プロジェクトがスタートして3日
24000円ののご支援をこちらで頂き
振込で10000円の
合計34000円のご支援を頂きまして、本当に本当にありがとうございます。
自身が被災したと記載しておりますが
わたしが被災した東松島市の野蒜は
死亡者数3位の、平地が多い町でした。
座ってもいられなかった地震の恐怖
今にも自分の身体まで到達しそうな、汚濁の津波
あの日は雪が降り、ものすごく寒い日でした。
運良く救助ヘリで運ばれ、避難所に降ろされたものの、一枚の毛布を持ちながら、ふらふらと体育館をさまよっていました。
体育館にある暖房器具は2つ。
とにかく寒かった。あの日。
身体が温まれば
ココロすこしは温かくなるはず。
そして、みなさんの温かいメッセージが、こころに希望をもたらす。
既に300枚ほどのメッセージカードが私の手元に届いております。
現在、被災後に受けた精神的なもので、障害者年金を申請するところです。
でも、どおしても、今年の3.11に届けたいんです!!
被災したからって
このように活動しなきゃいけないわけでもなく、自分がやりたい!やらなきゃ!と思って始めた活動ですが、今年の3.11で6年半の活動になります。
活動する中で
まだやってんのかよ!と、罵声を浴びせられる事もありますが、それでも私は伝えたいし、続けたい。
一人での未熟な活動だとはわかってます。
今回ご支援頂いた方から
『震災後すぐ、たまたま持っていたホッカイロを被災された方に渡された方がおられ、その方から、想いを届けてください!』と、コメントをもらい、自然と涙が出てしまい。。
たくさんの方々に支えてもらい
今があると確信しました。
これからも
よろしくお願いします。