルギーを増築させる空間、システム。サウナでもなくアートでもない、「元気炉」という新しい存在が、これからの時代我々に必要なのです。栗林さんが10年をかけて出した答えが、まさに「元気炉」なのです。 

富山県入善町 下山芸術の森 発電所美術館で展示された初号機以降、そこから形も変化させていって、栃木県宇都宮市大谷町にある採石場跡地の地下空間を活用して展示された2号機『GENKI-RO / OHYA No.2』は木の根のかたち、本年4月と5月に展示する3号機はスリムなミノムシのかたち、そして4号機がドクメンタ15で展示される蚊帳の『元気炉』になります。元気炉は必ずしも残されていくとは限りませんが、継続的にこうした活動を続けていく決意をされています。

資金の使い道

元気炉の釜を構築する各構造と水風呂一式に480,000円、躯体に使用するパイプ類やフレーム木材・鉄鋼等 830,000円、薪や薬草に290,000円、栗林さんとアシスタント2名の航空賃に510,000円、栗林さん滞在費(90日間)に720,000円、日本およびインドネシアからのアシスタント各2名の滞在費(各々、14日間と30日間)に704,000円、日本およびインドネシアからのアシスタント各2名の日当(各々、14日間と30日間)に980,000円、アーティストフィーとして500,000円で、合計 5,014,000円となります。ここから、主催のドクメンタ運営側より1,000,000円の資金提供があることと、CAMPFIRE手数料 約550,000円(→訂正:765,000円以上)(総支援額の17%+税)を考慮すると、最低でも4,500,000円が必要となります。

スケジュール

6月18日 ドクメンタ開始 (栗林さんは既に現地入りし制作を開始しています)

7月31日 クラウドファンディング終了

9月25日 ドクメンタ15終了

10月下旬  一般社団法人something like this ウェブサイトにおける本プロジェクトの報告ページにて、支援者の方々のお名前を掲載

10年下旬 リターン発送 (3,000円および5,000円のコースのリターン)

11月下旬 リターン発送 (10,000円以上のコースのリターン)

12月上旬を予定:活動報告会および交流会の開催 (日程が決定次第、該当する支援者の方々にご連絡致します。交通費は自己負担となります)

応援メッセージ

① 天野太郎 (一般社団法人something like this 代表理事)

今回のドクメンタは、その長い歴史の中でも枠組みを大幅にシフトした回になります。世界中のこれからのコミュニティーのあり方を問う中で選ばれたシネマキャラバンとそのメンバーでもあり一人の表現者として参加する栗林隆への支援は、コロナ禍で文化活動への公的資金が枯渇しつつあるなか、人々の個人的な支援、民間団体からの支援は欠かせません。このクラウド・ファンディングを支援したいと思いますので、皆様もよろしく御願い致します!

② 鶴田真由 (女優)

アート<=時代>のこれからの行き先を示すドクメンタが<栗林隆+シネマキャラバン>を招いた。彼らがずっと大切にしてきた地域コミュニティーのあり方がまさに評価されたのだと思う。「元気炉」の中でその土地土地の薬草によるスチームで禊がれ、裸のコミュニケーションを取りながら蚊帳の外の人々を招き入れる。「屋台トリップ」によって、内側を外側に開き、心と心を繋いでいく。そんな作品から生まれる個人と個人の繋がりこそが、大きく社会を変えていく原動力になるのだと思う。「思いの杭」をカッセルに打ち込んできて下さい!!応援いたします。

③ 佐野誠 (栗林さんがかつて働いていた、展示の施工を手がけるスーパー・ファクトリー社長)

栗林くんは、金がなくなると、突然現れて仕事をして行く、又は借金のかたに仕事をして、それ以上の借金をして帰る。そうして栗林くんの作品は出来上がって行く。今回は今までの中でも一番大きなプロジェクト、恐らく多額の資金が必要でしょう。皆さんから多額の「借金」を大いに募るこのクラウドファンディング応援してます。

④ 小沢剛 (日本の画家、現代美術家。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授)

近年アートにお金を使う人が増えている。実に素晴らしいことだ。しかし、多くの人は使い方を間違っている。実に嘆かわしい。 実際のところ、アートで世界は変わるのか?答えは否かもしれない。しかし、僅かなアーティストは信じている。答えはイエスと。 世界の中で僅かにしかないイエスと言えてしまう栗林氏のプロジェクトのために、志を託す価値はあると確信している。 そしてここはアジアの片隅でも、ネットの中の虚構の世界でも無い。ドクメンタという大きなステージである。 これはどれだけ有用で夢のあるクラウドファンディングなのか。

栗林隆本人からのメッセージ

1992年 20代半ばの、 漠然とアーティストになるとの想いで渡ったドイツ。 そして、ドクメンタと言う舞台に出る作家になりたいと言う思いで生活したカッセル。ドイツでの12年の月日が経ち、 日本の仲間を作りたい、と本帰国をし流れ着いた神奈川県の逗子。もう一度、海外に出なくては、 と言う思いから、自然の流れでたどり着いた インドネシア、ジョグジャカルタ。 今、起きている事、 これから起きる事、 そして、多くの人達、生き物、自然、 全てから貰うエネルギーやサポート。 全ては繋がっていて大きな意味がある事だと確信している。

今回のドクメンタ15では、 28年前の仲間たちが、 ドクメンタのスタッフの中に大勢いて、色々なところでサポートしてくれている。そして今、 逗子で出会い、一緒に時間を過ごしていたCinema Caravanの仲間達とこのドクメンタ15に参加し、毎日、今この瞬間も、作業にあけくれている。そのドクメンタに我々を呼んでくれたのが、インドネシアで出会った多くの仲間たちであり、その仲間たちのグループの一つ、ドクメンタ15のディレクションを務める”ルアンルパ”なのである。人生の必然性に驚いているし、感動もしているし、 そして感謝している。彼らに1番最初にドクメンタに誘われた時の言葉を今も忘れない。 

Taka! (栗林さん)

 今回のドクメンタは、 “No Art Make Friends”だ! 俺たちの仲間作りを手伝ってくれ!! 

という言葉だった。アートの可能性、 人間とは、自然とは、そして宇宙とは。今回の大きな流れ、壮大なプロジェクトに、皆さんに、ぜひ力を貸して頂きたい! そして、こんな時代に、多くの仲間作りの一員になって頂きたいと思っています。 

栗林隆と「元気炉」ミノムシ型 (逗子映画祭2022)

最後に

本プロジェクトでは、栗林さんがドイツのカッセルに現地入りし、ドクメンタ15が開始されてからも継続してファンディングを行います (会期の折り返し手前に募集を終了します)。栗林さんの活動は、アフター・ドクメンタとして、ドクメンタ15の後も活動を続ける予定です。そのためにも、ドクメンタ15における活動の成功は大変重要だと考えています。栗林さんのプロジェクトを成功させるため、みなさまの支援をなにとぞ宜しくお願い申し上げます!

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

ご参考:

一般社団法人 something like this 公式ウェブサイト

*リターンに関する注記:

すべてのコースの②に関しまして、備考欄に掲載希望のお名前を入力頂かないと支援の実行ができないようになっております。これは、一般社団法人 something like this ウェブサイトのドクメンタ15 栗林隆活動報告ページにコース別にご支援者のお名前を掲載させて頂く上で、ご本名を望まれない方がいらっしゃる可能性も考慮し、本名またはそれ以外のお名前を指示頂くためのものです。掲載自体を望まれない場合(匿名希望)には、「不要」とご記入ください。

最新の活動報告

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  •  ドクメンタ15が開催されてから3週間ほどが経ちましたので、栗林さんの現地活動の報告をさせて頂きたいと思います。会期は9月25日までなのでまだまだ会期の3分の1も終わってはいません。現状、現地での活動は行えていますが、活動資金の状況はまだまだ赤字の状態となっておりますので、ぜひともご支援宜しくお願い致します。 さて、今回のドクメンタ15はこれまでのドクメンタとは違い、「作品」というよりコレクティブ(目的を共有した集まり、チーム)の活動に焦点を置いています。Cinema Caravan & Takashi Kuribayashi は移動式の空間を提供するため、元気炉そのものも移動を可能とする仕組みにしています。予算や時間・場所の制約がある中で、こうした仕組みも実装できるような工夫と、実際の元気炉の設計、組み立て、そして移動のたびの解体など、体力含めて困難な挑戦を続けているようです。栗林さんによれば、「意気揚々とカッセルに乗り込んだら、半年以上も話し合いをしてきて、そこにあるべき材料や場所そのものがなく、お口あんぐりだった。。」と。本文でも「行き当たりばっちし」という言葉を紹介していますが、最初の会場の現場監督が、偶然にも栗林さんのドイツ留学当時の同級生で、28年ぶりの再会によって、作業場所、展示場所、工具類に関するサポートが得られてなんとか解決という順調な滑り出しをしたようです。しかしながら、当初から制作をサポートするはずだったインドネシアのアシスタントがビザ問題で到着できない、ウクライナ情勢の影響で木材の入手も困難、価格は3倍に高騰ということで、ただでさえかつかつの予算を優にオーバーしてしまっているという過酷な状況の中で、栗林さんは、どれだけ楽しんで、どれだけ”アートではない”共有空間を作り上げられるかに対して、ひたむきに挑戦を続けています。ドクメンタ開催前のドローイングドクメンタ開催後、最初の元気炉制作 (Aue Park)夜も活動は続く 今回は、「蚊帳の外」というプロジェクトで、蚊帳の外の人たちを、蚊帳の中へと招き入れ、内も外もない世界を作り上げていくものです。固定された特定の場所をもらえなかったという、普通では考えられない条件下で、それなら場所も関係ない、モバイル式の空間に、ということで、まさにCinema Caravanとともに、キャラバンする世界を作り上げています。実際、6月21日にはフリードリヒ広場に移動して、元気炉を再構築し展示をしています。Fridericianum Museum前の広場における制作前のドローイングFridericianum Museum前の広場における製作中の元気炉完成後の夜の元気炉 開催後、現地のアート誌で何十ページにわたる特集が組まれていますが、特集の最初の見開きで、栗林さんの元気炉が紹介されており、じわりじわりと現地を訪れる人々の間で、活動が認知されています。現地メディア特集の最初の見開きを飾る元気炉 7月7日には当初展示をしたAue Parkに戻り、Meidan Festivalに参加することになりました。当フェスティバルのメインステージとサブステージの間に、Cinema Caravan & Takashi Kuribayashiが作り上げる空間を展開するという流れになり、改めて元気炉を再構築しています。Aue Park再び、Meidan Festivalを飾る元気炉 現時点での報告は以上となります。冒頭にも触れていますが、栗林さんの現地での活動は続けられていますが、ウクライナ情勢の影響もあり、資材の高騰の影響も受けて予算オーバーな状況の中で、まだまだ活動自体の収支は赤字となっています。本クラウドファンディングのプロジェクトも残すところ3週間弱となりました。栗林さんの今後の活動のためにも、是非とも引き続きご支援のほどを宜しくお願い致します! もっと見る

コメント

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  1. 2022/07/27 09:53

    事務局よりご連絡です。皆さまからのご支援大変感謝しております。7/31(日)の23:59の終了に向けて残すところ4日強となっておりますが、皆さまのおかげで、この1週間ほどで目標額に近づいてきております! しかしながら、ウクライナ情勢等が影響して資材や移動費が上がっておりますので、目標額達成後も引き続きご支援を募集させて頂ければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。


  2. 2022/06/17 20:02

    事務局よりご連絡です。 皆さまからの引き続きのご支援誠にありがとうございます! 今般、30万円および10万円のコースが完売したことを受けまして、来週明け早々には新たなコースを追加させて頂きます。引き続き、宜しくお願い申し上げます。


  3. 2022/06/15 17:19

    事務局よりご連絡です。 皆さまによる熱い支援、 栗林さんご本人ともども大変感謝しております! 現状、栗林さんも準備で多忙を極めておりますが、 なんと早くも10万円コースが完売致しましたので、異なるタイプにはなりますが、遠からず同額に近い新たなリターンを追加予定でおりますので、取り急ぎご連絡申し上げます。 引き続きご支援のほど、宜しくお願い致します。


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