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ダムの底に沈んだ集落の「岩手山南部曲り家」再生へ。地域の伝統文化を守り続けたい!

キャンプファイヤー 寄付型のバッヂ

当施設にある「岩手山南部曲り家」の茅葺屋根が老朽化し、修繕が急務となっています。地域の歴史文化を活かした体験と伝統の継承に加え、持続可能な発展の在り方を学ぶESD(持続可能な開発のための教育)を実践する場として発展させるため、「曲り家再生プロジェクト」にご支援をお願いいたします!

現在の支援総額

1,000,000

33%

目標金額は3,000,000円

支援者数

85

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/10/02に募集を開始し、 85人の支援により 1,000,000円の資金を集め、 2023/12/10に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,000,000

33%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数85

このプロジェクトは、2023/10/02に募集を開始し、 85人の支援により 1,000,000円の資金を集め、 2023/12/10に募集を終了しました

当施設にある「岩手山南部曲り家」の茅葺屋根が老朽化し、修繕が急務となっています。地域の歴史文化を活かした体験と伝統の継承に加え、持続可能な発展の在り方を学ぶESD(持続可能な開発のための教育)を実践する場として発展させるため、「曲り家再生プロジェクト」にご支援をお願いいたします!

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先月、曲り家の旧所有者である福崎家の皆さんが来訪されました。

以前、本サイトの活動報告「50年前の記憶」において、当時の所有者のご子息が現在も雫石町に住んでいらっしゃることをご紹介しました。
https://camp-fire.jp/projects/689651/view/activities/530445#main

なぜここに曲り家が移設されることになったのか、その経緯を近いうちに伺いたいと書いたものの、なかなか行動に移せないまま、年は明け、いつの間にか半年が経ってしまいました。

そんな折、「昔、曲り家に住んでいた者です。曲り家を見せてもらえますか?」とのお電話。
電話をされた方は、旧所有者であった福崎順夫さんのご子息にあたる公博さんでした。

ご一家で来訪され、曲り家を見ていただきました。
所長、次長、専門職が曲り家を案内しながら、福崎家のルーツ、住んでいた当時の曲り家での暮らし、移設の経緯などを伺いました。

曲り家の基本的な構造や間取りそのものは変わっていないものの、移設時に体験活動の場として機能することを重視し、馬屋の部分を改修しています。公博さんは、「この部分に風呂桶があったな」、「囲炉裏の近くで父ちゃん(順夫さん)、縁側近くにおれたち(公博さんきょうだい)」が寝起きしていたこと等を教えてくださいました。

移設の際に譲り受けた民具(生活用具)もご覧になり、「この『えんつこ』で育ったんだよ」と盛り上がりました。
「えんつこ」とは、今でいう「ゆりかご」です。

また、曲り家の屋根には、「丸に九曜紋」が施されています。かつて雫石地域は「陸奥国滴石」「滴石御所」とよばれ、この地を治めていた武将・戸沢氏が用いた家紋です。公博さんは「うちは百姓(農家)なんだけどね」と 仰っていましたが、もしかすると、福崎家のルーツは戸沢氏に関係する一族だったのでしょうか。
遥か昔の歴史に思いを巡らせつつ、50年前の移設当時について伺いました。
移設当時、公博さんは高校生だったそうです。
なぜ、この曲り家が移設保存されることになったのかは、その詳細までは分からないとのことでしたが、「集落の中では(比較的)状態が良いほうで、建物も割としっかりしていたから残すことになったのではないか」とのことでした。ちなみに、旧所有者の福崎順夫さんは御所ダム対策協議会の委員となっており、そのことが関係していたのかもしれません。

ちょうど公博さんが来訪された折、林間学校で訪れていた子どもたちが曲り家のそばで活動し、野外炊事の準備をしたり、曲り家の中で涼んだりしているところでした。
「自分の住んでいた曲り家が体験の場として使ってもらっているのがうれしい」と仰っていました。これからもその思いに応えられるように曲り家の維持・整備に努めていきたいと思った次第です。

7月に入り、曲り家屋根の修繕工事が始まりました。随時、工事風景を報告してまいります。


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