2023/07/20 18:52

1976年カナダのロックスター、ランディ・バックマンの愛用ギター盗まれた。そのギターが何と46年後、ここ日本で見つかり、国を挙げて昨年7月1日に東京のカナダ大使館で、返還式が行われた事をご存知でしょうか??

様々なメディアが報じておりましたが、その後の反響も大きく、TV番組でそのレアさが取り上げられていたり、某局のラジオ英会話でテキストになったりしております。

知らなかった方は、是非、「ランディ・バックマン」や「TAKESHI」で検索してみてください。

1957年ランディが18歳の時、彼自身の努力により手に入れたグレッチ社製6120チェット・アトキンス その日は幼馴染のニール・ヤングと共にそれぞれギターを購入したとの逸話も…

ランディは惚れ込んだこのギターで数々のヒット曲を産み出し、いつしかこのギターはファンからHoly Grail(聖杯)と呼ばれる様になっていた。

いつもケースに入れ、離れる時はチェーンでロックをかけていた、そんな最愛のギターが盗まれてしまい…悲しみの底へと…諦めきれず、探し続ける事およそ46年…その間収集したグレッチのギター385本…グレッチとランディのお話は、またどこかで…

一方TAKESHIはジャニーズなどに曲を提供する作詞作曲家で、自身でもライブを開くアーティスト。

2014年にアンティークギターショップでこのギターと出会い、手に取り弾いた瞬間に、購入を即決したとの事。

惚れ込んでしまうのも無理は無い…だってHoly Grail(聖杯)だもの…

実際それが、Holy Grail(聖杯)だと分かった時、複雑な気持ちはあったのだろうが…このギター捜索には長い年月と、名だたるBIGアーティスト達も協力していた事もあり、33本しか製造されなかった同型のおそらく同時期に制作されたであろう6120チェット・アトキンスとの交換が条件で返還を承諾。

言っても、盗まれたHoly Grail(聖杯)ですから、収まる所に収まった方が良いのでしょう。どちらも購入しているのですが…

そして、この奇跡のギターのドキュメンタリー映画を撮影しながら、いざ、返還式の為ランディ・バックマン来日…しかし裏ではある条件が…

健康意識の高いランディは、普段から鍼灸・マッサージ・ボディメンテナンスを欠かさない!日本に来るにも、それが出来るスペシャリストをアテンドする事が条件だった…

そこで白羽の矢が立ったのが、私…TAKESHI事務所の社長N氏が先方とやり取りをして、6月19日赤坂のホテルで初の対面、前日の18日に来日をして、そのままラグビーの観戦に行ったランディですが…全く歩けず、立つ事もままならない状態で、かなり落ち込んでいました…

近年体調を崩し、その治療にも専念していたと、その時初めて明かされたのです。私が見るに、全身に力が入っていないランディ…「2時間やるから何とかしてみろ!」そんな感じでの始まり…

私は用意したベッドを広げ、力の入らなくなった筋肉を呼び覚ます様、出来る限りの施術をした2時間後…全てを終えて、さぁどうぞ!と起き上がることを促しました。するとランディは、スッと立ち上がり両腕を大きく広げ「アメイジング!!!」と叫んだのです。

その場に居たのは、私とランディ以外ランディの息子タル・バックマンのパートナーで日本人のKOKOとN氏。通訳もしてくれるKOKOと今後のスケジュールを調整する事になったのですが、ランディは「毎日来てくれ!」と…この件でスケジュールは空ける様にしていたが、院の患者もいる為、メインは夜となりました。

2度目の施術を終えて、意識が高く意欲のあるランディに提案をします。私がやっている事業は施術だけでは無い。脚の悪い今のランディには水中エクササイズも必要だと。私の出来る全てをランディに施すと。前向きなランディは即提案を受け入れた。

早速ランディは、東京アメリカンクラブの支配人に連絡をし、プールを特別に手配してくれました。プールの時は私の運転で2人きり、勿論プール自体は貸切では無いので、何度も顔を合わす常連さんも数名…エクササイズを黙々とこなすランディ、真面目なランディに私の指導も熱が入る。水中エクササイズの後は2人で日光浴やサンドウィッチを食べたりもした。

今回の使命は、返還式において世界的大スターが、皆様の前で杖をつかずに歩く事ですが…私は「この感じなら帰るまでに小走りくらいできるね!」と言いました。

返還式を前に宿泊先がカナダ大使館公邸へと移り、出入りのセキュリティも万全、毎回車の下をミラーで一周してから大使館に入れてくれました。

返還式の当日は、朝から付きっ切りで、劇場に移動する前に公邸の廊下に椅子を出し、歩行のリハーサルまでしました。椅子を戻し忘れてしまい、後程大使の奥様から「歩行練習してたのね」と言われてしまいました…彼女も日本人です。

流石に当日スケジュールは過密で、次々とインタビューを受けていて、駄洒落好きな外国人タレント兼TVプロデューサーもいました。ドキュメンタリーチームも相当気合が入っていましたね。

ランディは終始落ち着いていました。指導内容を意識し、全て自力で歩いての移動です。ファンサービスも完璧。

返還式が始まり、進行はマーティ・フリードマン…彼も最高のギターリストであり紳士で謙虚。裏に居ると良く分かります。

返還の瞬間は舞台袖から眺めていました。ランディは、しっかりした足取りで舞台中央へ。Holy Grail(聖杯)との再会でTAKESHIへ、お茶目な日本語でメッセージ。TAKESHIとのコラボ、バックマンファミリーの演奏、マーティとのセッションと…キッチリこなしていました。

その夜は公邸にて晩餐会。様々な方へご挨拶させて頂きましたが、その1日を乗り越えた疲れを残さない様、お開きの後にケアを施しました。

翌日からも周辺のライブハウス等で演奏と精力的に活動します。来日でこなしたライブは5・6本程、ほぼ近くに居ましたが日増しにランディの声が大きく強く響いて行くのを感じました。

ラストの六本木ライブでは、東京アメリカンクラブの常連達も来ており、ランディの演奏の瞬間、皆私の方に顔を向け笑顔でサムアップしてくれた。動けない時から知っている彼等からの最大のご褒美だった。

7月5日に最後の施術を終え、カナダに帰ってからも出来るエクササイズ等を一通り教えた後、日本の天照大神に御礼が言いたいとの要望で、芝大神宮へ連れて行きました。ランディ・タル・KOKOの3人で手を繋いで石段を上りお参り。

その夜はうちの家族も合流して皆んなでお食事会も出来ました。

最後にランディから、「最初、小走り出来ると言われた時、バカな事を言う奴だ!と思ったよ…でも、今ならそれが事実だったと分かる。誠太郎は人として、男として、そして身体のメカニックとして最高な奴だ。家族も最高で、子どもは宝だ。ギターが返って来た喜びは計り知れないが、今回の日本で俺は自分の脚を取り戻せた喜びも途轍もなく大きいんだ。ありがとう。」と、とても有難い言葉を頂いた。

それと同時に私には、今まで取り組んで来た事が間違っておらず、誰であろうと意識的に取り組めば健康を取り戻す事が出来るのだと、異国のロックスターが証明してくれ、確信させてくれた。

この出会いに関わる全ての方に感謝し、ここまでに得た全てを引き下げ、今後も精進して参ります。   

ドキュメンタリー映画も乞うご期待!

つづく