はじめに・ご挨拶
まずは、このページを見てくださった方々に感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
はじめまして。中央大学法学部3年の山本悠雅と申します。現在は、交換留学で、開発学分野において世界一の教育水準を誇るイギリスのサセックス大学にて、国際開発学を学んでいます。
ハワイアンブルーの憂鬱(超短編小説)
まずは、僕の文章を読んでいただきたいです(全部でなくてもかまいません)。大学二年生の夏に執筆した超短編小説です。これはフィクションにおける描写ですが、このような筆致の持ち主であることの参考にしていただけると幸いです。→「書を捨てよ、町へ出よう」-このスローガンが、僕の心のうちにあった計画を行動に起こすきっかけを与えてくれました。僕の中にある「自明性を破りたい」芸術家的な魂に、バチバチと青い火花が散っています。しかしながら、僕は、「書を捨てよ、町へ出よう、そして書に記そう」という先に述べたそのスローガンの延長線上に、筆を持ちたいと思いました。
このプロジェクトで実現したいこと
僕は、このプロジェクトにおいて、2023年1月1日より、ポルトガルのリスボンから、ギリシャのアテネまで一か月をかけて、ヨーロッパを横断(20か国28都市を経由)し、その旅の中で見聞きした経験から、ずばり現代版「西方見聞録」のような紀行文学を執筆する夢に挑戦したいと考えています。この紀行文学を通じて、「ヨーロッパ」「西洋」や、あらゆる「民族」のカテゴリーでは見えづらいその内にある生活空間の多様性を伝えていきたいと考えています。(詳しくは、「なぜ、この時代に『西方見聞録』が必要なのか」をご参照お願い致します。)
基本的には、移動時間などを活用し、旅の最中に「草稿」を執筆、帰国後にその加筆・校正等を行っていく予定です。
自己紹介・プロジェクトの背景
こんにちは。中央大学法学部3年の山本悠雅と申します。おそらく人並みよりは本好きで、あらゆるものへの知的好奇心が旺盛な21歳です。特に、哲学や文学、美術に対する愛情は強く、僕の本棚は、日本近代文学、世界文学、哲学の列のお気に入りの棚や、画集、作品集、新書、岩波文庫、専門書等であふれかえってしまっています。
一方、大学では、主に国際法や国際政治の視座を通して、「民族紛争において生じる悲惨さをいかにしてなくしていけるだろうか」という問いに日々向き合っています。そして、現在は、ミャンマーのカレン民族という少数民族の研究から芽生えた問題意識に基づき、国際開発学の視点を学ぶため、2022年9月より、イギリスのサセックス大学に留学をしております。もちろん、このような学問的な背景が「ヨーロッパ」「西洋」への興味・好奇心の基盤にあることは確かではありますが、このプロジェクトを立ち上げる上で、「もう一つ」重要な背景があります。
それは、僕が、北海道の「利尻島」という日本の最北端に位置する小さな島の出身であることです。というのも、ここイギリスにたどり着くまでの遠く長い道のりの中で生まれた問いに、このプロジェクトを意義づける重要な要素があります。
それは、ずばり「民族」とは何であろうか。という根本的な問いです。
僕は、札幌の高校に進学するまでの15年間、北海道の利尻島という海と山に囲まれた自然豊かな大地の下、育ちました。北海道(アイヌモシリ)は、アイヌ民族が先住していた地域でもあるため、「日本人が単一民族である」という支配的な風説には、ある程度、敏感な教育を受ける風土でもあります。
また、小中の社会科目で習うような「歴史」では、710年に平城京が~、源頼朝が鎌倉幕府を~云々、明治維新が近代化を推し進め、日清・日露戦争に勝利し~、太平洋戦争で敗戦を喫し~云々というようなことをもちろん学ぶのですが、いわゆる「歴史」の主要な舞台である本州から遠く離れた孤島に育った少年には、どうにもその「歴史」が自分には縁遠い壮大な叙事詩のようにしか認識できませんでした。というのも、島の地平線の向こう側、さらにいうと北海道を取り囲むその地平線の先をほとんど経験していない(島の小中学校の修学旅行は北海道で完結してしまう)僕からすれば、教科書に出てくるような地名には、縁やゆかりを感じづらく、どんな風土で、どんな景色に囲まれて、どんな「場の空気」(ある民族に特有の伝統的な発想や心的秩序のようなもの)や「臨在感」(物質の背後に臨在している何か)の下、このような出来事が繰り広げられたのだろうか、ましてや、そのような歴史観が強く影響を及ぼす「日本人」という「民族」とは一体何だろうか。と考えざるを得ませんでした。
「日本人」でありながら、「日本人」とは何だろうか、さらには、そもそも日本人という括りを規定する「民族」というカテゴリーとは何であるか。
このような問いを生み出した少年時代が、「ウクライナ侵攻」が起きているこの21世紀で、今まさに「ヨーロッパ」「西洋」という大きなカテゴリーに、そして、あらゆる「民族」に対して、構造的に類似した疑問符を投げかけ、僕に「西方見聞録」という紀行文学を執筆することの動機を与え、またその使命を感じるようになりました。次項でその点について更に詳しく述べていきます。
なぜ、この時代に『西方見聞録』が必要なのか?
1271年、イタリア・ヴェネツィアの商人であるマルコ・ポーロは、叔父と共に24年間に及ぶ、東方アジア各国への旅を行い、その旅の中で見聞きした体験を、その後、母国の戦争に巻き込まれ捕虜にされその獄中の中で出会った、作家のルスティケロ・ダ・ピサに語り、彼がそれを書き記す形で「東方見聞録」は生まれました。そしてその記述は、探検家クリストファー・コロンブスの野心を掻き立て、彼を大航海に駆り立てることになりました。
そして、僕が今回のヨーロッパ横断で成し遂げたいのは、我々日本人から見て「西方ヨーロッパ」の地での経験を描く「西方見聞録」のような紀行文学の執筆です。しかしながら、現代では、ヨーロッパに関する情報もネットに氾濫しており、だれでもアクセスできるようになり、学校教育においても「世界史」という歴史が編纂され、なぜ改めて「西方」を描くことを成し遂げたいのか。そこに疑問を感じられる方がおられると思います。
この疑問に対し、まさに、前項で述べた「民族」というカテゴリーへの問い、特に「ヨーロッパ」「西洋」という括りに対する問いが重要な意味を持つように僕は感じます。というのも、ここ「ヨーロッパ」という地域は、歴史において幾度も地球全土への影響を及ぼしかねない戦乱の中心となってきました。
第一次世界大戦の引き金となった「バルカン半島」問題や、第二次世界大戦における「連合国」と「枢軸国」の間の激しい対立、冷戦期においては、資本主義陣営(アメリカ)と共産主義陣営(ソ連)の地理的な境界(鉄のカーテン)がひかれ、そこに民族的な分断と現在のEUの成立に繋がっていく統合の動きがみられ、そのようなイデオロギー的基盤を失くした冷戦の世界では、一種のアイデンティティ・クライシスの中、「民族」というカテゴリーが力を持ち始め、東欧各地で民族運動が高まり、またも「バルカン半島」において、凄惨な「旧ユーゴスラヴィア紛争」が勃発しました。そして、今まで見てきたような歴史的な遺恨は21世紀においても後を引き、2004年には、ウクライナで、「ヨーロッパ(EU)か ロシアのいずれを将来的に重要視するかという選択を大きく左右する大統領選挙における不正に抗議するオレンジ革命が起き、2014年には、クリミア危機、2022年2月24日からは、ロシアによるウクライナ侵攻が現在も進行しています。そして、プーチン政権は、キエフ公国以来のロシア人とウクライナ人の「民族」的な同質性をいまも主張しています。
果たして、「民族」とは何なのでしょうか。そして、「ヨーロッパ」「西洋」という大きな括りは、私たちに何か整理しやすい世界の切り分け方を与えてくれるものの、この単語たちの示す括りの中に、私たちはどれだけメスを入れて考えることができているのでしょうか。
日本にいる私たちは、教科書的な記述に書いてあるように、「ヨーロッパ」「西洋」対「ロシア」や、「セルビア人」と「クロアチア人」と「スラブ人」というカテゴリーに基づいて、こういう言語とか宗教の違いがあったから、争ったのだ。と整理して分かった気になっていますが、もっとその「民族」的カテゴリーやそれに付随する特徴は、もっと詳細な編目を持ち、そこには彼らの生活空間があり、さらに分解し得るものなのではないのでしょうか。
つまり、日本にいる私たちには、一つのカテゴリーの内に秘められた多様性を探求するための体験が不十分であり、または、そうした微妙な「違い」に係る問題に対する感性の鈍さがあるように思えるのです。
(哲学的に言えば、現象として我々の下に立ち現れてくる「西洋」「ヨーロッパ」のあらゆる「民族」が、いかにして彼ら自身の生活世界においてその主観的確信を与えているのか、また僕の現前にある条件や構造を伴った主観的確信として現れてくるのか、という意味で、現象学的に彼らの生活空間を短期間で見比べ、新たに「ヨーロッパ」「西洋」や「民族」というカテゴリーを問い直し、その経験や感覚を日本にいる方々に届けたいのです。)
このような現代的な意義の下で、ヨーロッパ横断を敢行しながら、いろいろな国の生活空間を体験することにより、現存するカテゴリーの「自明性」にメスを入れることができ、なおかつ誰もが読みやすい記述形態である「紀行文学」を執筆することは、我々の今直面する国際問題を問い直す一つの興味深い視座を提供できるのではないかと思っています。まさに、このことが、僕が「書を捨てよ、町へ出よう」という青臭い情熱を、ここ西方の地で発揮する意義であると考えています。
重要な目的地の具体例
アンネ・フランクの家ーアムステルダム(オランダ)
ユダヤ人迫害から逃れるためフランク一家が潜伏生活を行った誰もが知る『アンネの日記』の舞台となった家です。彼女の「語り」は、現代を生きる私たちへ、アクチュアルな「ホロコースト」の記憶を投げかけ、二度と繰り返してはいけないことを再確認させてくれます。彼女の「語り」の歴史的な力強さを、現存するその空間に身を置き、体験したいと考えています。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所―クラクフ(ポーランド)
名前を聞いたことのない人はおそらくいないでしょう。第二次世界大戦中、人種差別に基づく強制労働・絶滅政策によって最大級の犠牲者を出した強制収容所です。ヨーロッパは、この「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」の記憶なしには語ることはできません。実際に収容されていた精神科医V.E.フランクルが『夜と霧』で指摘した、囚人たちの絶望、個性や主体性を剥奪する収容所のシステムによる没価値化(人間ではなく単なる肉の塊になってしまった感覚)、そして、与えられた現実にどう振る舞うのかという「最後の自由」にまで行き着くほどの極限状態、そんな「いい人は帰ってこなかった」(V.E.フランクル)過酷な現実は、どのような「場の空気」のもとで繰り広げられたのでしょうか。
ボスニア・ヘルツェコビナ歴史博物館ーサラエボ(ボスニア・ヘルツェコビナ)
サラエボの街を東西にまたがる大通りは、セルビア人狙撃手にとって見晴らしがよく狙撃しやすかったことから通称「スナイパー・ストリート」と呼ばれており、ここで多くの一般市民を含めた人々が狙撃され、命を落としたとされています。そんな大通りに位置するこの小さな博物館には、ボスニア紛争の写真、遺物そして外壁には銃弾の痕が残っているようです。旧ユーゴスラヴィア紛争に伴う民族間の対立とボスニア独立の過程で、多くの死者を出し、また多くのボシュニャク人女性がレイプされ、強制出産をさせられるという悲劇を生み出したこのボスニアの街を歩くことは、「ヨーロッパ」と「民族」を考えていくうえで必要不可欠です。
クロアチア紛争博物館ードゥブロブニク(クロアチア)
ドゥブロヴニク旧市街地を見下ろすことのできるスルジ山にあるクロアチア独立戦争を追体験できる展示品、写真、動画を見ることのできる博物館です。また、セルビア人とクロアチア人の間での民族的な対立感情が明らかになるきっかけとなったのは、ある一つのサッカーの試合での観衆同士の衝突であった(1990年ディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラード戦での暴動)とも言われており、「スポーツ」の熱狂が、いかにして「民族感情」と結びつけられたのか、についても興味深く、示唆に富む体験ができると考えています。
とても偶然ではありますが、僕は、11月初旬に、ロンドンにて、そのディナモ・ザグレブとのサッカーの試合を現地で観戦していましたが、ザグレブサポーターの応援は、イングランドのリーグではあまり体験することのない独特のリズムに乗せたリズミカルなチャントで、アウェイチームながらも、かなりの存在感を示していました。
エミン・グジク民族学博物館 / コソヴォ博物館―プリスティナ(コソヴォ)
旧ユーゴスラヴィア連邦を構成していた「セルビア共和国」の中には、アルバニア系住民の多い「コソヴォ自治州」があり、彼らのほとんどが、ムスリム(イスラム教徒)でもあったため、宗教的にもセルビア正教会(キリスト教)からの分離独立を求める声が高まり、1991年には完全独立を要求し、セルビアとの間で紛争が勃発することになりました。また、1999年には、コソボの自治、アルバニア人の人権擁護を掲げた「西洋」諸国主導の「NATO(北大西洋条約機構)空爆」が実施され、いまでも「人道的介入」の議論などにおいてよく参照されています。さらに、最近の「ウクライナ侵攻」における議論においても、「NATO」はどのように立ち振る舞うべきであるかは重大な論点になっています。
上記の博物館では、このような歴史的な過程の中で、コソヴォ自治州がいかにして独立を主張し、民族的な独自性を謳ってきたのかに関する重要な資料が展示されており、マクロ視点で見る「ヨーロッパ」あるいは国際社会全体の「パワーゲーム」のような側面と、ミクロな視点で見る「民族的独自性」「民族的闘争」のような側面とが交差する極めて現状に通ずる重要な示唆を与えてくれるであろうと考えています。
資金の使い道
本来は、奨学金で獲得した留学資金に加えて、この横断計画のために、バイト代等で貯めた約20万円の自己資金をこの計画と一部留学資金に充てる予定でしたが、ウクライナ侵攻によるエネルギー危機・円安ポンド高(1ポンド=171円台にまで及ぶ高騰)による影響で、留学にかかる費用(特に家賃・食費・水道光熱費などの生活費)が高騰し、この計画に充てる十分な予算が確保できなくなってしまいました。また、イギリスでのアルバイト等も考えたのですが、1セメスター留学のため、就労ができないVISA(Visitor VISA)で滞在しており、資金収集が困難な状況です。
しかしながら、この計画の実行を、イギリスに来ている間であれば、渡航費等も節約できることなどからも、このタイミングでの実行をあきらめたくなかったため、クラウドファンディングにて支援を募ることを決心しました。(本プロジェクトでは、All-in方式で募り、十分な資金が得られなかった場合であっても、移動行程の省略や宿泊費、食費等のさらなる節約を通じて、予算の範囲内で実行し、リターンも実行する予定です。)
本プロジェクトにかかわる予算は、以下のとおりです。
今回の支援金
交通費:96243円
宿泊費:£20×30 days=88200円(£1=168, Oct 18, 2022)主に、ユースホステル、ゲストハウス及びCouch surfinの利用を考えています。
製本費(180頁前後の予定):40290円 -60冊分にかかる製本費(目標金額に対する5000円以上リターンの最大数)製本直送.comの料金シュミレーターにて算出
リターン諸経費の一部(送料等):19167円
手数料:56100円(CAMPFIRE手数料17%に加え、その手数料の消費税分10%)
合計:300000円
自己負担
食費:£10×31 days=45570円(一食:£3.3=約500円)
雑費(市内交通費、その他入場料等):30000円
実施スケジュール
現時点で計画している旅程とスケジュールは以下のようになります。
日時:2023年01月01日-02月01日(予備日・調整日が4日分あります)
出発地・帰還地:ロンドン(イギリス)
リスボン(ポルトガル)→バルセロナ(スペイン)→カルカッソンヌ(フランス)→パリーヴェルサイユ(フランス)→ブリュッセル(ベルギー)→アントワープ(ベルギー)→テン・ハーグ(オランダ)→アムステルダム(オランダ)→ケルン(ドイツ)→ベルリン(ドイツ)→ドレスデン(ドイツ)→プラハ(チェコ)→クラクフ(ポーランド)→ブダペスト(ハンガリー)→ブラティスラヴァ(スロヴァキア)→ウィーン(オーストリア)→インスブリュック(オーストリア)→ヴェニス(イタリア)→リュブリャナ(スロヴェニア)→ザグレブ(クロアチア)→サラエボ(ボスニア・ヘルツェコビナ)→ドブロヴニク(クロアチア)→コトル(モンテネグロ)→プリスティナ(コソヴォ)→スコピエ(北マケドニア)→ティラナ(アルバニア)→アテネ(ギリシャ)
※ドブロヴニクへの旅程は、日程が順調に進んだ場合は、セルビア方面への変更も検討しています。また、予算等の関係で旅程は変更される可能性がございますのでご了承ください。
2023年2月6日 日本へ帰国
2023年3月中旬 加筆・校正 終了予定(製本発注・Kindle出版申請)
2023年4月中まで リターン完了
リターンについて
紀行本完成後、全支援者のお名前を記載させていただきます。
1500円
・メールにて、サンクスレターをお送りさせていただきます。
サンクスレターには、僕が旅を通して出会った印象的な言葉をランダムで添えて送ります。
3000円
・メールにてサンクスレターを送りさせていただきます。
サンクスレターには、僕が旅を通して出会った印象的な言葉をランダムで添えて送ります。
・ヨーロッパ横断に挑戦している僕への質問を一人一つずつ受け付けます!備考欄にお書きください!(Instagramにて日々の様子に加えて、その回答も併せて少しずつ発信していきます)※公序良俗に反する質問等は回答することができません。
5000円
・メールにてサンクスレターをお送りさせていただきます。
出来上がった書籍を1冊お送りさせていただきます。(原則、送料はこちらで負担します)
・ヨーロッパ横断に挑戦している僕への質問を一人一つずつ受け付けます!備考欄にお書きください!(Instagramにて日々の様子に加えて、その回答も併せて少しずつ発信していきます)※公序良俗に反する質問等は回答することができません。
10000円
・メールにてサンクスレターをお送りさせていただきます。
出来上がった書籍(直筆メッセージ付き)を1冊お送りさせていただきます。(原則、送料はこちらで負担します)
・ヨーロッパ横断に挑戦している僕への質問を一人一つずつ受け付けます!備考欄にお書きください!(Instagramにて日々の様子に加えて、その回答も併せて少しずつ発信していきます)※公序良俗に反する質問等は回答することができません。
25000円
・直筆でのサンクスレターをお送りさせていただきます。(現地からのポストカード)
・出来上がった書籍(直筆メッセージ付き)を1冊お送りさせていただきます。(原則、送料はこちらで負担します)
・ヨーロッパ横断に挑戦している僕への質問を一人一つずつ受け付けます!備考欄にお書きください!(Instagramにて日々の様子に加えて、その回答も併せて少しずつ発信していきます)※公序良俗に反する質問等は回答することができません。
50000円
・直筆でのサンクスレターをお送りさせていただきます。(現地からのポストカード)
・出来上がった書籍(直筆メッセージ付き)を1冊お送りさせていただきます。(原則、送料はこちらで負担します)ささやかなヨーロッパからのお土産も同封させていただきます。
・ヨーロッパ横断に挑戦している僕への質問を一人一つずつ受け付けます!備考欄にお書きください!(Instagramにて日々の様子に加えて、その回答も併せて少しずつ発信していきます)※公序良俗に反する質問等は回答することができません。
最後に(アフター・プロジェクト)
横断終了後の2023年に2月6日に日本に帰国します。現時点では、Kindle(オンライン書籍)での出版を予定しております。また、旅の様子は、動画でも収めておく予定なので、帰国後に、編集し、順次、動画媒体での発信も検討しています。(Instagramでは、ほぼリアルタイムで旅の経過を発信していきます。)
書を捨てて、町へ繰り出そうとしている、この若き青年にどうか夢を叶えさせてください!
SNS関係
Instagram: yuga_karelufe
Twitter: @yugammy
Note: https://note.com/yugammy
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
ライセンス関連
名称の表記等について:著作権法51条2項及び60条(著作権に関する規定及び著作者人格権に関連する規定)、商標法、著名人のパブリシティ権に関連する判例(ダービースタリオン事件判決理由)等を参考にしております。
本文画像:筆者が撮影・作成・編集しました。
ジャケット画像:筆者が(イラスト含め)作成しました。
サブジャケット画像:Pexel 商用可能・著作権フリー画像を使用しています。
→https://www.pexels.com/ja-jp/
ライセンス規約についての詳細はこちらを確認してくだい。
→https://www.pexels.com/ja-jp/license/
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2023/10/28 12:46こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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2023/06/27 06:06こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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2023/01/03 01:09支援者の皆様へ本プロジェクトは、2022年12月31日に総勢59名の支援者様より、“303500円“(101%)のご支援が集まり、SUCESSしました。この結果は、大きく自らを自信づけるものとなり、たくさん寄せられた応援の声は、僕の大きな一歩への後押しになりました。改めまして、この度は、多くのご支援、拡散など様々な形でご協力いただき本当にありがとうございました。人のつながりの力強さと、沢山の周りの人に恵まれている自分の矮小さを再確認できた一ヶ月間でした。予定通り、1月1日、ポルトガルのリスボンから旅が始まりました。旅の様子は、instagramにてリアルタイムで発信していますので、ぜひご覧いただければ、共に旅している気分を味わえるかと思います。僕がまさにこの社会に問おうとしたことが、このように興味をそそるものとして、応援したくなるものとして多くの方に受け取ってもらえたことは、僕の若さゆえの情熱の灯火をさらに激しくさせてくれています。Instagram: yuga_karelufe僕らが当たり前だと思っている事物のイメージ、認識に疑問を投げかけること、たまにはそれらをありのまま受け取ってみること、そんなことの積み重ねがいかに僕らの世界に影響し、逆に僕らが世界に影響できるのか、ヨーロッパのさまざまな生活空間を観察し、「西洋」というものの解体を通じて、そんな僕のコンセプトを込めた紀行文学を書ければ、それ以上のものはないと思っています。ただ、こうしたコンセプトも現地に行ったことのない僕のものであり、予想を超えるまたは仮説とは全く違うような世界が待っているかもしれません。そんなことも含めて、僕の学びであり、それがヨーロッパであることを書き上げてみたいと思います。追記:今回、旅の出発前に、大学へ提出したゼミ論文で僕が書いたテーマは、「アイヌ民族と日本の植民地主義」についてでした。日本は単一民族である。と一般的に考えられていた時代もありましたが、歴史的な再検証をすると、こうした風説は、現在では多く考え直されています。現状そうなっているのは、彼らが日本人だったからでもなく、彼らにそうさせざるをえない状況を作り得たからという考え方があります。ラファエルレムキンという「ジェノサイド」という言葉の生みの親は、こうした状況を作り出し、ある集団のアイデンティティそのものを破壊する意図をもっとあらゆる技術を本来は「ジェノサイド」と定義していました。そして、そうした関係性の上での、エピステミサイド(認識論的殺戮)の歴史という文脈に言及した論文を書きました。(かなり抽象的になるので、難しい話はここでは書きません。)ただ、このような日本人にとって比較的身近な問題に立ち向かってみても、どれだけ僕らの認識の中で、「民族」などの言葉が世界の認識の仕方に影響を与えているのかについて考えさせられます。(民族と聞くと、日本人のみなさんはアフリカや太平洋諸島の鮮やかな衣装を来た人々を思い浮かべるでしょうか?「文明」が発達していなかった頃の人を思い浮かべるでしょうか?)言葉とは、僕らに最も近く、それ以上に遠いものでもあるのです。そんなことを楽しみながら読める形で、皆さんに体験していただけるような本になることも現状の目標ではあります。日本の歴史の中に、「異民族」に対する「ジェノサイド」があったといえる可能性のある歴史がある。と言われた時、あなたはどう感じますか?僕らの思っている「日本人」や「民族」はどこからやってきたのだろうか?そんなことを考える人もいるかもしれません。第二次世界大戦を考える上でも、事実の検証それ以前に僕らがどのようにその事実を知ろうとしているのか、どのような事実が僕らにとって都合よく選び取られているのか、そんなことを問い直すことが現代は更に重要であると思います。自分自身、再び何かを「知る」自分を問い直すきっかけになればいいなと思いつつ、そうしたきっかけを皆様に提供できる本にもなれればいいなと感じています。改めまして、この度は、クラウドファンディングを通じて、情熱を後押ししてくださった方々全員に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。ギリシャのアテネで笑った姿で終えられるよう、無理はしすぎず、自分のペースで旅を進めていきたいと思います。引き続き、プロジェクト報告も定期的にさせていただきますので、よろしくお願いいたします。Obrigado(ポルトガル語: ありがとう)山本悠雅 もっと見る
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