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一宮ブルワリーTOGOプロジェクト

これまで一宮ブルワリー併設のcom-cafe三八屋や、イベントなどでしかお楽しみいただけなかった一宮ブルワリーのビール。現在4坪のブルワリーを”二階建てビール工場&販売所”に改装し、持ち帰り「TOGO」していただき、ご家庭などでも手軽に一宮ブルワリーの美味しさを楽しんでもらいたい!

現在の支援総額

1,727,176

125%

目標金額は1,380,000円

支援者数

162

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/01/18に募集を開始し、 162人の支援により 1,727,176円の資金を集め、 2023/03/08に募集を終了しました

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一宮ブルワリーTOGOプロジェクト

現在の支援総額

1,727,176

125%達成

終了

目標金額1,380,000

支援者数162

このプロジェクトは、2023/01/18に募集を開始し、 162人の支援により 1,727,176円の資金を集め、 2023/03/08に募集を終了しました

これまで一宮ブルワリー併設のcom-cafe三八屋や、イベントなどでしかお楽しみいただけなかった一宮ブルワリーのビール。現在4坪のブルワリーを”二階建てビール工場&販売所”に改装し、持ち帰り「TOGO」していただき、ご家庭などでも手軽に一宮ブルワリーの美味しさを楽しんでもらいたい!

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 このファンディングで一宮ブルワリーを様々にご支援いただいた皆様、また一宮ブルワリーを大切にしてくださっている皆様、誠にありがとうございます。一宮ブルワリーを経営するNPO法人志民連いちのみや理事長の星野と申します。

 色々な形、色々なコースを、またいくつも何度も応援していただき、日々感謝しております。志民連いちのみやは、いくつかの受託事業を除けばボランタリーに動いており、台所は活動開始以来ずっと火の車でピーピーしています。そんな歴史の中で、こうしたファンディングに多くの方にご寄付をいただき、その大きさに驚きながら天井を見上げて御礼を呟いております。

 ありがとうございます。

 なお今回のファンディングの対象である【一宮ブルワリーTOGO化】(お持ち帰り可能に)という、ビール工房改修を準備していく段階で、志民連いちのみやの他事業が時期を同じくして重なって展開し始めてしまいました。その混乱の中、多様に御礼の品を開発し、皆様へ丁寧にお伝えし、マネージメントしているのが、アヤシイモノさんたち「38クラファンチーム」です。どうぞ彼/彼女たちにも応援の拍手をお願いできればと存じます。

 たくさんの感謝、御礼の気持ちと共に、一宮ブルワリーのことを少しずつお伝えしたいと考えました。

1999年、出会いと始まり

 一宮ブルワリーの醸造責任者の山田文隆と私(星野博)が最初に出会ったのは1999年でした。

 志民連いちのみやの今に至る活動の一つである「ラブたな」がスタートしたのは1998年。その活動を受けて1999年の一宮七夕まつりで「にぎわい広場」事業が始まりました。一宮七夕まつりに座って休憩できる空間を確保し、時間とエリアの面的拡大をはかろうとする民間の活動でした。場所は当時の「新柳公園」、今そこには一宮市役所本庁舎が建っています。その「にぎわい広場」事業は「尾張ブルワリー」の地ビールや大手の生ビール、各種ドリンクや料理を出し、大型テントが被った20m四方の休憩席を用意し、ステージでは生演奏などがありました。主催は商店街団体で、経営は「尾張ブルワリー」の母体である「三星染整 (現 三星テキスタイルグループ)」が請け負っていました。「ラブたな」はステージの運営を担当しつつ、企画にも加わっていました。

 「尾張ブルワリー」は1997年の開業です。その年、山田文隆は東京から戻って三星へ入社、すぐトンボ帰りで東京へ戻り、川口の駅前にあったサッポロビールの工場・研究施設でビールつくりについて研鑽を重ねました。各地にできた地ビールの醸造家(ブリュワー)の多くが、歴史あるこの施設で、じっくりとビール造りの基本と文化とを学んで、地方へ散っていきました。山田文隆も一宮に帰って「尾張ブルワリー」の醸造責任者に就任します。 

 彼は醸造責任者でしたが、 「にぎわい広場」では三星のスタッフたちとともにビールの世話をし、注ぎ、料理や飲み物を提供し、洗い物をし、テーブルを拭いて整理し、掃除していました。私はここで彼と出会い、地ビール工場へ行って話を聞いたりするようになり、また一緒に様々なまちづくり活動へ一宮のビールを出していくことになります。ここから、一宮ビールのストーリーが始まりました。


地ビールと冷奴問題

 地ビールは1994年の税制改正で誕生しましたが、1999年当時、まだまだ知名度も理解度も弱く、醸造家も手探り状態。今ではフェスとかマルシェで一般化した野外イベントも、まだまだ散発的で、その運営手法も手探り状態。こうした状況下で、「にぎわい広場」でも、厨房施設を備えたコンテナ数台で飲食物を提供する、巨大イベント風でした。

 画像の奥、青いコンテナの中、中央あたりに小さく写る後姿の男性が、当時の山田ブリュワーです(2000年7月20日) 。今回、画像を発掘していてやっと見つけました。 

 様々なまちづくり活動をしていた私たちは、この地ビールを、一宮のまちづくりの大切な資源にしたいと強く思いました。

 しかしその頃の地ビールへの評価は(全般的にも)「高い!」「濁っている!」「(喉に)引っかかる!」そして「このビールで冷奴が食えるか!」と言ったものでした。この「冷奴」問題は、山田文隆を随分悩ませたようです。ビールって何だろう、どうあるべきだろう、どう開発していこうか、どう日本人に合うのだろう・・・ この時代の悪戦苦闘の中で、今の一宮ビールに繋がる味の基本、骨格、グランドデザインが培われたと、私は考えています。

 この後も、幾度かの試練を乗り越えて現在まで生き延びた一宮のクラフトビール。冷奴にも合うベーシックな味わいながら、奥深くに個性を埋め込んだビール。

 そんな一宮ブルワリーのクラフトビールですが、繰り返し飲みたい、持って帰りたいと言われても、余りに小さい4坪のナノブルワリーで、瓶詰めの許可が取れずに10年が経ってしまいました。何年もの間、繰り返し方策を考え議論する中で、税務署や保健所の支援も受けて今やっと、お土産やプレゼントとしてお持ちいただけるよう「TOGO(持ち帰り)」化へ向けて奮闘しています。

 どうぞ皆様、この「TOGO(持ち帰り)」化 をご支援ください。

 また、さらに多くの方々に私たちのこの動きを拡散してお伝えいただきますよう、お願い申し上げます。

 末尾に再度、様々なご支援をいただいている皆様に御礼申し上げます。
 本当にありがとうございます。


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