こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。
ピープロ作品の写真のフィルムを発見した、秋田書店で編集者を務める髙橋圭太さんと、編集プロダクション「タルカス」の代表を務めている五十嵐浩司さん。
そんな二人に対談いただき、前回の記事(https://camp-fire.jp/projects/645633/activities/492160#main)では発見に至る経緯を中心に語っていただきました。
今回の記事では、より詳細なフィルムの保管状況についてや、秋田書店・「冒険王」とピープロとの関係について、そしてお二人がかつて携わった一峰大二先生による漫画作品『スペクトルマン』の復刻版に込めた思いなどを語っていただきました。
──これだけ多彩な写真が、しかもどの作品も網羅的にカラーで撮影されていたという事実は、1970年代という当時の時代を考えても改めて驚異的なことだと感じます。
髙橋 撮影した写真を使ってその後長らく商業利用するという考えも、当時はあまりない時代だったと思うんですね。秋田書店ではこうした写真を活用した書籍ですと1960年代後半~1970年代前半くらいにかけて「写真で見る世界シリーズ」を出していましたけれども、これも一作品あたり何巻も出すようなものじゃなかった。でもそういう状況にも関わらず、この「冒険王」におけるピープロ作品の写真は、作品の後半に至るまで結構カメラが入っていた感じに見受けられますね。
五十嵐 そうなんですよね。初期1クールで撮影をやめちゃう、みたいなことにはなってないです。
──『電人ザボーガー』だけ序盤の4話くらいまでで写真が途切れています。もしかしたらその続きも?
五十嵐 撮影していた可能性はありますね。
髙橋 当初は保管していたポジフィルムが他にもあったのかもしれません。フィルムが保管されていたファイルにも、謎のナンバーが入っていますからね。
五十嵐 このファイルのナンバー、たまに番号が飛んでいたりするんですよね。写真を拝見していても、全てがナンバリング通りの順番に入れられている訳じゃない。
──ファイルの番号は話数順・撮影順に沿っているものが多いですが、ファイルの中身を見ていると写真自体は順番が入れ子になっているものが多いですね。例えば『快傑ライオン丸』ですと、初期3話の手袋が赤くないライオン丸の写真と、中盤以降のエピソードの写真が同じファイルに複数混ざって入っていました。
五十嵐 そうですね。
髙橋 推測ですけど、当時の編集者はオタク的なものではなかったと思うので、特に順番などのこだわりなく、空いているところとかに撮影したポジフィルムをバシバシ入れていく、というような感じだったのかもしれませんね。
──ファイルの番号がいくつか飛んでいるのは、まだ見つかっていないポジフィルムの入ったファイルが存在する、と考えることもできるのでしょうか?
髙橋 だといいのですが、もう隅々まで探したので、その可能性は低いと思いますね…。
飛んでいる番号のファイルに関しましては、もっと以前に紛失してしまったのか、あるいは誰かが編集部での作業に持ち出したまま戻しておらず、そのままどこかで破棄されてしまったのか。編集プロダクションに貸し出したままの可能性もあると思います。
現状では、今回のプロジェクトの対象となっているポジフィルム群が、秋田書店に残されたピープロ作品の写真の全てだと言えると思います。
──当プロジェクトで保存の対象となったポジフィルムだけでも、約2000枚の写真が残されています。秋田書店さんでは、なぜこれだけ多くの写真を撮影されていたんでしょうか?
五十嵐 当時は変身ヒーロー作品や怪獣ものが、ものすごいブームだったわけです。雑誌にもそういう作品の写真を載せることで、もう部数が取れる。そういう時代だったんですね。だから「とにかく掲載権を取って来い!」みたいなね。
髙橋 秋田書店には漫画の世界では非常に有名な壁村編集長という方がいたんです。
──壁村耐三さんですね。「週刊少年チャンピオン」の黄金時代を築いて、手塚治虫さんの『ブラック・ジャック』を世に出したことでも有名です。
髙橋 その方、「冒険王」の編集長だった時期もありまして、仮面ライダーを大々的に掲載して一気に部数を伸ばしたんだとか。そこでそれまでの漫画雑誌から特撮やアニメなどテレビ作品をメインに掲載する雑誌に転向した、と聞いています。ちなみに壁村さんはその手腕を買われて「週刊少年チャンピオン」の編集長になりました。そして後々伝説となる数々の逸話を残すことになるわけですね。
五十嵐 「少年チャンピオン」にも一峰先生の『宇宙猿人ゴリ』が一時期連載されたこともあったわけですよ。「冒険王」にも掲載されているけれど「少年チャンピオン」でもやろう、みたいな。一峰先生は両方合わせて月産ページ数100を超えているけど大丈夫か」みたいな状況もあったとか。 当時はそれくらいのブームだったということですね。「怪獣が載ると部数が取れる」みたいな時代です。
──雑誌としても、その時代にうまく反応していたわけですね。
五十嵐 当時の秋田書店はピープロとがっつり組まれていて、少なくとも『宇宙猿人ゴリ』から『電人ザボーガー』までは必ず長編の漫画が「冒険王」に載っていました。他誌では権利の関係で載ったり載らなかったりして、「テレビマガジン」か「テレビランド」のどっちかには載っている……みたいな話もあって、読む側の子どもが困った。当時の僕も困りました(笑)。
そういう意味では、「冒険王」はピープロとがっつり組んで関係性の良さがあったから、これだけ写真が撮りに行けたのかもしれないですね。
髙橋 何よりピープロの社長のうしおそうじ先生は、漫画家だった時代に古くから「冒険王」で作品を描かれていましたから。
五十嵐 そもそもホームグラウンドでしたね。
髙橋 もちろんピープロ作品の漫画を描かれた一峰大二先生とのつながりも重要ですけれども、うしおそうじ先生は秋田書店にはやっぱり欠かせない存在だったんです。当時の社長ともすごく親しくしていたという話も聞きましたし、その辺が大きかったのではないでしょうか。
──「冒険王」や秋田書店にとって、ピープロ作品はそれだけ重要な存在だったということですね。
五十嵐 おそらく差別化というか、雑誌ごとのカラーが必要なこともあったのではないでしょうか。講談社の「テレビマガジン」は『仮面ライダー』で、小学館の「小学一年生」などの学年別雑誌は『ウルトラマン』、みたいな意識があったところで、秋田書店の「冒険王」はピープロっていうような傾向もあったんだと思います。
「冒険王」は一時期「別冊冒険王(副題:映画テレビマガジン)」もあって、「冒険王」と名の付く雑誌を毎月2冊も出していたすごい時代もありました。その両方で『快傑ライオン丸』『風雲ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』を連載するといったこともやっていて、今考えてもすごいことですよね。
ピープロ作品は、基本的には土曜夜7時というゴールデンタイムでやっていた番組ですから注目度も高かった。しかも7時半からは『仮面ライダー』でしたから、続けて一緒に観るので視聴率も高かったわけです。
──先ほど一峰大二先生のお話も話題にあがりました。一峰先生は『宇宙猿人ゴリ(スペクトルマン)』から『電人ザボーガー』まで、ピープロ特撮作品のほとんどで漫画を描かれましたが、お二人は一峰先生に関する書籍を手掛けられていますよね。
髙橋 一峰先生と最初にお仕事をご一緒したのは『ウルトラTHE BACK-ウルトラマンの背中-』(2013年、秋田書店)ですね。
五十嵐 そうですね。その本では僕も一峰先生にインタビューしました。
髙橋 『ウルトラTHE BACK』で絵を描きおろしていただいたり、インタビューをさせていただいたりしたことが、一峰先生との最初のご縁だったと思うんですね。
そもそも僕は昔から、一峰大二先生の『スペクトルマン』の復刻をずっとしたかったんです。いち怪獣ファンとして、復刻して自分でも読みたかった。当時は僕もちゃんと全部を読んだことはなかったんですよね。角川書店さんから1999年に復刻されたものもあったんですけども、結構な高額になっていたと記憶していて。
五十嵐 角川書店の復刻版では、まだ全話は収録されていませんでしたよね。
──2000年に同じく角川書店から出版された『快傑ライオン丸』第1巻に「脳波怪獣 ディサイドマン」が収録され、ようやく全話が復刻されるという状況でした。
髙橋 そういうこともあって復刻をしようと。
──その結果、2018年に秋田書店から「AKITA 特撮 SELECTION」として『スペクトルマン 冒険王・週刊少年チャンピオン版』が全5巻で復刻されました。五十嵐さんも編集協力で携わっていますよね。
五十嵐 そうです。この『スペクトルマン 冒険王・週刊少年チャンピオン版』は単なる復刻ではないんですよ。
角川書店による復刻の時は生原稿が無い状態で、多分出版されたコミックスから版を起こすなどしていたんです。それが『スペクトルマン 冒険王・週刊少年チャンピオン版』では、これはもう髙橋さんの功績なんですけど、そこから元の生原稿をあちこちからちゃんと発見して、可能な限り生原稿を直接デジタルスキャンしたものでコミックスを作った。これは素晴らしいことだと思います。
髙橋 それまでは単行本未収録だったエピソードも結構あったんですよ。それも全部収録させていただいて。
五十嵐 扉絵も全部入れて。
髙橋 なかなか楽しい仕事でしたね。
五十嵐 前の角川書店の復刻版は「サンデーコミックスの復刻」的な空気でしたけれども、『スペクトルマン 冒険王・週刊少年チャンピオン版』は本当に誌面の復刻をやろうということで作り上げた。だからこそ原画にもこだわった。髙橋さんの漫画編集としてのスキルが活かされたものでした。
──一峰先生の作品やピープロ作品の仕事に力を入れてきたお二人がこのフィルムを見つけるというのも、運命的なものを感じます。
髙橋 本当にそう思います。見つけて欲しかったのかなって思いますね。
五十嵐 本当に偶然ですからね。「大河原邦男展」に関わらなければ、このフィルムは見つかったのかどうかわからないと思いますので、これも不思議な縁ですね。
──このピープロ作品の写真資料に限らず、その価値を理解する人間が見つけなければ、破棄の憂き目に遭うこともありますよね。
五十嵐 「なんだこりゃ」「ちょっと捨てちゃったよ」みたいな話をよく聞くわけですね。
髙橋 そうやって歴史的に価値があるものも、きっと人知れずどんどん失われてきたわけですよね。今回はそうなる前に救出できて本当に良かったですし、もっともっと未来まで、末永く色々な人に見ていただけると良いなと思います。僕もまたピープロ作品の書籍化とかで動いてみたいですね。
聞き手・構成:馬場裕也