ギリシャ神話の美しいニンフ、シランクスは、
半人半獣の牧神パンに見初められ追いかけられます。
シランクスは川まで逃げますが、捕まった時に川辺の葦に身を変えます。
それを悲しんだパンは、葦を何本か刈り取って、
長さの違う筒を組み合わせ笛を作りました。
その笛をシランクスと名付け吹いた、と言うのが「パンの笛」の話しです。
ドビュッシーは、1913年、
舞台の付随音楽としてフルート独奏曲「シランクス」を作曲しました。
古今のフルート作品の中でも特に優れた名曲です。
初めて茂林寺沼を見た時の衝撃は忘れられません。群生する葦、手つかずの湿原と森、
野鳥や植物や鴨の群れ、沼の畔にある茅葺きの狸寺。
この沼が日本遺産で、この寺が分福茶釜の寺と知らずに訪れたので感動はひとしおでした。
なんとかこの街に住めないだろうか・・・。
金策に奔走し、防音室2つは諦めて1つにしました。
8/16の内覧から目まぐるしく準備をし、8/31に契約、9/13に防音工事着工しました。
福岡で防音室を作ってくれた信頼できる職人に館林まで来てもらい、
当初川越でやるはずだった工事のスケジュールに、ギリギリのところで間に合いました。
福岡で20年積み上げた仕事、人脈、お弟子さん、全てを置いて川越に来て、
思いも寄らないことで住めなくなり、満身創痍、
羽を痛めて飛べなくなった白鳥の様な状態で、館林に辿り着きました。
1年に2回も引っ越しをするとは思いませんでした。しかもグランドピアノ2台を持って。
こうして、2021年11月1日から、館林での生活が始まりました。
川越で起きた3つの苦悩から解放され、安らかな生活になりましたが、
次考えるべきは、ここ館林で音楽家としてやっていけるか、ということでした。
人が幸福を感じる時というのは、多かれ少なかれ、
他者からの評価に依存している面があります。
例えばサラリーマンなら昇進や昇給、音楽家なら賞賛、アスリートなら勝利、
他には結婚や出産や受験合格などでしょうか。
僕もこれまで生きて来て、幸福の多くはそういう成功体験だと思っていました。
でも館林に来て、まず感じたことは、
あるべき自然の美しさが身近にある、人は自然と生きている、ということでした。
若い時は誰でも都会に憧れます。
港区の豪奢でお洒落な街並みや、お台場の人工的な美しさも素敵です。
館林で暮らし始め、すぐに自分の気持ちの変化に驚きました。
自然に触れるだけで幸福を感じられたのです。
誰かに評価されるわけでもなく、
ただ風の薫りに悦び、緑に癒され、朝陽に心奪われ、夕陽に涙し、月夜に心洗われ、
毎日空を見上げるだけで幸福になれたのです。
そんな気持ちが、「里沼の記憶」を生み出しました。
満身創痍の夏が、安らぎの秋へ解決しようと、音楽的な力が働きました。
音楽も詩も、館林の自然から生まれたのです。
一方、引っ越しが落ち着いた直後から母の容体が急変し、寝たきりになってしまいました。
時々は泊まりに来られる様に、母の部屋も用意していたのに、
一度も来ることなく、川越に会いに行っても起き上がれない状態。
なんとか快方に向かって欲しいと願い、祈りましたが、
2/26に亡くなりました。
「里沼の記憶」が完成したのは、ちょうど2月中旬だったので、
楽譜に書く作曲年月日を、2022年2月26日として、棺に楽譜を納めて見送りました。
深い悲しみと寂しさと感謝の中で、母を思う作品が次々と生まれました。
親を失うことは、自分の生き方が変わることだと知りました。
母が連れてきてくれた街、沼辺にパンの笛-シランクス-が群生する街、
この美しい館林を故郷と思えるよう、思ってもいい人間になれるよう、
この歌曲と共にこの土地と暮らしていこうと思っています。
(完)
エピローグ
昨年12月26日から本日まで、お力添えいただいた方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげでPV制作費用の多くを補填できそうです。目標100%達成は難しそうですが、私のできる範囲で、今後の事業の一部分でも実現し、館林を音楽の街にしていきたいと思います。いつかぜひ、館林へ観光にいらしてください。