大宮ふるさと絵図制作プロジェクトがKBS京都の番組「きょうとDays」で紹介されます!(写真はロケの風景です)放送日時:本日10/25(火)午後5:35〜6:00の間https://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/kyotodays/可能な方はできる方はぜひご視聴ください!
こんにちは! 由佳です。本日はクラウドファンディング最終日です。ご支援いただいた方、ありがとうございました。また、本日の活動報告を見ていただいた方、ありがとうございます。さて、いよいよ下絵の完成が近づいてきました。しかし、まだ入れようか入れまいか迷っているものがあります。その一つに久我神社があります。この久我神社というものは、昔は大宮地域のものでしたが、今は行政の区画整理で他の地域になってしまったものです。今の人にとっては久我神社は大宮のものではない、でも絵図当時は大宮地域のものであった、そいういものを入れるのかどうしようか迷いがありました。今までたくさんの地域の人の聞き取り調査をしてきましたが、久我神社を入れるか入れないかについて賛否両論があり、意見が分かれてきました。そのようなものをどうするか、という事があります。また、今まで聞き取り調査をしてきて、その内容を想像して絵図に描いてきたものがありますが、描いた絵は本当に事実として認められるのか、古老の方が見てきた思い出の中のイメージ通りなのかの確認をしなければいけません。これらを解決するために、大宮で生まれ育ち、農家の長男として地域の行事に参加してきた、地域の事をよく知る哲学を持っている方にお聞きするのが一番だと思いました。そこで一番の適任は農家のSさんということで、私のアトリエで絵図の下絵を見ながら、私と絵図メンバーとで、Sさんの聞き取り調査を行いました。ちょうどその日に、KBS京都テレビの取材もありましたので、その写真を載せています。放送は10月下旬です。(写真 左に座るのが農家のSさん)『本当に漏れがないか、伝えたいことが伝えられているか、全体的に見直す最後のチャンス』Sさんは大宮地域の代々農家の跡取りとして生まれ、この地域で育ち、今も現役で農業を営んでいます。美味しい野菜を直売所で売っています。長男というのは、地域に昔から伝わる行事、祭りに参加する役目を持っています。農業を仕事にしていて、昔の地域の事をよく知っているSさんは、私達の知りたいことを記憶として持っているかけがえのない方でした。久我神社を入れるか入れないかSさんから久我神社の思い出のお話を聞いて、最終的には絵図メンバーで議論を重ねて入れるか入れないか決めることにしました。Sさんはお祭りの日に久我神社のおみこしを担いで大宮地域をまわっていたそうです。地域をまわっていたら、家から家族一同が出てきて神輿(神様がのっている)に手を合わせているのを今でも忘れられなかったとお話されていました。そのような思い出と、昔は大宮地域にあったという事から絵図に入れるべきものだと私は思うようになりました。農家の仕事、祈りの最終チェック」①田の神の腰掛 豊作祈願 伊勢神宮からもらった札を田の水口にさす赤丸がしてある所は、田植えのはじまるの頃、『豊受大神社』と書かれたお札に竹をつけて田の水口にさしているものです。この絵を描く前、古老の方の聞き取り調査で、『『豊受大神社』と書かれたお札を竹に着けて田の水口にさしていた』というお話を聞いていたので、そのお話から私がイメージをして描いた絵です。Sさんに意見を聞きました。『お札は竹を割った中に挟んで入れていた。』『文字は見えにくかった』『竹の長さは全体で1メートル』このようなお話から、下絵の描き直しが決まりました。竹を割ってお札を入れた絵を描くことになりました。お札の文字を確認したり、竹をさしている時の田んぼの土の状態も教えていただきました。田植えについて事前に聞き取り調査で、女性の仕事であった、子供達が紐を張り、その間を真っすぐ植えていた、と聞いていたので、私がイメージしたものを描きました。描いた後に、昔の田植えをする女性の写真を見る機会があり、横一列綺麗に並んで植えていたので、赤丸の三人のようにバラバラに田植えをする姿の女性の表現で本当にいいのか不安がありました。Sさんに意見に聞きました。『田植えはみんなはじめは一列に並んでするが、早い人はさっさと終わるし、遅い人は植えるのに時間がかかる。最後はみんなバラバラになっている。』このお話を聞いて、この絵があながち間違っていないという事がわかりました。『植えるときは、頭の向きはみんな同じ。後ろに下がりながら植えている。』このお話を聞いて、頭の向きがバラバラなので統一する必要があると感じました。『ただ、田んぼの端っこを植えるときは向きを変えて植えるからこの表現でも間違っていない』このお話を聞いて、人物を少し動かすだけで大まかに絵を変える必要はないと感じました。このように不安に思っていることを一つ一つ聞いて、事実の確認をしました。Sさんのお話を聞いて間違っている表現はなおして、絵図が事実にのっとっていて、画家が勝手に描いていないという絵を描いている事をこの活動報告を通してお伝え出来たと思います。
こんにちは。由佳です。昨日(9月27日)の京都新聞に、大宮ふるさと絵図活動の記事が掲載されました。この新聞のおかげで、沢山の方に知っていただき、ご支援も増えました。ありがとうございます。目標金額100万を目指して挑戦中です。残り2日になりましたが、最後まで頑張ります。SNSの拡散や応援よろしくお願いします。
写真(右がMさん。左が私と大宮絵図メンバー)こんにちは!由佳です。先日は、すごく貴重な経験をしてきました。絵図当時(昭和30年)に大宮地区で子供時代を過ごされ、今も大宮に住んでいるMさんに、当時の大宮のお話を聞くことが出来ました。いくつか紹介します。●絵図当時の船山に生えている木について今の船山と昔の船山は生えている木の違いはあるのか?。船山は西方寺が所有しているので、誰かが勝手に木を切る事ができないのでかわりはない。周りの山は燃料として木を切っていたことから雑木林として描くことにしました。●水はだれが守ってきたのか集落全体で草刈りや用水路の掃除はあったのか。水利組合が存在し、田んぼを持つ長男のみが草刈りなど参加。これは、絵図に入れると説明が大変なので入れることはしません。●8月に帰ってくるご先祖様をお迎えするお供えもの絵図に描く予定だったお供え物8月になると、スーパーに果物や野菜がお供え物のセットとして売られています。私も毎年、果物セットと野菜セットを購入していました。りんご、みかん、ももなど、当たり前だと思っていたお供えものが、Mさんに見てもらうと、『お供えにはみかんやりんごはなかった。これは季節の物じゃない』『長い豆のささげや、ナス、キュウリ、トマトなどの夏野菜ばかりだった』というお話を聞いて、スーパーで一年中リンゴやみかんを購入している私が、季節感を失っていることに衝撃を受けました。当時の大宮は純農家だったので、皆さん自分で作ったお野菜をお供えしていたのです。Mさんにお話を聞いて、お供え物を描き直すことにしました。絵図当時の事を描くとき、当時の事が載っている本や写真も参考にしますが、本当に知りたい私が欲しい情報でない場合が多いです。地域の事が知りたい、どんな色をしていたのか、どんな事があったのか、本にも写真にものっていない『大宮の本当の事』が知りたいと思っていました。Mさんと出会えたのは『大宮絵図プロジェクト』メンバーの方が橋渡しをしていただいたのもありますが、Mさんも記憶を大事に持って元気で過ごされたこと、私も元気で絵を続けていたから昔の記憶を拾う事が出来たという、シンクロニシティが起こったのだと思います。人の記憶はその人が持つ、財産です。Mさんが元気で過ごされて、私とお会いして、私はMさんの記憶を拾うことが出来た。そのことは、絵図メンバーのみなさん、Mさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
こんにちは。由佳です。五山の送り火というのは、お盆に来たご先祖様を船に乗せて極楽浄土に帰すための行事ですが、船山独自の行事があることをご存じでしょうか?船山の点火の仕方がとても原始的な方法であること、ご先祖様を迎えるための準備や、船山独自のご先祖様を極楽浄土に送る踊りなど、興味深い行事がたくさんあります。実際にスケッチや取材をしたので それらを一緒にみていきましょう。下絵には、『五山の送り火』に対して関係しているものに『赤丸』がしてあります。『西方寺 六歳念仏』と『万燈炉』一番左の赤丸の『西方寺 六歳念仏』とは、 送り火終了後の21時から西方寺で行われる、鉦や太鼓ではやし、念仏を唱えながら踊る民俗芸能・民間信仰です 。六斎念仏は非公開でしたが特別に見学・スケッチさせていただきました。『万燈炉』とは、西方寺の門の上に照らされている燈籠で、ご先祖様をお迎えするための迎え火の事です。夜、赤々と照らされています。船山の点火の方法 船山の点火方法は、『音』と『光』です。船山の麓の山がよく見える住宅地で、西方寺和尚様の読経後、鉦が叩かれ、その音の合図で山に火がつけられます。下絵の『西方寺和尚様 点火のために読経』と『鉦をたたく人』に赤丸がしてあります。鐘の音によって点火の合図になりますが、和尚様の足元にある提灯も点火の合図のようで、私が和尚様をスケッチしようと、ヘッドランプで画用紙を照らしていたら、『点火の合図と勘違いされるから消してください』と言われました。また、カメラのフラッシュも点火の合図と山にいる人が勘違いしてしまうので、集まっている地元の方にも『フラッシュはやめてほしい』と和尚様が言われました。ご先祖様をお迎えする準備 『精霊馬』 『ハスの葉の上に丸いものをお供え』絵図下絵の送り火の下には、『精霊馬』 『ハスの葉の上に丸いものをお供え』 『船山が田んぼにうつる』と言う文字に赤丸をつけています。『精霊馬』とは、ご先祖様がこの世に来て帰る乗り物を表していています。きゅうりが馬、ナスが牛です。馬に乗って早くこの世に来てほしい、あの世に帰る時は牛に乗ってゆっくりお帰りください、という意味がこめられています。『ハスの葉の上に丸いものをお供え』とは、あの世から来たご先祖さまにお供えするものです。ハスの葉っぱに丸いものや季節の野菜をお供えします。『船山が田んぼにうつる』とは、水のはられた田んぼに美しく船山が映る景色を描きます。『手を合わせて祈る人』絵図下絵の一番右の『手を合わせて祈る人』とは、船山に火が点火して、ご先祖様が乗った船が無事に極楽浄土に行くのを祈る、地上の人々の姿のことです。観光でもない、インベントでもない『人が祈るためのシンボル』私は今、京都に住んでいますが、京都に来るまでは東京の都会に住んでいました。東京のテレビ放送では、京都が観光地として紅葉の季節や五山の送り火の映像を流していました。しかし京都に住んでみて、五山の送り火が観光でもイベントでもないという事がわかりました。送り火の日、地元のおばあちゃんが1人、送り火に手を合わせている姿を見て思ったのです。五山の送り火は、『信仰』、祈りのための火でした。住むことでその土地が持つ、祈りや願いの行事の本当の姿を見ることが出来ました。送り火の文字によって違うことがある左京区の『大文字の送り火』の近くに住む友人宅に行くと、玄関の飾り棚に、送り火で焼かれて炭になった、消し墨が飾られていることがあります。消し墨は、魔除け、厄除けになるとされています。送り火の次の日の早朝、友人は家族と大文字に登り、燃えた木を持ち帰るそうです。『早朝に行かないと大きな炭が取れない。みんな持って帰るから遅く行くと小さいのしかない』。船山ではそのような事はありませんが、五山の送り火の大文字ではそういう事も行われています。送り火も場所によってそれぞれ違うのです。西方寺の和尚様は、読経と鉦の音で船山を点火するという重要な役割をもっています。大宮絵図ではこの役割を目立たせるために他より少し大きく人物を描きました。