粟田真人(あわたのまひと)ってご存知ですか?
太宰府といえば菅原道真公をまず思い浮かべますね?
しかし「西の都」大宰府を創りあげたのは粟田真人です。
今から1300年ほど前、中国の唐王朝が世界帝国として繁栄していた。このため唐の文物・文化・政治システムを周辺諸国は進んで取り入れ、日本も、大宝の遣唐使・粟田真人が唐から先進の情報を持ち帰り、改革を進めた。こうして日本は歴史上もっとも国際色豊かな時代といわれる奈良時代を迎えた。
皇帝に厚遇された粟田真人が見た唐の都長安は、東アジアの先端となる都市であった。彼が収集した情報をもとに平城京と大宰府はつくられた。大宰府にはすでに百済の宮都を模した要塞が築かれていたが、唐の宮都を実際に見た粟田真人が赴任し直接造営に携わることで、「西の都」として新たに生まれ変わったのです。
歴史の試験にはあまり登場しませんでしたが、
大宰府にとってとても重要な人物なのです。
粟田真人(あわたのまひと)覚えていてくださいね。
大宰府(太宰府)豆知識でした。
※画像は大宰府政庁後です。
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