こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。
先日動画でも発信させていただきました、原口智生さんインタビューの模様をこちらの活動報告でも公開いたします。
原口さんは特殊メイクアーティスト・造型師として映像作品に携わり、特撮でも平成ガメラシリーズや仮面ライダーシリーズなど多くの作品に参加されてきました。さらには『さくや妖怪伝』『ウルトラマンメビウス』などでは監督・特技監督としても活躍されました。
またATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人であり、近年は過去の特撮作品のミニチュアやプロップを修復・復元する活動をされています。
原口さんはかつてピープロ特撮の撮影現場にも参加し、『快傑ライオン丸』のリメイク作品として2006年に放送された『ライオン丸G』でも、特撮ディレクター・造形を担当されています。今回はその原口さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際に見ていただき、ピープロに関する思い出や作品への熱い想い、写真資料を残していくことの意義についてたっぷり語っていただきました。
──フィルムをご覧いただいている間、原口さんご自身のピープロ作品に関する思い出も聞かせていただきました。
原口さんにとって、ピープロ作品はまずオンタイムで観ていた作品ということですよね。
原口 そうですね。ピープロ作品で、自分が最初にテレビで拝見したのは『マグマ大使』です。今はネットの時代なので、皆さんも色々とお調べになられていると思うんですけれども、そもそも「ピー・プロダクション」という制作会社がまずあるわけですが、「エヴァンゲリオン」シリーズなどの音楽を担当されている鷺巣詩郎さんのお父様であるうしおそうじ(鷺巣富雄)さんが設立した会社でした。うしおさんは元々漫画も描かれる方で、ピープロも実写作品の『マグマ大使』や『快傑ライオン丸』などを制作する以前はアニメ作品の制作をしていた。東映動画(現在の「東映アニメーション」)や円谷プロダクションなどの比較的メジャーなプロダクションよりは、個人経営のこじんまりとした制作会社の社長さんでした。そういった制作会社は、昔は他にもあったみたいです。
ピープロはアニメから特撮に至るまで多岐に渡って作品を制作して、しかもオリジナルの企画もたくさん立てられていた。『マグマ大使』は手塚治虫先生の原作漫画がありましたが、『快傑ライオン丸』とか『電人ザボーガー』なんかはオリジナルですよね。これだけの作品を世に送り出してきたっていうこと自体が、まずすごいことです。その記録としても、今回の写真は素晴らしいと思います。
『快傑ライオン丸』より。
ライオン丸の手袋が赤くないことから初期3話で撮影された写真で、ロケーションからおそらく第1話と推測できる。「ネコ族のヒーロー」というピープロのオリジナリティ、その最初の到達点がライオン丸だ。
──原口さんは、ピープロ作品では実際に現場にも行かれて、撮影に参加されていたそうですね。その経緯も詳しくうかがえればと思います。
原口 自分が14歳の時に、「安川剣友会」という殺陣のグループがボーヤ(助手、付き人)を募集しているということで、当時はアクションを目指していたので入ることにしました。その少し後、聖蹟桜ヶ丘にあった「多摩スタジオ」というステージが1杯しかない小さなスタジオで、『電人ザボーガー』後半の「恐竜軍団シリーズ」(第39~52話)のセット撮影をやっていたんですね。僕が15歳の時なんですけれども、1975年のことです。
そこで竜マンという戦闘員が登場するんですが、それを演じる兵隊(アクター)が足りないので「お前、ちょっと行け」って言われて、スタジオの方で竜マン(のマスク)をかぶって、二日間参加しました。いわゆる立ち回りの世界って、こういった会社やグループ間での人の貸し借りが昔からあるみたいですね。
それから当時、ロケーションでの立ち回り(アクションシーン)では、京王永山の近くでよく撮影を行っていました。今は多摩センター駅になっている場所ですが、その工事をする前は造成地だったんです。そこにも竜マンの役で1回行きましたね。
それから今回発掘されたフィルムには入っていないんですけれども、同時期にピープロで制作されていた『冒険ロックバット(75年)という5分番組がありました。それに登場するブレイザーというロボットにも、「行け」と言われて2回ぐらい(スーツの)中に入ったことがあるんです。
今回、見させてもらったフィルムの中からは『ザボーガー』後半のものが見当たらず、自分が撮影に参加している時期の写真はありませんでした。でも今後そういう時期のものも出てきたら、自分としてはやっぱり懐かしいし、うれしいですね。
『電人ザボーガー』より。
第1話、アリザイラーと戦うザボーガー。ザボーガーがチェーンパンチを繰り出し、鎖で絡めとられたアリザイラーが回転する瞬間だ。今回発見された『電人ザボーガー』のフィルムは、こうした初期数話で撮影されたと思しき写真のみである。
──原口さんは『快傑ライオン丸』のリメイク作品ある『ライオン丸G』でも、造形や特撮監督を務めていらっしゃいました。原典である『快傑ライオン丸』という作品について、過去の書籍の取材では「ピープロの一番いいカラーが出ている」とおっしゃっていましたが、それは具体的にどういうところなのでしょうか?
原口 これは作品とはちょっと離れた一般的な話なんだけど、髪の毛がボワッと長いロンゲのヘアスタイルというと、「ライオン丸、ライオン丸だ」ってバラエティ番組とかでもよく言われますよね。もう何十年も前の作品にもかかわらず、お笑い芸人の方やアイドルの子が言うぐらい、ライオン丸というと「髪の毛」「たてがみ」っていうイメージがちゃんと残っている。そういったことも含めてなんだけど、やっぱり当時のうしおそうじ社長のキャラクターデザインがそれだけインパクトのあるものだったわけですよね。ザボーガーも、デザイン画は漫画家の藤田茂さんに依頼して描いてもらったそうですが、「オートバイからロボットに変形する」など、デザインのアイディア自体はうしおさんが創っていった。
ピープロ作品はやはり、とても個性的だなって思う。そういう個性的な色々な要素が一番凝縮されて出てきているのが、『快傑ライオン丸』なんじゃないかと思いますね。
『快傑ライオン丸』より。
ライオン丸のたてがみやマスクの美しさが非常に精細にわかる一枚。毛の流れや太い眉、目鼻の形状などがつぶさに見て取れる。1970年代に大洋ホエールズで活躍したプロ野球選手のジョン・シピンが、その長髪とヒゲから「ライオン丸」と呼ばれていたエピソードは有名だ。
──『快傑ライオン丸』でも、まさにそのたてがみの美しさ、高山良策さんが造形されたマスクの美しさを写し取ったフィルムが残されています。原口さんが『ライオン丸G』で新たなライオン丸を造形された際も、そういったイメージは意識されていたのでしょうか?
原口 そうですね。『ライオン丸G』と作品名が変わっているとはいえ、やはりライオン丸を継承した作品ということで、当時プロデューサーの大月(俊倫)さんから言われたのも、「オリジナルを全く無視することはしないでほしい」ということでした。「全く違うものにしろ」っていう指示があれば変えますが、自分もオリジナルのライオン丸に親しんできたので、「ちゃんと踏襲して良いものを作ろう」と思ってやったつもりです。