プロジェクトもあと35時間となりました。
毎日、クラウドファンディングのデイリーレポートを確認しているのですが、毎日、100人以上の方がプロジェクトページをご覧頂いてて(ただポチリとしているだけかもしれませんが)それでも、画像や見出しを見て興味を持って下さってワンアクションを起こしてくださっていることにはとても嬉しさを感じる反面、それだけの方が覗いても、ご支援にはほぼたどり着かない現実があります。
現実は厳しいですね〜。
でも、麦わら細工は執念があるのです。
執念というと聞こえが悪いですが、麦わら細工自体が生き残りたいという強い波動を持っていると私は思っています。
それは何故か。
修善寺麦わら細工の張り細工は、父が戦争から無事に戻った事で、途絶えることなく受け継がれました。(活動報告5参照)
◆それでは、大森細工は?
こちらも蜘蛛の糸1本で繋がったようなもので、今から遡ること役25.6年前、本家本元の東京大森の方で、1人黙々と大森細工を制作していた職人さんが、自身の作品を手に修善寺の工房を訪ねて来られました。
「この技術を受け継いで欲しい」
それが職人さんとの最初で最後の会話でした。修善寺を訪れて間もなく他界。
寸でのところで、大森の技術のバトンを受け取ることに。
しかし、当時は張り細工の注文が多く忙しくしている中で、教えてもらった編みが不明になり、再度思い出すために作品を解いて解明し現在に至ります。
東京の職人さんが何故、うちを訪ねて来られたのかは今となっては二代目(母)も思い出せないようです。
修善寺で麦わら細工が今なお進化を遂げているのは、日本の技術が人から人へ伝わり、編みも張りも両方の素晴らしさを取り入れ、気候変動の中で、いつ麦の種をまくのか、いつ追肥をするのが良いか、さて麦を刈るにはもう少し様子を見ようかなど、畑から材料、そして技術、作品という一連への思いが半端ないからだと思ってます。
1から1へかろうじて繋がっている
そして、未だ途絶えることなく執念深くその存在を主張したいという麦わら細工の思いに私も同じく執念を持って信念を持って取組んでいます。
今回のクラウドファンディングの目的である個展開催は、その麦わら細工たちが、また江戸の頃に注目を集めた頃のように、活気を取り戻す第1歩として、人気の始まりの江戸(東京)を開催地として選びました。
ネクストゴールまではあと34%。34時間で辿り着けるかは分かりませんが、最後までこのチャンスを大切に取り組みたいと思います。
引き続き最後までよろしくお願いいたします!
民藝麦わらの店 晨 三代目 辻󠄀 享子
写真は麦わら細工の張り細工(桐箱)です。
左から、今年、35年前、約70年前、約100年前の作品。人の手油が作品を育てると言われる箱への張り細工。飴色に変かしつつも、艶は失われないのが麦わらの特徴。
麦わらって強くて美しいんです。