当時は2012年。いまから約10年前に、新卒で4年半近く勤めた会社を辞めて転職した。一社目の会社に入った理由は、「海外で外国人とビジネスをしたいから」。当時、航空貨物部から本社の営業部に移動して、恐らく海外には行ける流れだったが、この会社で30代後半〜40代前半で駐在の話が来るだろうから、それでは遅い。絶対安定の地元優良企業を辞めたときには、かなり驚かれた。
二社目に入った理由も同じ。転職面接で「とにかく海外で挑戦できる会社で働きたい」と、そして「20代後半までに海外で外国人とビジネスしたい」という条件を提示した。入社当時が27〜28歳だったから、結構ギリギリのところだった。この会社では、国内営業をしながら、しっかり海外営業で月に一回は海外にいって、商談や展示会出展など繰り返した。
しかし、なぜここまで自分は海外にこだわったのか。小さな時にテレビで見て好きになったWCWやECWのプロレスやプレミアリーグなどサッカーの影響だと思う。いつかは、こうした舞台にいってみたい。そして、大学生3年生(2007年)のときに3週間のカナダトロントでの留学で、語学学校に通っていた時に、まじまじと実力を見せつけられたから。韓国人やメキシコ人やブラジル人、スペイン人は英語を積極的に話しているが、海外では日本人は大人しくて誰も発言したがらない現状を見てしまった。自分も英語が当時はできずに、挫折した。その次の年は、リベンジとしてバックパッカーに挑戦。ヨーロッパ30箇所を1ヶ月で周遊するもので、実は英語はそこで身につけた。
このような経験をしていて、既に活動報告でも記載した通り、副業で英会話を教え始めたのが2013年頃からである。海外で外国人と英語で商談も繰り返しながら、台湾では、3D-ICチップの価格交渉をしていた。マカオでは、ラスベガスに並ぶカジノの展示会に日本企業代表として出展。ソニー、マツイ、東芝、バンダイナムコ、セガサミーなど、名だたる大企業と共に、ビジネス雑誌「東洋経済」にも掲載された。
だんだんと、月1回の海外出張と副業の英会話を通じて見えてきたのが、自分が経験してきた事を日本に還元できないかって、考え始めたわけで。起業を考え始めたのは2014年あたりから。もちろん、既に一社目のときから週末起業講座など受講していたので、起業の準備をしていたわけです。生徒さんも増えてきて、バーだけでなく、レンタルスペース2つで英会話を教え始めて、ビジネス的にこれはいけるんじゃないかと考えたのが、2014年の夏くらい。それくらいの時に、ミシュク式の御宿(みしゅく)さんと出会い、カタカナ英会話を託された。
実はこの頃、アメリカ、ドイツ、台湾と月3回の海外出張と副業やらで仕事のしすぎで倒れた(笑) 結局、病院で2週間、自宅で2週間やすむことになったが、ワールドカップの開催中で、病室で暇することなくサッカーを見続けた(笑)
人生を見据えたら、いちど起業にチャレンジしようと真剣に考えて、2社目の社長に相談したのが2015年の春。結局会社をやめるまで、半年間の交渉をして、2015年の秋に会社をやめて、2015年12月に英会話教室の店舗をオープンした。日本から英語を話せない人をなくす、という理念を携えてスタートしたジェッタ。
長い文章になりましたが、日本からグローバルに活躍できる人を一人でも多く輩出、外国人と日本人のコミュニティを作り英語や日本を相互学習できる仕組みづくり、中部経済新聞に連載コラム「インバウンドとアウトバウンドの架け橋」の執筆など、気づいたら色んなことをしてきました。
これからもチャレンジャーとして、挑戦し続けたいと思います。今回の商業出版は、カタカナ英会話ジェッタで実際に指導してきた内容が詰まっていて、これから英会話を学ぶ方や英語を学びなおしたい人には、ピッタリの書籍です。
あと1日。みなさまぜひとも応援をお願い致します。お知り合いやお友達にもぜひご紹介(シェア)ください。
カタカナ英会話ジェッタ 長谷川