はじめに・ご挨拶
2013年の秋に市民も知る人が少なくなってしまったけれど松阪の歴史や文化を伝えるには欠かせない「THE松阪の松阪もめん」を再びたくさんの人に知っていただき、商店街や街に活気が出て観光客の誘致につながるイベントとして「松阪もめんフェスティバル」を開催しました。今年で節目の10年を迎えるとともに、念願だった「2022全国コットンサミットin松阪」を同時開催することとなりました。
私たちは、中心商店街の活性化と松阪もめんの文化振興そして若者世代の郷土愛を育むという3つの目標を達成するため産官学民が一丸となって今年の「サミット×フェスティバル」、特に高校生がすべてをプロデュースする松阪もめんのファッションショーを輝かせたいと願っています。
松阪もめんフェスティバルは、粋な松阪もめんを「見て、触れて、感じて、着て、歩いて、魅せて」伝統と革新をカタチにをテーマにしています。江戸時代に粋を誇りとした江戸っ子にとって、倹約令でお仕着せだった着物の中で、最大限のオシャレは“松阪縞(マツサカジマ)を着てお出かけすることです。粋とは、飾りたてず派手に目立たぬことですが、松阪もめんは、少し離れると地味な無地に見え、しかしよく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る様は、まさに粋の感覚そのものでした。当時の江戸の人口約100万人だったのに、松阪もめんは、年間に50数万反もの出荷があったと記録されています。歌舞伎役者が縞の着物を着ることを、未だに「マツサカを着る」と言うそうです。
10年前に私たちの想いの中心にあったのは商店街の元気につながって欲しい。イベントをきっかけに商店街に訪れていただき、街や店や人と触れ合って知る機会になって欲しい。そしてイベントを作り上げていく過程でここで育つ子供たち、松阪の学校に通う生徒達の郷土愛を育む機会となって欲しい。縁あってこの街の学校で学ぶ時間のひとときを文化や歴史や街や人と関わって過ごして欲しい。将来松阪からほかの地へ行ったとしても誇れる郷土がある事がいつか強みとなり根っこが張れるように種を蒔きたい。そんな欲張りな思いから松阪もめんに関わる市民団体、松阪もめんの生産者、販売者、そして、松阪もめんの未来を担うかもしれない多くの生徒達を巻き込むこととなっていったのです。
https://drive.google.com/drive/folders/1JDUkwZRucxjCedxcTWYqdCxqeFJhxSnM
プロジェクトで実現したいこと
三重県立松阪工業高校繊維デザイン科の生徒たちは、松阪もめんの反物から自分たちが高校生の今の感覚でデザインした洋服や帽子、アクセサリーを製作しています。これらを発表する一つとしてファッションショーを松阪もめんフェスティバルで開催してきました。ショーで着用する衣装のテーマ、デザイン、製作はもちろん、ヘアメイク、モデル、ショーの演出運営までを担当してきました。また、最近では機織機を使って反物の手織りをしたり、映像班が衣装をまとったPVの製作も手掛けています。
今年は、「2022全国コットンサミットin松阪」において、たくさんの全国人たちにも松阪もめんファッションショーを見て感動していただこうと舞台と音響装置をグレードアップしてさらにスケールを大きくしたいと考えています。松阪もめんが松阪牛と同じくらいの知名度になりますよう企画、実施していきます。
私たちの地域のご紹介
現在の松阪は、安土桃山時代の1588年、蒲生氏郷により城が築かれ、楽市楽座で町づくりがされて「松坂」と命名されたことが始まりです。城下町でありながらも、商売の才能に秀でた人々が集っていたこともあり、当時から「現金掛値なし」という売り方や、安くて丈夫な木綿を江戸で大量に売りさばいたりなど、現在の商売に通じるような商人たちが多かったのです。こういった商売の中からも、進取気質がうかがうことができ「松阪人気質」と呼ばれ、今にいたっています。 松阪には、1,500年前から皇大神宮に御衣を奉職する 「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」があり、江戸時代には、京都西陣から「衣服大祖」と月参するほど信仰されていました。昔から織物の技術が伝承されているところです。
ひとにやさしい街、まつさかは、江戸時代に参宮街道の最後の宿場だったこともあり、お伊勢参りの旅人たちに食事や水、草鞋や菅笠等を施すことを幸せだと松阪の多く人が思っていました。歩いて旅をする人は、ほぼなくなった現代ですが、松阪牛、お茶、海苔などを産出する山や川、海がある豊かな土地柄は今も昔も変わっていません。
プロジェクトを立ち上げた背景
2017年から3年続けて松阪工業高校繊維デザイン科生徒による、松阪もめんファッションショーを松阪もめんフェスティバルの10万円予算でチラシ作成費やショーで使用する松阪もめんの代金などやりくりしてやってきましたが、舞台や音響そして照明等にはお金をかけられず手作りや既存の設備で行ってきました。全国の方に見ていただく今年のファッションショーにふさわしい舞台装置で気持ち輝いてほしいという願いから全国の皆様に応援していただこうとクラウドファンディングに参加することを決めました。
伝統と革新をかたちにを目的にして松阪もめんを地元の方たちをはじめ世界中に知ってほしいです。ルーツをたどると古く五世紀の後半に大陸から渡来した技術集団の漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)たちが住みついたのが松阪市の東部一帯です。その地にわが国に初めて紡績のメカニズムが持ち込まれ、高度な技術によって、古代日本の一大紡織の中心地になり15世紀にインドや中国から木綿が伝わると、綿花栽培が盛んとなっていったのです。
良質な木綿栽培には、いくつかの条件があり、一つ目は気候が温暖なこと、二つ目は水はけの良い土地であること、そして三つめは、肥料としてイワシを干した燐酸件の「干鰯(ホンカ)」が欠かせないことでした。 その条件に合ったのが、伊勢湾沿岸
と大阪湾沿岸です。
しかし、松阪の歴史と文化を語るに欠かせないこの松阪もめんも往時に比べると扱う人、知る人は激減し、松阪市民でも身近な存在ではなくなってしまっているのが現状でした。
この歴史と伝統を現代に生かし新しい発想で世に送り出してくれる生徒さん達の感性、若い世代へのエールを込めてこのプロジェクトを立ち上げました。
これまでの活動
松阪もめんフェスティバルで1番伝えたい松阪もめんを次世代につなぐ新しい感性を自由に表現するファッションショー。
生徒さん達は2016年の松阪もめんフェスティバルであこがれの名古屋モード学園の皆さんとコラボレーションしたファッションショーでものすごい刺激を受けました。
その翌年、2017年から松阪工業高校繊維デザイン科の生徒さん達の全てプロデュースのファッションショーが始まりました。
始めた時、授業にてテーマに沿ったデザイン画をおこし、モデル担当選抜ウォークの審査をし、デザイナー、ヘアメイク、モデルとチームの編成会議をする、メイクや色味の勉強をする、どれをとっても初めての事ばかりでしたが、今の仕様が確立されるまでの大切なプロセスだったんだと振り返る事ができる誇れる歴史となりました。
最初のファッションショーでは、ランウェイ&レッドカーペットをボランティアスタッフで手作りし、動かない照明が一つしかないと十分な舞台装置が準備できませんでしたが、それは今でも微笑ましいエピソードです。
2018年と2019年は、松阪駅前商店街の施設を借用して廊下や空店舗を掃除をするところから始め、ランウェイとしてショーの場をみんなで作り上げました。
資金の使い道・実施スケジュール
2022年11月13日 日曜日 松阪市産業振興センター
ファッションショー必要な十分な舞台設備、音響、照明に使用します。
CAMPFIRE手数料と返礼品にも使用します。
リターンのご紹介
返礼品
お礼のカードと松阪もめんの種と
◆3000円
・松阪工業高校繊維デザイン科作成のショーで使用した松阪もめんのハギレを使ったコースター2枚
◆5000円
・松阪もめん手織り伝承グループゆうづる会製作の手織り松阪もめんと松阪産の木を使ったカード立て
◆10000円
・松阪もめんハンカチ
◆30000円
・松阪もめんの名刺入れ
・松阪もめんの小銭入れ
・松阪もめんの御朱印帳
◆50000円
・ペアで松阪もめんを着て街あるき&お食事
◆100000円
・御絲織物松阪もめんの反物
・蔵宿1組宿泊クーポン券
最後に
松阪工業高校繊維デザイン科のみなさんは授業やクラブ活動、文化祭や修学旅行、卒業制作など学校生活を送りながら、十分な授業数のない中、松阪の街や松阪もめんを多くの方に知って欲しい、松阪を全国いや世界に発信したい、そんな気持ちを込めて自分達の出来る最高の表現、ファッションショーに向かって日々、製作に励んでくれています。
その思いがいっぱい詰まったショーを最高の舞台で開催してほしい。
松阪の未来を担う生徒の皆さん達が輝くファッションショーの舞台装置、音響、照明の設置を応援してください。
松阪もめんを次世代につなぐ、かけはしとなるファッションショー。
ランウェイを歩く生徒さん達をキラキラと輝かせる舞台装置の設置にどうかご協力をよろしくお願いいたします。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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