支援者の皆様へ
本プロジェクトは、2022年12月31日に総勢59名の支援者様より、“303500円“(101%)のご支援が集まり、SUCESSしました。この結果は、大きく自らを自信づけるものとなり、たくさん寄せられた応援の声は、僕の大きな一歩への後押しになりました。
改めまして、この度は、多くのご支援、拡散など様々な形でご協力いただき本当にありがとうございました。人のつながりの力強さと、沢山の周りの人に恵まれている自分の矮小さを再確認できた一ヶ月間でした。
予定通り、1月1日、ポルトガルのリスボンから旅が始まりました。旅の様子は、instagramにてリアルタイムで発信していますので、ぜひご覧いただければ、共に旅している気分を味わえるかと思います。僕がまさにこの社会に問おうとしたことが、このように興味をそそるものとして、応援したくなるものとして多くの方に受け取ってもらえたことは、僕の若さゆえの情熱の灯火をさらに激しくさせてくれています。
Instagram: yuga_karelufe
僕らが当たり前だと思っている事物のイメージ、認識に疑問を投げかけること、たまにはそれらをありのまま受け取ってみること、そんなことの積み重ねがいかに僕らの世界に影響し、逆に僕らが世界に影響できるのか、ヨーロッパのさまざまな生活空間を観察し、「西洋」というものの解体を通じて、そんな僕のコンセプトを込めた紀行文学を書ければ、それ以上のものはないと思っています。ただ、こうしたコンセプトも現地に行ったことのない僕のものであり、予想を超えるまたは仮説とは全く違うような世界が待っているかもしれません。そんなことも含めて、僕の学びであり、それがヨーロッパであることを書き上げてみたいと思います。
追記:
今回、旅の出発前に、大学へ提出したゼミ論文で僕が書いたテーマは、「アイヌ民族と日本の植民地主義」についてでした。日本は単一民族である。と一般的に考えられていた時代もありましたが、歴史的な再検証をすると、こうした風説は、現在では多く考え直されています。現状そうなっているのは、彼らが日本人だったからでもなく、彼らにそうさせざるをえない状況を作り得たからという考え方があります。ラファエルレムキンという「ジェノサイド」という言葉の生みの親は、こうした状況を作り出し、ある集団のアイデンティティそのものを破壊する意図をもっとあらゆる技術を本来は「ジェノサイド」と定義していました。そして、そうした関係性の上での、エピステミサイド(認識論的殺戮)の歴史という文脈に言及した論文を書きました。(かなり抽象的になるので、難しい話はここでは書きません。)
ただ、このような日本人にとって比較的身近な問題に立ち向かってみても、どれだけ僕らの認識の中で、「民族」などの言葉が世界の認識の仕方に影響を与えているのかについて考えさせられます。(民族と聞くと、日本人のみなさんはアフリカや太平洋諸島の鮮やかな衣装を来た人々を思い浮かべるでしょうか?「文明」が発達していなかった頃の人を思い浮かべるでしょうか?)言葉とは、僕らに最も近く、それ以上に遠いものでもあるのです。そんなことを楽しみながら読める形で、皆さんに体験していただけるような本になることも現状の目標ではあります。
日本の歴史の中に、「異民族」に対する「ジェノサイド」があったといえる可能性のある歴史がある。と言われた時、あなたはどう感じますか?
僕らの思っている「日本人」や「民族」はどこからやってきたのだろうか?そんなことを考える人もいるかもしれません。第二次世界大戦を考える上でも、事実の検証それ以前に僕らがどのようにその事実を知ろうとしているのか、どのような事実が僕らにとって都合よく選び取られているのか、そんなことを問い直すことが現代は更に重要であると思います。自分自身、再び何かを「知る」自分を問い直すきっかけになればいいなと思いつつ、そうしたきっかけを皆様に提供できる本にもなれればいいなと感じています。
改めまして、この度は、クラウドファンディングを通じて、情熱を後押ししてくださった方々全員に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
ギリシャのアテネで笑った姿で終えられるよう、無理はしすぎず、自分のペースで旅を進めていきたいと思います。
引き続き、プロジェクト報告も定期的にさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
Obrigado(ポルトガル語: ありがとう)
山本悠雅