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43名の方にご支援いただき、支援金額は530,000と70%を達成いたしました。
引き続き、100%超えを目指して頑張って参ります!よろしくお願いします!
さて本日は、少しでも修善寺紙のことを皆様に知ってもらおう!ということで、先日に引き続き修善寺紙の歴史についてご紹介します。修善寺紙の歴史パート3!最終章です!
江戸時代頃までは全国的にも有名だったと言われる修善寺紙。(詳しくは昨日の投稿を見てみてね)
明治時代になると、西洋から洋紙の技術が渡来。
機械で、大量に、安くつくれる技術により、和紙はどんどん下火に。
修善寺紙については、明治末期に完全に生産を中止したという歴史があります。
それでも、この文化、歴史を途絶えさせてはならないと、“修善寺紙を再現する会”が昭和に立ち上がり、現在に至るまで和紙漉きを続けてきました。
特に地元小中学生の“卒業証書漉き”は、1990年ごろからこの地域ならではの文化的な取り組みとして、今でも続いています。
ただ、再現する会はあくまで文化をつなぐというボランティア的な側面が強く、それが故に会員の高齢化や会員の減少は避けられず、活動をお休みする期間が数年間続いてしまいました。
そんな中で、もう一度改めて修善寺紙を未来に繋ぐために、後継者を募集することになり、2021年9月に舛田が参画。
これまでのようなボランティアではなく、あえて言うなら、しっかりとお金を稼ぐ方向で、より本格的に活動を始めています。それが文化をつなぐための最低限の条件だと感じているからです。
今、考えられる収入の大きな柱は、“和紙”と“和紙漉き体験”の2つです。
どちらにしても、お客様に工房へ来ていただく機会がとても多く、より安全に快適に多くの方に来ていただくために、今回の“駐車場を整備する”というプロジェクトは、どうしても必要になります。
どうか、修善寺紙の歴史をつなぐためにお力を貸していただければと思います。
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