2023/07/02 08:30

北海道取材旅行、後半は、ベルさんが合流しました。

初日は、ベルさんの、踊り子時代のプロダクションの社長さんへの取材です。
ベルさんが、ときに「お母さん」と呼ぶ、大切な人。児童養護施設を出た後、彼女が一番はじめに信頼し、自分の生い立ちや読み書きに不自由があることを打ち明けた人でもあります。
今回の取材で、この「お母さん」にも、かつて母親探しを手伝ってもらったことがあったと、わかりました。


二日目は、午前中に、豊羽鉱山跡地へ。
ここは、ベルさんの戸籍謄本にある、お母さんの出生地です。

閉山しているので、人などいないと思っていたのですが、思わぬことに、鉱山の後始末をする業務を行う会社が事務所を構えており、たくさんの人が働いていらっしゃいました。
鉱山時代のことを尋ねると、「やたらと車で移動すると危ないから、案内しましょう」と、ご親切に車を先導してくださり、昔の施設跡について、お話も聞かせてくださいました。

鉱山というと、過酷な肉体労働や、荒くれ労務者たちをつい思い浮かべてしまい、暗い印象を持ってしまいますが、図書館で調べたところによると、戦争のたびに好景気になる鉱山にはたくさんの家族が住み、戦前の繁栄期には人口5,000人を越えたそうです。
戦時下では、重要産業に対する政府の優遇措置があり、札幌市内の人たちが羨むような、豊かな暮らしぶりだったそう。流行を先取りした若者も多くいて、注目の的になっていた頃もあったのです。

1931年、ベルさんのお母さんは、そんな街で生まれました。
その頃は、どんな賑わいだったのでしょう。今は緑に覆われ、当時の面影など微塵もない山並みを眺めても、なかなか想像がつきません。


午後は、ベルさんが18歳まで育った北広島市の児童養護施設「天使の園」を訪ねました。

施設長の畠山さんのはからいで、当時ベルさんと一緒にここで過ごした同窓生や、併設されている北広島教会の信者さんで、当時をよく知るご夫婦が同席してくださり、話は尽きませんでした。

施設は何度か建て替えられているため、ベルさんがいた頃の面影はありませんでしたが、周囲を歩いていると、マリア様の像や、犬小屋、栗の木など、ベルさんが「これ、昔もあった!」と指差すものも、いくつかありました。
ベルさんが大嫌いだったサイロ(ここに雨合羽を着て入り、藁を踏む作業があったそうです)も、建て替えられて今は使用されていません。
畑も、子どもたちが世話をしたという牛も馬も豚も鶏も、いませんでした。


最終日は、まず、北広島教会から移っていらしたシスターに会いに、札幌修道院」へ。
わたしが知りたかった、天使病院の「ベビーホーム」の話をうかがうことができました。また、まったく未知なる世界である、修道女としての暮らしについても、少しうかがうことができました。

続いて、すぐ近くにある「北十一条教会」へ。
ここは、ベルさんが生まれてまもなく洗礼を受けた教会です。
昨年、問い合わせの手紙をお送りすると、電話をくださり、懇切丁寧にいろいろ教えてくださった事務局の方が、出迎えてくださって、この日もたくさんお話を聞かせてくださいました。

帰り際、ベルさんが、教会に併設されているショップに立ち寄った際、わたしに小さな聖母子像を買ってくれました。
今、仕事机に置いています。