2019年11月に参加したソーシャルビジネスフォーラムでは、 田坂広志氏の講演を聞きました。そしていろいろなことを考えていました。
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そもそも私の働き方・動き方の原点になっているのは何なのだろう?
小学校は転校生、中学校は帰宅部、高校・大学・大学院が一期生で、ずっと先輩がいなかった。
運動会も文化祭も、伝統どころか前例すらない。毎回まっさらな状態から手探りで作ってきた。
そのまま会社を作ってしまったので、社会常識やしきたり、ルールなんかを先輩や上司から習ったこともない。
興した会社はインターネットという新しい分野だったので、先輩企業が存在していなかった。
だから「こうしなさい、あーしなさい」と言われたことがない。
一方、現在の一般的な働き方について、そのルーツを紐解いてみると、産業革命後と戦前~戦後は、大量生産・大量消費の時代だった。
そのため同じ作業をして、同じ品質の商品が作れる人間を大量に求めていた。機械の横に並んで作業する人が必要だった。
その考え方を延長する形で、雇用やマーケティングといったビジネスが生まれた。
特に日本は西洋を真似していたので、金融資本主義が主になった。
いわゆるピラミッド型の指揮系統で働く時代が動いていた。
男性が得意とする論理的で系統的な感覚、いわゆる父性が必要だった。
しかしインターネットによる情報革命で、職種や思考が多様化した。
横並びで働く必要がなくなった…というよりは、できなくなった。
しかも均質的な仕事はいずれ産業用ロボットやAIに置き換わるだろうとまで言われるようになった。
田坂氏の講演では、「競争から共同へ」「効率から意味へ」という話を聞いた。
なるほど、一人勝ちして利益を求める会社がもてはやされた時代から、コラボを中心に共同で動く。
「ビジネス交配会」に通じるものがある。
これを聞いて、学校の勉強も、テストで順位を決めるよりもっと大切なことがあるのではないかと思った。
インターネットで世界中の知恵を集められる現代なら、一人の力では不可能だった大きな事もできる…そんな繋がり方を学べるのではないか?
ディベートだって相手に勝つという競争目的ではなく、もっと他の活かし方ができないだろうか?
みんなで課題解決の道を探るような事ができるのでは? と思った。
そして ここで父性から母性への移行というキーワードを思いついた。
医学においても同様のことが言える。
西洋医学の機械論的治癒の手法は限界に来つつあり、再度、生命論的東洋医学の重要性が出てきている。
これは母性とつながっている。(ちなみに、この分野では私の父や妹が働いている。)
西洋の宗教は支配的であり、仏教は人間の心理であるとも言われる。
もちろん仏教が全ていいというわけではないのだが、競争主義の限界、金融資本主義の限界が見えつつある中で、今まさに知識資本主義の時代に進もうとしているのではないだろうか。
きっと金儲けだけの人生よりも、「人の幸せ=自分の幸せ」と感じられる生き方・働き方のほうが楽しいに違いない。
よく「働く(はたらく)とは、傍が楽になること」と言われるように、日本のビジネスはもともとソーシャルビジネスだったのだと思う。
田坂氏も「『白い白鳥』と言っているのと同じような違和感を感じる」と述べていた。
「わざわざ“ソーシャル”とつけることがおかしいのではないか?」と。
ソーシャルビジネスは、西洋視点では珍しいことのように見えるのかもしれないが、実態は古来の日本に戻るだけで、たいして目新しいことではない。
東洋医学の家庭で育った私は、母方の実家がお寺だったので仏教にも近かった。
さらにインターネットの世界に飛び込んだ25年前はまだ新しい分野だったので、何から何まで1から作る必要があり、操作的な仕事は存在しなかった。
こう考えると私の生まれ育った環境に近いと感じた。
これまで共同事業(コラボ・ビジネス交配会)を中心としたビジネスをしてきた。
ここに来てすべてが繋がりつつある。
人と人が繋がり、そして解決していく時代がすぐそこまで来ているのかもしれない。
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ということで「平井は何しているんだ?」とよく聞かれますが、好きなことをやってます。
好きなことって何かって言うと、人がつながっていってみんなが楽しむこと。
ただそれだけなんですよねぇ~
だから、この企画も、一人で考えたわけではなく、社労士、キャリコン、人事フリーランスと考えたし、ここで儲かることはじつは考えていない。
みんなこんな考え方になったほうが、幸せに近づけるんじゃないかなと思っているだけ