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子どもたちの居場所を守る!コロナ禍を乗り越える力をくれた母の魔法のドレッシング

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

現在の支援総額

533,055

177%

目標金額は300,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

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現在の支援総額

533,055

177%達成

終了

目標金額300,000

支援者数98

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

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エピソード② 妻との再開


【起業】

大阪に戻り色んな仕事を経験し、23歳で起業。
従兄弟も会社を辞めて合流。
この時は目的もなくただ会社を設立しただけの状態。
一番ダメなパターンですね^^;

最初は、たまたまのつながりで依頼を受け、JRの改札で五島列島の干物の叩き売りをしたり、ガチャガチャの設置販売をしたりと日銭稼ぎの仕事ばかり。

そんな日々を送っていたある日、ある健康食品の原料と出会い、製薬会社と契約して自社ブランドを立ち上げ販売を開始。
これが当たって、その当時のメインの女性誌にはほぼ取り上げていただき、売上はうなぎ上り。
店舗からの依頼で全国各地で実演販売にまわったり、安売りをしてブランドイメージを下げられないようにドラックストアを回って販売価格を調整してもらったりと、忙しくも充実した日々を送っていました。


【妻との再会】

当時は全国の店舗で取り扱いがあり、よく出張に行ってました。
ある日、以前妻からもらった手紙を見つけ、なんとなくもらっていた年賀状に書いてあった住所に電話をかけました。

電話に出たのはお母さんでした。

もちろん僕のことなんて知らないはずでしたが、関東の病院に就職していた妻の連絡先を丁寧に教えてくれました^^;

今でも、どこの馬の骨かも分からない怪しい大阪人によく大切な娘の居場所を簡単に教えたよねーと妻と話します^^

妻の連絡先をGetした僕は、早速連絡し、出張に合わせて静岡で4年ぶりの再会を果たしました。
それからは出張の度に会うようになり、お付き合いをするようになりました。


【倒産と結婚】

会社もプライベートも順調だった矢先に、
法改正で主力商品の主成分の規制が入り、効果は半減。
同時に大手が約半分の価格で同じ効果を歌った商品を販売。
他社の類似商品の効果はさほどではなかったものの、力で負けてしました。。。。

人生初めての土下座をしたのもこの時でしたね。
今思い出しても泣けるくらい悔しかったーー。

社内分裂もあり、大切の人たちがみんなバラバラになり、会社も倒産。
僕自身も僕を育ててくれた大切なパートナーへ不義理をしてしまい、
今でも当時の自分を許せないです。

この時は僕自身の経営力不足が1番の原因でした。
※この経験がいずれ子ども向けのキャリア教育活動の源となります^^


そして、倒産の直前まで進んでいた結婚の話しは、僕の個人的なトラブルも重なって一旦白紙になりましたが、
最終的にはそのまま予定通り進めることになり、もうぐちゃぐちゃの中で結婚式を強行。

この当時の自分の写真を見ると、カリカリに痩せてましたね^^;

結婚式の前日に大阪に来ていた妻の両親に、僕と父親が謝罪に行ったことを今もはっきり覚えています。
よく、こんな僕に大切な娘さんを託してくれたなと思います。

感謝しかありません。


【再起】

結婚後は、しばらく僕の実家に間借りする形で新婚生活がスタート。
僕はラーメン屋でバイトしながら新しい事業の立ち上げを準備。
そんな不安定は生活をしばらく送り、32歳の時に2回目の起業。

当時、話題になっていた“LED”を使った照明事業を従兄弟と2人で立ち上げました。
画期的な特許技術を持った東京の会社と業務提携を結び、
父親の会社も巻き込んで、商品開発に取り組みました。

そして、日本ではじめてとなる「LED電球」を開発。
この時は、高層ビルの最上階のオフィスから東京を一望している自分をイメージして、
「成功」の2文字しか見えないほど、毎日がやる気に溢れ、可能性に満ちていました。


〜〜今回はここまで〜〜

今回もだいぶん内容を削って書きましたが、それでも僕の無計画で思いつきの行動に唖然とされる方も多いかと思います。

健康食品事業も照明事業もまったく経験のないジャンルでの起業。

根拠のない自身と行動力だけで駆け抜けた起業人生でした。


次回では、とうとう今の仕事に辿りついたお話しができると思います^^。

お楽しみに!

今回は最後まで読んでいただきありがとうございます!

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