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小さな美術館×十代の居場所カフェ。ひとりぼっちをつくらない街の拠点をつくりたい

「家に居場所がない」「本当は学校に行くのがつらい」そうやって我慢をして、そのうち孤立してしまう若者たちがいます。そんな若者に無関心な大人がいます。だから、若者を支えていくまちづくりの拠点をつくっていきます。

現在の支援総額

1,501,500

60%

目標金額は2,500,000円

支援者数

137

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/01/04に募集を開始し、 137人の支援により 1,501,500円の資金を集め、 2023/03/10に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,501,500

60%達成

終了

目標金額2,500,000

支援者数137

このプロジェクトは、2023/01/04に募集を開始し、 137人の支援により 1,501,500円の資金を集め、 2023/03/10に募集を終了しました

「家に居場所がない」「本当は学校に行くのがつらい」そうやって我慢をして、そのうち孤立してしまう若者たちがいます。そんな若者に無関心な大人がいます。だから、若者を支えていくまちづくりの拠点をつくっていきます。

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返礼品に絵を使わせていただいている、西晴雲さんをご紹介します。

西晴雲さん(1882年-1963年)は、大田市久手町出身の南画家です。
「南画」とは、中国画の流派の一つです。
西晴雲さんは日本で南画を教わった後、中国に渡り、李白石や呉昌碩という当時の有名な南画家に学びます。1930年に上海南画院という学校をつくり、中国で南画を教えていました。
日本では鳥井信治郎(サントリー創業者)がパトロンとなり、主に関西で活動しました。

晩年は久手町に戻り、地元で西晴雲美術館創設の準備を進めました。
西晴雲美術館は西晴雲さんの没後に開館しましたが、平成の終わりに惜しまれつつ閉館しました。

西晴雲さんの絵は、勢いのある力強い筆の運びが特徴で、『昭和の鉄斎』とも評されていました。
中国の風景、特にジャンク舟と呼ばれる当時の交易船を描いた絵が代表的です。
大田市内では寺社の襖絵をはじめとしてたくさん絵を描かれており、「どこかで見たことある!」という人も多いかと思います。
地元では「うちに来て、ポン菓子を食べながら絵を描いていたよ」という方もおられます。
大田市内には掛軸などを持っておられる人も多いため、「珍しくない」と言われがちですが、実は日本を代表する南画家の一人です。

そんな西晴雲さんを多くの方に知っていただきたくて、所有者さんやご親族のご厚意により、製品化することとしました。

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