たとえどんなに濃く化粧をしていようと、やっすい化粧落としシートを買って、そのまま寝てしまう夜がある。化粧落としシートはなぜか一晩限りで部屋のどこかへ消えてしまうので、そんな夜を何度も送ったりするはめになる。シートだけで化粧を落とし、あーとかうーとか言いながらいままで大事にしてきた、ちょっとニキビ跡のある肌の手入れを怠る夜が人にはある。わたしはその夜の先に病気になった。こらから先を書くのは、病状が少しずつ良くなってきたからだ。いまわたしは、月に何度かクリニックに行き、やさしいやさしい、苗字しかしらない先生を信じて、大量のよくわからない薬をもらって眠る。多少良くなるけど、やっぱり中途覚醒や悪夢は尽きない。それからすこしヒステリーになったり泣いたりする。その反面、昼間はとにかく暇だ。暇なんだから何かすれば良いと思うかもしれないけど、まず体になにか重い力がかかったように動かない。それから文字があたまに入らない。YouTubeで何かをみるけどたのしくない。映画は露骨に感動して泣くから鬱になる。それでもだ。わたしは、「自分は恵まれている」といった言い回しは大嫌いだけど(ほとんど必要のないときに言われる言葉だから。暴力だとおもう。恵まれてる人間は自覚しながら沈黙するべきだ)ここでは書く意味があるとおもうので書く。自分は恵まれている。先生も良いしうつ病に理解のある人間が周りに大勢いる、多すぎると言っても良いほど、そして良い環境を周りの人が作ってくれている。だから5月に公園で大泣きしたりしていたのが12月で薬を飲めば多少は落ち着くようになったのだとおもう。そこでふと、一度短歌に区切りをつけたいとずっと思っていたのを、今やってみようと思った。純粋にいままでの短歌をまとめたいし、そしてまとめれば多少短歌を作ったあの鬱々とした時間と離れられると思ったから。(短歌と離れるのは、たぶんむりだ。歌人はみんな、短歌と"離れる離れない"みたいな単純な関係でできてないとおもう。だから短歌をやってるんだろうし)わたしの短歌はとくに鬱々としたものが多い。もともと短調の曲が大好きで、チムチムチェリーのオルゴールを幼稚園の時に何度もまわした。あの、煙突掃除で煤だらけになった人形のうさぎのオルゴールが好きだった頃から何も変わっていない。でも短歌を作るときの鬱々として悲しくて切ない時間を少しだけ置いていきたい。本という形にすることによって。どうしてそうおもうんだろう?わたしは治療するうちに、人生のひかりと向き合っているのかもしれない。




