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農業と子育てを応援する菓子屋をキッチンカー から店舗へリニューアル!

お菓子教室もできるケーキ屋さんをキッチンカーで開店して4年、この度那須の自宅敷地内に店舗としてのリニューアルを致します。地域の『農』を応援しながら、過疎地域の子供たちにも夢あるお菓子屋さんを見てほしい!ネクストゴール達成で、新作試食会、オリジナルグッズ作成や職場体験を実施します!

現在の支援総額

1,274,000

169%

目標金額は750,000円

支援者数

122

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/06/22に募集を開始し、 122人の支援により 1,274,000円の資金を集め、 2023/08/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,274,000

169%達成

終了

目標金額750,000

支援者数122

このプロジェクトは、2023/06/22に募集を開始し、 122人の支援により 1,274,000円の資金を集め、 2023/08/31に募集を終了しました

お菓子教室もできるケーキ屋さんをキッチンカーで開店して4年、この度那須の自宅敷地内に店舗としてのリニューアルを致します。地域の『農』を応援しながら、過疎地域の子供たちにも夢あるお菓子屋さんを見てほしい!ネクストゴール達成で、新作試食会、オリジナルグッズ作成や職場体験を実施します!

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今回は掘り下げ編第二弾になります!

1.震災のあとの私について

2023.8.15、お盆で地元の宮城県松島に帰省してきました。こども店長は、ばぁばとじいじに会い、お線香をあげたりする、いわゆる経営とは別の過ごし方です。支援してくださった皆様に、震災の少し後の私について、少しお話ししたいと思うことがありまして、今回書きたいと思います。少し長いですがお付き合い下さい。

2.全く希望が見えなかった

3.11の後の約1年ちょっとの間、私はこの状態にありました。人生で一番お金がないころ。車を買わなくてはいけない。引っ越しをしなくてはならない。奨学金をもう2年返済しなくてはならない。

なのに職場は営業が再開できないのだからお給料はもちろん少なく、

ニュースで小さなこどもたちが津波や火事の犠牲になったことを知るたびに、『私が死ねば良かったのに』と。『私はなんで生きてしまったんだろう』と。

今思うと、家族が亡くなったり、もう戻ってこない辛い経験をされた方から見たら、こんなものなんだろうって思われると思います。恥ずかしい気持ちも今もなおありますが、本当にこれが2011年のあと、一年半ずっとループしていたことが事実です。


3.仕事くらい取り返したい

NHK震災の特集TVを見た時、家族を失い、家を失い、それまでしていた仕事(農業)もなくした農家さんが、新たに農地を得て苺をもう一度栽培するという宮城県山元町の男性が写っていました。

すごく悔しい。悔しいからこそ、

仕事くらい取り返したい。もう戻ってこない人(家族)に、なにかを報告できるならば、仕事はなんとか取り返したぞ!って、俺がそっちに行った時伝えたい。何年かはかかると思う。金じゃないんだわ。負けっぱなしでたまるかよって。ただそれだけだから。こどもにも、奥さんにも、ただそれを伝えたいだけ。見ててくれって。

4.自分の気持ちが行動によって現実になる

それを見た時に私、本当に感銘をうけまして。自分より大変な人がいるんだから頑張らなきゃとかではなく。

何か大変な時に、ずっと今まで自分以外の何かのせいにしていたかもしれないと思いました。ぎくっとしたというんでしょうか。

自分のあゆみを今一度振り返り、どうだったかをちゃんと見なくてはならないと。

そしてその上で、自分が悪かった部分を誰か別のせいにして、その部分を感情的に消し去っていないか。見ないふりはしてきていないかを、注視して振り返ることをしました。

大切な場面で、私はどうしたかったのか。相手にどんなふうに伝えたかったのか。そして相手の言葉を無視していないか。言葉の裏に隠れた別の意味を知ろうと私はしていたか。していなかったなら、今それを知ろうとしてもいい。遅いことはある。間に合わないこともある。でも知らないままよりも、知りたいと思うことを、言ってはいけないわけじゃない。知ったふうになって、誤解してないか。どうかも確認しなくてはならない。失敗しても自分で決めて、自分で行動していく。責任取れる範囲で。

5.一度死んだつもりで、自分から生きてみたい。

その後、【好きな仕事を続けるなんて、わがままなんじゃないか。自分の命が助かって、家族も無事で、そんな中にそんなこと、贅沢なんじゃないか】と違う仕事もしてみたこともあったけれど、結局私はお菓子のこと、お菓子作りのことからは離れられませんでした。私はなんてわがままで浅はかなんだろうと思います。ただ少し違うのは、朝は菓子屋、夜は居酒屋とかけもちして、責任を取りに行こう!と決めました。本当に賄いに助けられて、お世話になり、どちらの職場の人にも、絶えず助けられていました。

『自分で選ぶ』『自分から生きる』それはいつも、決めることから始まるんですが、本当に人に恵まれていると感じます。

6.自分で積み重ねてきたことが、人の喜びになることがある

震災そのあとの最中に、秤がなくてもレシピがなくてもあるものでお菓子を作り。お水のお礼にご近所さんに渡したり。地震で散乱したコーヒー豆をすりこぎで細かくして、茶漉しと綿布でコーヒーを入れたり。

なにげなく毎日やっている自分の中にあることが、思わぬときにだれかの喜びになることがあったということは、私の中にほんの少しだけ自信のかけらを与えてくれました。

なんにもなくても、なにかを生み出すことができる力、ということです。それでもって人に、だれかに、喜んでもらえるという喜びです。

そしてお菓子屋さんでは営業を再開した直後、ある中年の男性のお客様が、震災のところにより遅れたホワイトデーのお品物を買いたいとご来店に来られました。そのときに、

『また営業してくれてありがとう!またここで営業を続けてくれてありがとう!すてきなお店だ!』

と言葉をかけてくださいました。

わたしはそのとき雇われで自分のお店じゃないのに、感激して泣いてしまいました。。。。

7.定期的に思い出したい

わたしは、間違えたり、よく失敗もしています。でもいつもそれをどうしたら良いかを考え、次に活かせるようにしようと頑張ります。ただ一生懸命やることをします。

不器用だし、申し訳ないし、謝りたい人もいっぱいいるし良くない自分だったことも事実あります。反省も絶えません。

ただ生きてる間にあやまりたい

ただ生きてる間にありがとうと言いたい

もしもその中で、私が人を喜ばせることができることがあるとしたら。

そしてそれで私も幸せを感じることができ

あるいは家族のなにかを応援できる糧になるならば。

お菓子で生きていくことを、一つ貫きたいと頑張りたいです。

8.生きろ

近年、若い方の自死のニュースが顕著です。それが本当に心苦しい。素晴らしい才能を持つ人の、心の痛みが。亡くなった方の命が悔しいです。

私の命は借りもので。

たくさんの人の喜びの種を作ることでなにかを返したい。と思っています。

でないと、今日を生きれなかった人に顔負けできない。というだけのもので。

でも確かに、

死ななくて良かった!生きてて良かった!

そう思う瞬間は、来ると思います。

私がそうでしたから。

だからこそ、その背中をこれからの人達にも見せたいです。

でも商品には、そんな重たいこと込めません。ただ『美味しい』と言っていただけたら幸せ。

引き続き8/31まで頑張って走ります!


p.s

お盆には気仙沼市立旧 向洋高校さんにも行って参りました。いまは東日本大震災遺構伝承館として、建物の保存されたままになっています。当時の若い人たちの面影も残る場所です。

そして東松島の美しき離島をご覧ください。ありがとうございました!

東松島市と松島町の間。遊覧船コース。

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