今回は、民謡こども食堂の会場となる民謡酒場栄翠の歴史について、お店の若旦那の印南昌信さんに話を聞かせていただきました!
― 栄翠はいつごろ誕生したのですか?
栄翠は昭和40年代に浅草にあった民謡酒場「追分」で演者として働いていた山口深水さん、(後藤桃水さん、赤間森水さんの系統)が独立して、向島の花街に「深水(しんすい)」という民謡酒場を立ち上げたのが前身です。
当時は民謡ブームで、沢山のお客さんで賑わっており、父(若旦那のお父様にあたる現在のマスター、印南栄翠先生)もお客として通ううちに、お店を手伝うようになりました。お店は、昭和58年に、花街から今の場所に移転。当初は二階建ての建物だったらしいのですが、火事で二階部分が焼失し、そのまま現在に至ります。
平成11年に、山口さん亡くなるときの遺言で、店を継いでほしいとの頼みを受け、脱サラしてお店を継ぎ、それを機に店名が父の雅号から取った現在の「栄翠」になりました。時代はバブル崩壊の時代で、当時は週6で営業していましたが数年間は赤字だったみたいです。
自分はその頃からお店の皿洗いなどを手伝うようになり、お客さんから「三味線か何かやらないのか」と勧められ、福居典大さんに弟子入りして習い始めました。お店の方は、「栄翠友の会」などの交流イベントなどを企画するうちにお客さんもついてきてくれました。
― コロナ禍となり、お店にはどのような影響がありましたか?
新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言でお店の営業ができなくなり閉めていました。再開しても、営業時間を短縮するなど制限を設けなければならない状況で、数年にわたり完全予約制での営業を余儀なくされました。
常連さんには高齢の方が多かったので、中には、お店に行きたくてもご家族から止められて行けないという方もいらっしゃったようです。また、一度外に出ない習慣がつくと、足が向かないという事もあるのではないかなとも思います。
現在は社会的状況を鑑みながら、毎週土曜日のみ営業しています。
― アフターコロナで、これからどのようにお店を盛り上げて行きたいと考えていますか?
昔のような地方出身者の郷土愛で支えられていた民謡酒場のシステムでは成り立たなくなってきているのは確かですが、根本的に何らかのコミュニティであることは変わらないでしょうね。今回の民謡こども食堂もそうだし、地域との連携強化や、観光名所であるスカイツリーから徒歩圏内である場所柄、外国の方との文化交流の発信基地としても役割を担えるのではないかと考えているので、様々な企画に挑戦していきたいと思っています。
特に、日本民謡協会で広報の仕事も担っている関係もあって、次世代の民謡業界を担う若いアーティストが活躍できる場所を提供したいですね。芸能と触れ合う機会を作ることと同様に、これまで日本民謡と接点のなかった人たちが一流の芸を見る機会も創出し、一連の流れの中で自然と日本の文化に親しめるスポットとして、これからの民謡酒場があっても良いと思っています。
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人に・場所に歴史あり!貴重なお写真と共に、栄翠の歴史について聞かせていただき、ありがとうございました!
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