こんにちは! 由佳です。本日はクラウドファンディング最終日です。ご支援いただいた方、ありがとうございました。また、本日の活動報告を見ていただいた方、ありがとうございます。さて、いよいよ下絵の完成が近づいてきました。しかし、まだ入れようか入れまいか迷っているものがあります。その一つに久我神社があります。この久我神社というものは、昔は大宮地域のものでしたが、今は行政の区画整理で他の地域になってしまったものです。今の人にとっては久我神社は大宮のものではない、でも絵図当時は大宮地域のものであった、そいういものを入れるのかどうしようか迷いがありました。今までたくさんの地域の人の聞き取り調査をしてきましたが、久我神社を入れるか入れないかについて賛否両論があり、意見が分かれてきました。そのようなものをどうするか、という事があります。また、今まで聞き取り調査をしてきて、その内容を想像して絵図に描いてきたものがありますが、描いた絵は本当に事実として認められるのか、古老の方が見てきた思い出の中のイメージ通りなのかの確認をしなければいけません。これらを解決するために、大宮で生まれ育ち、農家の長男として地域の行事に参加してきた、地域の事をよく知る哲学を持っている方にお聞きするのが一番だと思いました。そこで一番の適任は農家のSさんということで、私のアトリエで絵図の下絵を見ながら、私と絵図メンバーとで、Sさんの聞き取り調査を行いました。ちょうどその日に、KBS京都テレビの取材もありましたので、その写真を載せています。放送は10月下旬です。(写真 左に座るのが農家のSさん)『本当に漏れがないか、伝えたいことが伝えられているか、全体的に見直す最後のチャンス』Sさんは大宮地域の代々農家の跡取りとして生まれ、この地域で育ち、今も現役で農業を営んでいます。美味しい野菜を直売所で売っています。長男というのは、地域に昔から伝わる行事、祭りに参加する役目を持っています。農業を仕事にしていて、昔の地域の事をよく知っているSさんは、私達の知りたいことを記憶として持っているかけがえのない方でした。久我神社を入れるか入れないかSさんから久我神社の思い出のお話を聞いて、最終的には絵図メンバーで議論を重ねて入れるか入れないか決めることにしました。Sさんはお祭りの日に久我神社のおみこしを担いで大宮地域をまわっていたそうです。地域をまわっていたら、家から家族一同が出てきて神輿(神様がのっている)に手を合わせているのを今でも忘れられなかったとお話されていました。そのような思い出と、昔は大宮地域にあったという事から絵図に入れるべきものだと私は思うようになりました。農家の仕事、祈りの最終チェック」①田の神の腰掛 豊作祈願 伊勢神宮からもらった札を田の水口にさす赤丸がしてある所は、田植えのはじまるの頃、『豊受大神社』と書かれたお札に竹をつけて田の水口にさしているものです。この絵を描く前、古老の方の聞き取り調査で、『『豊受大神社』と書かれたお札を竹に着けて田の水口にさしていた』というお話を聞いていたので、そのお話から私がイメージをして描いた絵です。Sさんに意見を聞きました。『お札は竹を割った中に挟んで入れていた。』『文字は見えにくかった』『竹の長さは全体で1メートル』このようなお話から、下絵の描き直しが決まりました。竹を割ってお札を入れた絵を描くことになりました。お札の文字を確認したり、竹をさしている時の田んぼの土の状態も教えていただきました。田植えについて事前に聞き取り調査で、女性の仕事であった、子供達が紐を張り、その間を真っすぐ植えていた、と聞いていたので、私がイメージしたものを描きました。描いた後に、昔の田植えをする女性の写真を見る機会があり、横一列綺麗に並んで植えていたので、赤丸の三人のようにバラバラに田植えをする姿の女性の表現で本当にいいのか不安がありました。Sさんに意見に聞きました。『田植えはみんなはじめは一列に並んでするが、早い人はさっさと終わるし、遅い人は植えるのに時間がかかる。最後はみんなバラバラになっている。』このお話を聞いて、この絵があながち間違っていないという事がわかりました。『植えるときは、頭の向きはみんな同じ。後ろに下がりながら植えている。』このお話を聞いて、頭の向きがバラバラなので統一する必要があると感じました。『ただ、田んぼの端っこを植えるときは向きを変えて植えるからこの表現でも間違っていない』このお話を聞いて、人物を少し動かすだけで大まかに絵を変える必要はないと感じました。このように不安に思っていることを一つ一つ聞いて、事実の確認をしました。Sさんのお話を聞いて間違っている表現はなおして、絵図が事実にのっとっていて、画家が勝手に描いていないという絵を描いている事をこの活動報告を通してお伝え出来たと思います。
画家 の付いた活動報告
絵図に時間軸を作って風が吹くように季節を動かしたい。この絵図には時間軸があります。過去から現在、未来へと経過していく時間の流れ 、変える事のできない、すべての人に平等に与えられたもの。絵図の一番左は1月、一番右は12月として時間を設定して月日を表現。また、人が生まれてから命が終わるまでの時間軸も存在します。人は生まれ、どんな人とご縁があり、地域のどんな行事に参加して人生を送ったのか、何を見て、何を感じて生きていたのか、人の一生の歳月も左から右に行くにつれて進むように描きました。ねらい作品の流れに視点をまかせることで、自然と作品を見る事ができるのではないか。絵巻物を見ているように、絵図の物語を見てほしいと思ったから。一番左の1月にはお正月の行事を描き、8月には送り火の行事が集まり、絵図上には五山の送り火があります。一番右の12月には新年に使うお正月の飾りを作る家族を描いています。大きな赤い矢印の動きのように人の一生も一年の月日も過ぎていくその中心の『船山』は、始まりと終わりとして存在しています。ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず (方丈記)川の流れのように、幸せも、悲しみも、時とともに過ぎていき、なにごとも移り変わっていく、人の人生とはそういうはかないものかもしれません。しかし、それぞれの流れの中で私達はほんの一瞬を生きていますが、情熱をかけて生きていること、その土地の歴史に比べれは点にすぎないかもしれないけど、毎年同じ行事を同じ場所で行い、親から子へ里で暮らす技の継承を繰り返していくことで次の世代に受け継がれ、『点』すらも、何度も繰り返すことで大宮という土地に根付いてこの場所に色を残していくのではないでしょうか。私はそういうものを鳥瞰図で描いていきたい。次の③からは大宮絵図のテーマについて解説。おたのしみに。