「私たちの『表現の不自由展・その後』」のこと。
はい?
「私たちの『表現の不自由展・その後』」ってなに? いやそもそも『表現の不自由展・その後』って?
そっか、そこから説明しないとわかんないか。あれからコロナやら戦争やらいろんなことがあったもんなあ。そんで僕ら、すぐ忘れちゃう生き物だしなあ。
ええとね、2019年に「あいちトリエンナーレ2019」という国際芸術祭が名古屋で開催されたんだ。その中の企画展「表現の不自由展・その後」 が、一部の政治家の反発と一部とはいえ少なくはない数の人たちからの電話・メール・FAX等による抗議を受けて開催後わずか3日で中止に追い込まれたんだよ。そのうえ文化庁は、同芸術祭に対して予定されていた補助金約7800万円を全額不交付にするって発表したの(この理由というのがとんでもなくわけのわかんないもんなんで、ぜひ調べてみてください)。詳しいことは『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』(岩波書店)に書いてあるけど、まあすごい事件だろ。
え?
「一部の政治家の反発」って?
開催前日に視察に来たらしいんだよ、その「一部の政治家さん」。で、そのあと取材陣の前で「日本人の、国民の心を踏みにじるものだ。即刻中止にしていただきたい」と言ったらしいの。で、それが報道されたもんだから「一部とはいえ少なくはない数の人たち」が燃え上がっちゃって、中には「ガソリン持ってお邪魔する」なんて脅迫文送ってきた人までいて、まあ、この人はつかまって謝罪したらしいけど、とにかく安全が保証できないっていうんで、県知事が開催中止を発表した、というわけ。
これ、いろいろ突っ込みどころがあるよね。
たとえば「一部の政治家さん」は、いつから日本人や国民の気持ちを代表するようになったんだろう。すくなくとも私の気持ちをこの人が知ってるとは思えない。だからほんとはこう言うべきだったんだと思う。「私個人としては、とても不愉快な気持ちになりました。でも、これは個人的意見なので、私以外のみなさんがどう感じるかはわかりません。どうか、ご覧になって、みなさんそれぞれにご判断ください。」これが普通じゃないかな。ピカソの「ゲルニカ」だって、発表当時は「不愉快だ」って言う人はいたし、「はだしのゲン」だって「子供に見せるべきではない」なんて言う人が出てきて小学校の図書館から撤去されかかった事件があったよね。大人なんだから、もう少しちゃんと考えてしゃべって欲しいよね。
それから、「偉い人が言うと、みんなその言葉に流される」というのが二つ目の突っ込みどころ。雰囲気とか空気を読めとか言うけど、要するに「強そうな人の意見に従っておきましょう」ってことでしょ。正しいかどうかじゃない。自分で判断したかどうかでもない。これってかなりかっこわるい。
あと、脅迫メールが来たらこういうイベントはすぐに壊れてしまうんだけど、それは私らがやってる演劇でもおんなじで、たとえば上演直前に「会場に爆弾仕掛けた」ってメールが来たら、99パーセントイタズラだとわかっていても、やっぱり劇は中止になっちゃう。でも学校だってどこだって・・・国会だって同じじゃないかな。人間は脅迫には弱いです。社会は壊れやすいです。もともとそういうもんです。でも、だからこそ『脅迫なんかしちゃいけない』。それはミサイルみたいなもんです。相手を叩くことはできるけれど、向こうだって持っている。打ち合えば結局、そこに残るのは廃墟だけ。信頼関係の無くなった社会だけ。
それで「私たちの『表現の不自由展・その後』」の話になるんだ。
これはね、開催されなかった数日間を自分たちで補完しようという試みなんだ。「あいちトリエンナーレ」では途中で開催中止に追い込まれてしまった。最終的には、トリエンナーレの最終の1週間だけ再開されたんだけど、この再開は人数制限などがあって非常に問題のある形になってしまった。
そこで「『表現の不自由展・その後』をつなげる愛知の会」を組織して、「見たかったのに」見れなかったという市民たちの声に応えるために「市民による展示会」を計画したんだ。これは2019年から約2年間の準備を経て、とうとう2021年に「私たちの表現の不自由展・その後」を6日間の予定で開催するところまで漕ぎつける。すげえでしょ。ところがまたこの時、施設で郵便物が破裂するなんてことが起きて、それを理由に名古屋市がギャラリーの臨時休館を決めちゃって、この展示会はたったの2日で中止になってしまうんだ。普通だったらこの辺で心が折れるでしょ。でも、ここのみなさんは違う。もういっぺん準備を重ねてついに2022年八月、この「失われた4日間」を「再開」することになったんだよ。
もちろんここまでの費用はすべて実行委員会の人たちが自分たちで用意したんです。文化庁になんか頼らない、市民の活動なんです。ちなみにチラシにはクラウドファンディングの案内もついているので、ぜひご協力をお願いします(_ _)。
先日「いーぶる名古屋」で上演した『明日のハナコ』も、この実行委員会の方々の尽力で実現したものです。つまり『明日のハナコ』も『表現の不自由展・その後』の端っこに位置づけられているわけで・・・なんか嬉しい。というか恐れ多い。というか誇らしい(^_^;)
表現の自由というのは、ただ表現する側だけのことではありません。それを見る観客の自由が必要です。表現を制限するときには、『それを見る自由』も奪っているんです。表現する側の自由も見る自由も、つまり莫大な自由を、莫大な権利を奪っている。それは絶対にしちゃいけない。
だから、表現する側にはもちろん『脅迫に屈しない』勇気が必要です。でもまったく同じ理由で、観客にも『脅迫に屈しない』勇気が必要なんです。私たちは力を合わせて「勝手に日本人を代表したり」「脅迫メールを書いたり」して、世界を廃墟にしようとする人たちに立ち向かわなくてはならない、と思います。
『観客』のみなさん、ぜひ「私たちの『表現の不自由展・その後』」に行きましょう!
玉村徹