こんばんは。ジュマ・ネットの稲川です。先月末からフィールドに来ており、現在はチッタゴン丘陵地帯におります。まさに今現場で考えていること、今だから感じられていることを素直に書いています。今回、市民リーダーや政治家の方などから話を聞く中で、和平協定から25年が経った中でも、その実現には希望が見出せない声が聞かれました。特に政府・軍の政治的影響力を握ろうとする駆け引きの中で、この地域がいかに翻弄されてきたかも強く感じました。(一部は和平協定の実施を今も希求する考えの方もおりますが、現状を見る限りやはり難易度は高いだろうと感じます。)そしてその駆け引きの余波は、いつも一般市民の負担や犠牲となっていることも今回痛感します。家にお邪魔すれば次から次に食事をご馳走してくれ、停電して暗闇になっても笑いが絶えない会話がいつまでも続く、そういった人々の顔が浮かびます。大きな政治の争いの中で、彼らの尊厳や洗濯が抑圧されている状況には、感情的に迫ってくるものもあります。その一方で、長期政権で地盤を固め続けている与党の状態、また年末年始に予定される総選挙、ジュマ内部での分裂と暴力の応酬を鑑みると、すぐに劇的な変化がやってくることも現実的ではありません。また、ただ闇雲に政府や軍を批判しても、思わぬ形で締め付けを強化してしまうことも考えられます。人権侵害や理不尽な抑圧には声をあげる一方で、暫時的・未完成でもいいので現状の硬直状態に刺激が加わり、少しでも前向き変化を及ぼせる現実的な提言と実行力が必要です。今回現場にいる中で浮かんできた方策を丁寧に戦略へと組み立てていきたいです。少し涼しい朝を迎えたチッタゴン丘陵地帯で、そんなことを考えています。
教育 の付いた活動報告
皆様こんにちは。本日は、ジュマネットの歴史についてお話いたします。ジュマ・ネットはバングラデシュ、チッタゴン丘陵地帯の紛争解決と平和促進のために、関心のある有志や団体が集まり2002年3月に設立されました。チッタゴン丘陵地帯の弱い立場に置かれた先住民族の人々が平和な社会に暮らし、基本的な人権が守られ、開発の恩恵を十分受けられるようになることを目指して活動している非営利団体です。もともと下澤共同代表は、NGOで19年間勤めてきました。しかし、民族的な差別や弾圧、政府に対する活動は制約も大きく、ジュマ・ネットでなければできないことでした。これが立ち上げの大きな理由でした。 また同じくトム共同代表は、1990年代に他の先住民族の活動をする中で、チッタゴン丘陵地帯で襲撃事件の報道を知りました。そして1994年にインドに逃げていたジュマの難民キャンプを訪問しました。リーダーとの出会いもあり、その後プロジェクトも行いました。そうした経緯の中で二人が出会い、協力してイベントを行ったことが、ジュマ・ネット創設の大きなきっかけになっていきました。ちなみに、一番最初はボイサビという現地の祭りを日本で行いました。蓋を開けてみたら、100人を超える参加者が集まる結果となりました。そうして、ジュマ・ネットはスタートしていきました。本日は以上です。毎日少しずつですが更新して参りますので、今後もぜひ活動報告をチェックいただけましたら幸いです。ありがとうございました。
こんにちは。ジュマ・ネットの稲川です。きょうは我々のビジョンを自身はどのように見ているのか、というお話です。 ジュマ・ネットは、チッタゴン丘陵地帯の人権侵害防止・平和構築を目的に活動をはじめました。国家の中で抑圧されるエスニック・マイノリティが公正で安心して暮らせる社会を作ることは、21世紀の大きな課題です。人や資本、情報の移動のスピードと量が急速に増していく一方で、世界各地で民族や国籍に基づく差別・抑圧が発生しています。一般的にグローバル化が進んでいるといわれる現在では、民族や国籍を異にする人々が入り混じる傾向にあります。しかし、グローバリゼーションは単純な画一化をもたらすわけではないことが指摘さ れています。例えば文化研究者のフェザーストンによれば、グローバル化は他者との差異を確認するプロセスであると言われています。 異なる他者との接触が増えることで、むしろ自身のあり方と他者との違いに自覚的になり、自らの文化や価値観を強化させることさえ起こり得ます。自身のルーツや文化を大切にすることはもちろん自由である一方で、異なる記憶や慣習をもつ人々 が共存するという時代の流れにおいては、現実として共存へと壁を超えなければならないことは確か です。民族や国籍の意識が自然消滅していくことはなく、きっと残り続けるでしょう。その中で、重層的に異なるアイデンティティが意識され、市民として他者と現実的に共存できる道を探すことが、ジュマ・ネットが見ている未来です。私たちは、エスニック・マイノリティが公正な権利を享受して生きられる社会を目指すために活動しています。