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子どもたちの居場所を守る!コロナ禍を乗り越える力をくれた母の魔法のドレッシング

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

現在の支援総額

533,055

177%

目標金額は300,000円

支援者数

98

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

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子どもたちの居場所を守る!コロナ禍を乗り越える力をくれた母の魔法のドレッシング

現在の支援総額

533,055

177%達成

終了

目標金額300,000

支援者数98

このプロジェクトは、2023/06/25に募集を開始し、 98人の支援により 533,055円の資金を集め、 2023/07/15に募集を終了しました

「ここが、私のアナザースカイ!」。私たちの学童施設に6年間通った生徒がかけてくれた言葉です。コロナで瀕死の状態になった“子どもたちの第3の家”を救う最後の希望の光が、「野菜嫌いも野菜好きになる、母の愛から生まれた魔法のドレッシング」でした。これからも彼らの居場所を守って、次のステージにつなげます

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エピソード③ 「2度目の倒産と3度目の起業」


【順調の滑り出し】

僕の従兄弟は、1回目の起業の時もそうでしたが、鼻が効くというか、これからブームになるであろう商材を見つけてくるのが上手で、さらにおじさん受けがいいのか、気に入られることが多かったので、いつもいい話を持ってきます^^


LED事業では、特殊な技術をもった職人さんから大手企業や業界のキーマンなどとどんどん繋がり、話しは順調に進みました。

実は、LED電球を一番最初に販売して設置された場所が「皇居」なんです^^

ちょっと自慢話です^^


事業として大きかったのは、トヨタ自動車の生産ライン照明をLED化するプロジェクトで、毎月1000本単位で納入していました。

ただ、当時のLEDはまだまだ高価で、売っても売ってもなかなか儲からない。

大手が本気で参入する前にポジショニングを取りたいと必死で資金も投入しました。

父親の会社でも正式に「LED事業」の部署を設立して、父親自身が事業責任者となって、共に取り組みました。


この頃には父親も東京にアポートを借り、本腰を入れてLED事業に打ち込むようになりました。


【東日本大震災】

ビックサイトで初の展示会出展のため、スタッフや父親ともに上京。


気合いを入れて挑んだ展示会初日。

東日本をどん底に陥れた「東日本大震災」が発生。

大きな揺れと共に、天井の壁が目の前に落ち、慌てて外に避難。

そこに広がっていたのはそこら中で煙をあげる東京でした。


何が起きたのかも理解できないまま、会場から離れた場所で打ち合わせをしていた父親と連絡を取ろうにも回線がつながらず、

移動手段もないので、とりあえず歩いて都心に向かいました。


新宿に着いた頃、僕と同じく徒歩で都心に集まってきた人たちで溢れかえっていました。

ようやく父親と連絡がつき、知り合いに無理を言って特別に空けてもらったホテルに避難してようで、1時間後に父親と合流。

この時は、年甲斐もなく父親に抱きつきたかったです^^


【撤退】

震災後、力を入れていた東北の会社は大ダメージを受け、試験設置していたLEDもほとんど流されてしまっていました。
トヨタの方も導入が止まり、売上はほぼ0に。

とりあえずこのまま東京に居てもコストがかかるだけと判断し、大阪に戻ることに。
大阪に戻ったあと、父親とも話し合いをし、このまま事業を継続してもこの状況では時期に大手が参入して全部持っていかれることは明確で、これ以上の資金投入は父親の会社の基盤自体を揺るがしかねないと判断し、LED事業からの撤退を決断。

巻き込んだ父親には本当に申し訳ないと今でも思っています。


【立ち上げる妻】

残った事業を関連会社に譲渡し、僕も会社を清算。
2度目の倒産となりました。
高層ビルの上から叩きつけられた気分でした。

倒産を決めるのと同時くらいに、妻が「アフタースクールをしょう!」と言い出しました。

ちょうど長男が来年小学校に上がるというタイミングだったこともあって、自分の子のためにもいい環境を作りたいという想いからの発想でした。


長男はプリスクールに通っていて4歳から空手一筋で頑張っていました。
小学校は公立と決めていたので、英語の維持と空手の継続を両立できる方法を探していたのですが、共働きでもあったので、平日に子どもの送迎などができず、またそんな都合の良い施設やサービスも当時はなかったので、
“無いならやろう!自分達で!”をスローガンに、動き始めました。

このスローガンは今でもよく口にしています(笑


色んな方に相談してひたすら想いを伝え続けていると、色んなご縁に恵まれ、
英語の先生、空手の先生、ダンス、ピアノと各方面で活躍されているプロ講師の方々が力を貸してくれることになり、
「日本初の複合型アフタースクール」として業界としては異例の大箱のアフタースクールが誕生しました。


それがFun Fun Kids After Schoolです^^


〜〜今回はここまで〜〜

今回で終わるかなと思ったのですが、無理でした^^;

かなり削ったのですが、あまりに内容が濃すぎて・・・。


次回は、最終回です。

プロジェクトの内容につながる最後の回となります。


お楽しみに^^

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