「よってたかって」の伝統芸は健在か?
「ここだ」。五味が指さした。なんと鉄筋の新築だ。その頃僕らが居た水道橋のライン出版も高田馬場のベ反学連も、建物がギシギシ鳴く木造2階建て。でも「ここ」は夏なのにヒンヤリと広い11坪。「大家のNさんはこの辺の防犯協会の会長だから、ヤクザも官憲も大丈夫」と五味がニヤリ。
その日から金と工事の段取りに奔走。50人ほどの学生がとにかく小金をかき集め、有限会社ゴミニケート社を立ち上げた。電気や水回り、大きな造作以外の内装備品は、美大の諸君の指導でよってたかって自力更生。人数の多さだけが頼りだった。
1970年10月28日、「情報センターへのシコシコ・模索舎」営業開始。前夜まで格闘していた塗料の霧が頭の中を漂っていて、向いの羅府会館屋上の円盤形展望台の灯りがきれいに見えた。
半世紀前、新宿の元青線地帯「緑苑街」の一角に「模索舎」が現れた時の昔話だ。
岩永正敏
元模索舎舎員