叶探偵事務所と看板を出しているので、皆、彼のことは「叶探偵」と呼んでいる。叶探偵の下の名前は誰も知らない。
彼と言われる理由については2つある。前提として彼はスピーカーから聞こえる声だけで我々に接触してくる。それは時に映像であったり、時に通話であったり様々であるが一貫して同じ声で男性である。尤もそれが彼自身の声という証跡はまだない。もう一つは彼の事務所が無骨で漢らしいからということだ。つまり、ただ、それだけだ。
彼についての情報は確定しているものが殆どない。が、故に無いものを埋めようと目立った情報は常にピックアップされているし、都市伝説めいた噂も数多くある。彼は妖怪のように「誰も実態をみたことがないが情報だけが集積していて形作られている存在」なのである。いや、小説の登場人物のほうが正しいかもしれない。そう、シャーロックホームズのような。
実際彼は東洋のホームズと評されることもある。何故シャーロックでなくホームズかというと、ワトソンのような助手がいないからだとか、姿を見せず重要な機密情報や国家間の情報を手に入れることから「政府の重要なポスト」についているのではと類推されたり、なにより過去彼自身の口からディオゲネス・クラブについて言及があり、それはシャーロックではなく兄のマイクロフトのようであるからだ。
彼は【ゲスクラブ】という集まりを定期的に主催しているらしい。彼の口演(公演の誤字ではない。後述する)にてワードとして頻出している。英語表記だと「Guess Club」つまり推測する集まりという意味なのだが、これは実はシャーロックホームズの兄であるマイクロフトホームズの主催するディオゲネス・クラブに形質やルールが酷似しており、故にホームズと評されたと言われている(いつからかそうだったので確からしい情報は無い)
ディオゲネス・クラブはマイクロフトの立ち上げた会員制の秘密の社交場で、社交場であるにも関わらず「何があっても喋ってはいけない」というルールがある。どうやらゲスクラブも同様な習わしの会員制の社交場でディオゲネス・クラブの名前ももじったものではないかと言われている。
ちなみに面白いことに以前の口演(公演の誤字ではない。後述する)にて彼からマイクロフトについて面白い言及があったのも記憶に新しい。彼曰くマイクロフトこそがモリアーティ教授だと言うのだ。あの崖から落ちたモリアーティはマイクロフトの傀儡でしかなく、自堕落な弟シャーロックに探偵という望んだステータスを与えるために全てを仕立てていたのだと。拮抗し張り合いのある対立構造、モリアーティがいるからこそシャーロックの善性が光るというものだ。現にシャーロックからも自身よりも頭脳が明晰で観察眼も鋭いと目されているし、マイクロフトの援助や引き立てがあって探偵業を営めていた背景などもある。「マイクロフトとモリアーティ同じMのイニシャルと、隠されたファーストネームについて調べてみればわかる。それともうひとつ他人とは決して被ることのない重要な共通点がある」と当時彼は話を締めくくったという。
話を戻そう。彼のもう一つの特徴として、いや彼を知る1つの手段として、「口演」というものがある。彼の事務所に人を呼びつけて互いに推理をさせたり話をさせたり、或いは彼自身の話を通して考えさせたり選ばせたりするのだ。彼はこのやりとりを口演と呼んで、参加者に一頻りやりとりをして帰すのだ。大概口演で語られたり考えたりするのは表に出ないような数奇な事件や未解決の事件である。時に現場にいた人物になりきって話をすることが求められたりすることや、芝居めいた彼のやりとりと、姿を見せない「口だけの交流」に、参加者のなかから口演とニックネームがつけられ、彼もそれが気に入ったようで自身でも口演と説明するようになった。
この口演が開催される目的として、彼が「ゲスクラブ」に加入できる適正者を探してると噂されている。口演は大概彼自身の中では解決しているか或いは確からしい憶測のあるものがテーマになっており、それをなぞって参加者に推理させたりする。その中で優秀な頭脳や並外れた観察眼を持つ者をピックアップしてゲスクラブに招き入れるらしいのだ。時折口演が終わると一人そそくさと帰り、その後、姿を見なかったという話もある。
口演はいつでも誰にでも門戸が開かれているわけではない。気が付けば誰かに誘われていたり、或いはたまたま自分から向かっていたり、そこがそうだったとか様々な理由があるが、それも全て彼によって参加するように仕向けられているのかもしれない。
これは私の憶測だが、叶探偵というのは概念か組織名のようなものかもしれないと思う。叶という字は口が十と書く。今日もどこかで10人の探偵や権力者や聡明なる者たちが口を突き合わせて口演を繰り広げているのかもしれない。いや、そもそもその10人こそがゲスクラブなのかもしれない。貴方はどう考えるか?そうそう、TwitterからXになったタイミングで叶探偵の噂が全て消えてしまった。X、十、何か関係があるのかもしれない。気が向いたらまたあの頃のように「#叶探偵」で呟いてほしい。