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【CRAFTHOTEL】廃業したホテルの再生を通じてまちと旅人を繋ぎたい【焼津】

日本最高級に水産物が豊かな焼津。特有の温泉もあるのに、観光地としてはまだまだ盛り上がりが足りない…!そんな焼津の駅近くに10年程前に廃業したビジネスホテルがありました。これを再生する過程からまちや旅の人たちを巻き込み、その接点を増やし、焼津の盛り上げに寄与したい!ここにしかない宿泊プランを準備中!

現在の支援総額

2,312,000

115%

目標金額は2,000,000円

支援者数

191

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/12/16に募集を開始し、 191人の支援により 2,312,000円の資金を集め、 2024/01/30に募集を終了しました

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現在の支援総額

2,312,000

115%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数191

このプロジェクトは、2023/12/16に募集を開始し、 191人の支援により 2,312,000円の資金を集め、 2024/01/30に募集を終了しました

日本最高級に水産物が豊かな焼津。特有の温泉もあるのに、観光地としてはまだまだ盛り上がりが足りない…!そんな焼津の駅近くに10年程前に廃業したビジネスホテルがありました。これを再生する過程からまちや旅の人たちを巻き込み、その接点を増やし、焼津の盛り上げに寄与したい!ここにしかない宿泊プランを準備中!

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まちづくり の付いた活動報告

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こんにちは。【CRAFTHOTEL】プロジェクト現地スタッフのシュンです。(。・ω・。)ノ活動報告#10は、インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第7弾です!今回は、焼津や周辺地域を舞台に、廃材の金属部品などを使って素敵な作品や空間をクラフトされている、アーティストのLOWさんにインタビューさせていただきました。僕自身、LOWさんとは既に何度かお会いしたことがあり、毎回お話を伺っていたのですがその活動の幅が広くてどこか掴みどころがなく、実は全容を把握できていませんでした。そんな経緯もあり、今回は「ついにそれを掴むことができるぞ!」と、勝手に満を持してな気持ちでインタビューさせてもらいました!インタビュー場所は、市内にあるご自身のアトリエ。(初めて伺うので、とても楽しみ!)意気揚々と、歩いて向かいます。この後にも話題に上りますが、LOWさんのアトリエがあるのは、自動車整備店の敷地の一角。おずおずと敷地にお邪魔すると、ちょうど事務所からLOWさんが登場、そのままアトリエへ案内してくださいました。そして案内された方向に進むと、お店の備品置き場と地続きに、とてつもなくクラフトな門構えの場所が…!「どこからが何なのか、境界が分からない感じがまたいいよね」とLOWさん。まさしく、知らずに通ったら気づかず通り過ぎてしまうのではというくらいにさり気なく、唐突に出現した不思議空間に、なんだか狐につままれたような気持ちになってしまいました。LOWさんアトリエの入口正面の風景がこちら。そして控えめに開いた扉から、さらに雰囲気のある空間が顔を覗かせている…!「ミッケ!」の本の世界に入ったつもりで、門をくぐって中にお邪魔します。アトリエの中はさらに別世界。――――――Q:今アトリエになっているこの一角は、もとは自動車整備に使われていたんですか?※:以降、太字がLOWさんになります。そうだね。床を見ると、車のスピードやブレーキの性能を測る為の設備があるから、整備後の完成検査などができるような場所として作られたんだろうなあ。けれど物心がついた時には既に、祖父の物置として使われていたね。足元には自動車整備の設備が。言われて視線を下に向けると、確かになんだか見覚えのある機械が。頭上にもたくさん気になる物が浮かんでいます。上をみても下をみても、気になる物がたくさんで目に入るひとつひとつを話題にしたくなってしまうのですが…今回はインタビューの為にお邪魔していたのでした。ぐっとこらえて。ふわふわのソファーに、LOWさんと向かい合う形で腰掛けさせてもらい改めまして、インタビューよろしくお願いします!インタビュー中の様子。――――――Q:始めにLOWさんの活動について、日々どんなことをしているのか教えてください。普段、平日の日中は自動車整備の仕事をしています。そして作家としての活動を、今までは整備の仕事が終わった後や週末にしていました。今は作家としての仕事も、要望があればいつでも受けられるようにしています。ーシュン:作家さんとしては、どんな活動をしているんでしょうか?まずはもちろん作品を作って出展。それから今は、イベントスペースの一角や飲食スペースを装飾するような、場づくりみたいなものにも活動が広がっています。今では出展の話をいただいても、自分はスペースの装飾をして、出展は他の人にしてもらうなんてこともあります。左が作品を出展した際の、右がイベントにてスペースの一角を装飾した際の様子。ーシュン:モノづくり&出展から始まり、段々と場づくり、空間づくりへと活動内容が広がっていったんですね。そこには何か経緯のようなものはあったんでしょうか?始めの頃、出展の度に棚とかテーブルとかの什器を作っていたんだけど、それがどんどん溜まっていっちゃって。そこで改めて出展の経験を思い返してみたら、「場の雰囲気をイメージしながら廃材を会場に持って行って、その場で自分の出展スペースを作りこんでいく」みたいな時間も作品を作ってる時以上に楽しいことに気づいて。それで装飾メインでもやるようになりました。イベント出店での装飾の際の様子。また、「今までは表現する場所をもらっていた」という実感も大きいです。自分が若いとき、先輩たちに場所をもらって表現してきた分、今度は自分より若い人が表現する場所を作って、表現しやすい環境を継承していきたい。ーシュン:「伝えていく」という意識があるんですね。「伝えていかなきゃ」というよりは、必然的に。自分が楽しいと思うことを続ける、それを見せるだけでも違うかなとも思ってます。上の世代でも、50代、60代になっても好きなことをやってる人が健在で。そんな先輩を自分がみてきて、そういう大人がいた方が世の中のためかなって思ってます(笑)なので自分の子どもにも、僕が好きなことをやっている姿を見せています。――――――Q:先ほど表現の場を貰ってきたという話とも繋がりますが、その活動の場所は市内がメインだったんでしょうか?焼津市を中心に、その周辺の藤枝、静岡、清水市とかかな。学生時代のバイト先のオーナーからの繋がりとか、地域の繋がりもたくさんあります。ーシュン:縦の繋がりと、横の繋がりとがありますね。たてよこななめ、色々な形があって、上手く繋がってると感じてます。色んな繋がりがあることで、循環が生まれてます。例えば解体屋の秋山さんの現場で出てくる廃材は、その仕事の一環で捨てられているものも多い。けれど僕だったり、建築家のゆうじさん(第3弾登場)がその廃材を使って仕事・芸術活動をして、それが形になって別の人の手に渡って。全部ではないけど循環はしていく。作家として活動していて、そんな風にゴミがゴミで無くなる瞬間に出会えると、たまらなく嬉しいです。――――――Q:作品づくりのスタイルについても、ここでもう少し聞かせてください。スタイルのベースは、車の交換作業で出た部品を鉄くずとして処理するんじゃなく、その形を残したまま使える物に作り直せたらいいなという発想です。一時は、「せっかくその形で生まれてきたのだから、溶かされてしまう前にもう一度」というフレーズで個展を開いたりもしました。例えば、初めての作品で、最近もよく作っているモチーフがロウソク立てなんだけどこのロウソク受けになってる丸いパーツが、一時期車の整備の過程でかなり出てきていて。当時は単に、丸みを帯びた形がかわいくて、何かならないかなと思って集めてました。ある時、それをひっくり返してみたらそのまま100均のロウソクがピッタリ嵌った。それが廃材を使った作品づくりの始まりです。ーシュン:この脚の曲がっている部分も、車の部品としての形そのままなんですね。そうそう。これは車のドアから出てきた部品だね。スペースの関係で”逃がし”の為に曲がっていたんだろうね。インタビュー中に見せていただいたロウソク立て。脚の曲がり具合がとてもかわいい。もちろん鉄くずとしてリサイクルするのも一つの選択肢だけど、例えば金属部品を1キロ集めて持って行っても100円にもならなくて。一方で、こんな風に形にして、物としての価値がつくのであればその方が豊かかなって。ーシュン:今では誰かが「要らない」といった物を貰って、バラして作品にしている?材料を集めに出向いた先で、持ち主も忘れちゃってるような物を「これちょうだい」といって貰ってきたりしてました。ただ、使えるものをバラしたりはしませんね。実は「要らない」理由はそれぞれ違う。道具として使える状態でも、様々な事情で処分したいということがある。そういったものをいきなりバラしたりは絶対にしません。しばらくここに置いて、次の嫁ぎ先が見つからなければ、次の展開も考えるという順番です。ーシュン:使えるものは、できるだけそのまま使うんですね。それから、バラすとなっても、段階みたいなものがあると最近は思っていて例えば、電気モーターをバラした部品を土台に使った、シャンデリアのようなロウソク立てを作ったことがあるんだけど当時は全部をバラすところまでたどりつけなくて、かなりモーターとしての形を残した状態で土台として使いました。けれどそうしたことで、モーターにあった回転する機能がシャンデリアに残って、回るシャンデリアとして結構喜ばれたんです。もちろんバラした方が分別にはなるんだけど。完全にバラさないことでその物の機能を残して作品をつくるのも、いいなと思ってます。ーシュン:モーターとして使うことができなくても、回転という機能を残して使うことはできる。使えるのに使われないものを再度使うだったり、機能を残して作り変えるといった感覚は、ホテルのタテナオシと通じるものがありますね。――――――Q:先ほど最初に作った作品がキャンドル立てだと仰っていましたが、作品を作り始めたきっかけもお聞きしたいです。金属の溶接自体は、元々自分の車のバンパーをつくりたいという理由で興味があって練習のために自分のところに転がっている廃材を溶接したりはしていました。それで何かを創作するきっかけは、「頂 -ITADAKI-」(焼津市の隣町、吉田町で開催される音楽イベント)にもらいました。「頂」には、焼津のアヤナイさん(自然派なご飯屋さん。いつもお世話になってまいす!)が裏方の賄い食の提供をしていて、僕はそのお手伝いとして関わっていました。そのイベント内のプログラムに、キャンドルタイムという、全ての照明を落とす時間があって。イベント事になると大体仕事の時間割が決まっていて、照明係の人はそこでようやく休憩ができて、ご飯を食べられるんです。だけど電気がついてない。そんなところから、裏方の人がご飯を食べる時、テーブルにロウソクの光ひとつでもあっていいんじゃないかなと思って。そこからロウソク立てが出来たんです。「頂-ITADAKI-」賄いブースにて、実際にロウソクが点灯している様子。立派なロウソクを用意するのもいいけど、それを各テーブル分用意するのは結構大変。それに、立派なロウソクは世の中たくさんあるだろうけど洒落たロウソク立てってあんまり見ないかなと。100均のロウソクを使うと考えると、ランニングコストでは火種を立派にするよりも庶民的だし、味があるんじゃないですかね。――――――Q:そこから作家さんとして活動してきて、整備のお仕事とリンクしている部分はありますか?バラす能力はどちらでも高められているかな。作家としての活動で、なんでも向かっていこうという精神力はできた気がします。こっちはバラした後に戻さなくていいので(笑)。バラせなくなったらそのまま使っちゃえばいいし。ーシュン:さっき話に上がった回るシャンデリアがその例ですね。モーターなんかもばらしてみると、いろんな発見があって面白いです。理科の実験みたいに。それから、一緒に活動をしている中で建築家のゆうじさんに教えてもらった、「活かしどり」っていう建築の方法があるんだけど例えば天井に使われていた材料を壁に使ったりするときに、がさつにバラしてしまうと材料として使えなくなるから作ったときの順番を逆向きに辿るように、手順通りに丁寧にばらす。それを教えてもらって、車屋さんとしてやってきた、バラして元通りにしてって作業を振り返ると、それがそもそも「活かしどり」だと気づいて。廃材をバラす時も、組んだ時の手順を考えてその通りにバラした方が、ハンマーでバコバコ叩いてバラすよりもかえって早かったりするんですよね。そんなところから、父親に割と口酸っぱく言われていた「作った人が何を考えたかを想像すると勉強になる」という事も最近なんとなくわかってきました。――――――Q:ゆうじさんの名前が上がりましたが、ゆうじさんとはどんな風に出会ったんですか?ゆうじさんとは4月で出会ってから2年になります。最初は、アヤナイさんがゆうじさんのアトリエに出張してお店を開いた時に、店主に呼ばれて行ったのが始まりです。その時に僕のほうは「頂」が控えていて。アヤナイさんは毎年賄いを担当しているので味はお墨付き。あとはビジュアルで、ビシッと決まったカウンターから賄いが出た方が、演者もアガるんじゃないかなという話をしていた。そしたらじゃあ一緒にやろうよという事になってコラボが始まりました。そこから秋山さんのところで廃材を貰ってきたんだけど廃材を車から下したあと、お互い何を言ったわけでもないのに、自然にそれぞれの道具を出して材料の釘抜きを始めて、そこでお互い「バッチリだね」って。ーシュン:出会う前から、お互いに近いことをしていたんですね。業種や扱っている材料は違うけど、蓋を開けてみればこんなに近くに同じことをやっている人がいた!という感じでした。それをきっかけに、僕は木材を使うようになって、ゆうじさんの方も、それまで興味がなかった金属や電気系のものも解体現場から引き上げてくるようになったり。そんな風に良い影響を与えあっているなと思います。――――――Q:逆に、ゆうじさんとLOWさんでここは違うなというところはありますか?仕事の仕方では、ゆうじさんの方が僕よりバラさないのかもしれないという印象はあるかな…?僕が見ているのは既にバラされたあとの物だから、なんともいえないけれど。ーシュン:ゆうじさんは空間づくりについてよく「立方体の6面を埋める」と仰いますが。そこはやっぱり建築家ならではの感性じゃないかなと思います。僕は装飾というやり方で空間を作るとなった時にもその場に演者が立つことを想定して作るから、床にはあまり立体物を置かない。だから自然と屋内の装飾でも、物を上からつるしたり、壁に物をかけたりが主体になるかな。ーシュン:壁をつくるというよりも、壁に物を置いていくという感覚なんですね。装飾に関してはそうだね。ただ2人で一緒に活動するときは、「演者がアガれば自然と見る人達もアガるはず」という、根本的な価値観は共有していて。そういった意味では、同じ価値観を持って各々が自分の仕事をしていて、バランスがいいのかなと思います。ゆうじさんとの空間づくりのお仕事。装飾されたステージで実際に演者がパフォーマンスしている様子。――――――Q:話がもどりますが、活動を続けている中で部品の集め方などは変わってたりしますか?最近は勝手に物が集まって来るようになってきてるのかなと思います。周りに自分の創作のことを知ってもらう中で、だんだんと。例えば、友人が勤めている会社の産廃ボックスの写真が送られてきて、この中からほしいものある?とか。今では周りも自分の好きそうなものをなんとなく分かってくれていて、時にはアトリエに無言で物が置かれていたり(笑)。どうして自分のところに物が集まってくるのかは、自分でもこれからもう少し掘り下げて考えたいなと思ってます。循環ワークスさん(静岡県沼津市で、古民家や一般の家屋の片付けで集めた古材などを安価で提供している循環工場。)なんかは、欲しいものリストを常に発信していて、また違ったやり方で物が集まっていて面白いですよね。ホテルだったらもしかしたら、その発信の方が物が集まるのかも。あとは、入ってくる量と出ていく量のバランスも整えていきたいですね。うまく循環させないと、物が溢れていっちゃう。なので、これホテルで使いたいなとかがあったらどんどん持って行ってください。ーシュン:ホテルが完成した後は、人が集まる場になって、作品の展示をしたり循環の場として使えたらいいですね。やっぱり物が動いても人が動かなければ何にもならないという感覚はあって。人が出入りしているのと、そうじゃないのとでは、周りからの印象も違ってくるし。そういった意味では、ちょっと会話をしに寄るとかでも、人が出入りして、空気が流れていく場所になればいいね。ーシュン:最後に、ホテルのこれからに、応援コメントをお願いします!とにかく思うがままに進んでください。材料や技術などが必要になったら、もちろん出向いて協力したいと思っています。「完成しないホテル」って、本当にいいフレーズだなと思います。絶対に完成しないで、ずっと作り続けてください!ーシュン:ありがとうございました!以上、LOWさんへのインタビューでした!ここまで読んでくださり、ありがとうございます。自分の文章力では、LOWさんから溢れる柔らかい雰囲気が伝わらず、悔しいですが…インタビューを読んで興味を持ってくださった方は、アトリエにお邪魔して直接空間を見て、お話して来て欲しいなと、勝手ながら思っています…!ありがとうございました!<(_ _)>


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お世話になっております!Renovate Japan代表の甲斐(かい)です。皆々様のおかげで、なんとか目標の200万円を達成することが出来ました!!ご支援やご拡散、本当に本当に、ありがとうございます。一人ひとりのお声がけやご協力が繋がって、ここまで来れました。この1カ月半の間にも既にたくさんのことがあり、新しい出会いや学びに溢れていました。テレビ、ラジオ、講演、食事会など、 たくさんの発信機会をもらいました。そこで得たものは、クラファンの直接的な目的である資金調達や認知拡大(仲間づくり)というだけでなく、私やメンバーらの成長も大きくあったように思います。期間中、様々な場で講演をしました。こちらは慶応義塾大学にて。特に私は、まちのプレイヤー間では信頼関係を築くために足を運び顔を出すよう意識していたものの、クラファン含む発信の面ではほとんど自分のことをちゃんと説明できていませんでした。これは「私ではなく事業を見てほしい」という想いから生まれた、いわゆる事業の属人化を防ぐためのポリシーでしたが、少し拘りすぎていたように思います。このクラファンの苦闘を通して、むしろ私が先陣を切って発信し、事業を知っていただくための入口にならなければならないこと、そしてそれこそがまちにおける信頼の構築になることに気づかされました。これからはもっと、顔を出した発信活動を心がけます。少し恥ずかしくもあるので、温かく見守っていただけますと幸いです笑。焼津PORTERSにて、まちづくり×ビジネスモデルの講演。まだクラファンは1日半残っています。ここで終わりとせずに、最後まで駆け抜けたい。ネクストゴールは支援者数200名として、もっと取り組みを知ってもらいたいという想いを実働に移します。ここからは拡散やシェアが重要になります。どうかあと少しだけ、お付き合いください。引き続き、焼津と弊社の応援を、よろしくお願いします。SBSラジオも出演!Renovate Japan代表 甲斐隆之


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こんにちは!Renovate Japanインターン生のそうたです!インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第6弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は駅前通り商店街にある「Beer Stand Yozzie」の渥美(あつみ)よういちさんをご紹介します!Yozzieはクラフトビールを主に取り扱っているビアバーであり、あつみさんはその店主です。それではインタビュースタート!お店の外観。――――――Q. 焼津・移住・旅のご経験を教えてください!拠点はずっと焼津ですが、若い頃、冬に白馬村で働いたり(12月後半〜4月頭までの滞在を3年ほど)、バリ島やオーストラリアに行ったりしていました。その時にたくさんの人たちと出会ったので価値観や考え方が柔軟になれたのかもしれないです。おかげでよく「焼津の外から来た人にも寛容なお店だよね」と言われます。焼津は漁村であって元々が観光地ではないので、外から来た人に対する受け皿が小さいと感じてしまう事もあるかもしれません。でも、アクセスは良くて環境的には住みやすいまちではないかと思っています。アウトドアなあつみさん、ロードバイクやバイクも趣味。――――――Yozzieの誕生経緯を教えてください!脱サラしてお店を始めたのですが、40歳あたりで生涯年収が見えたときに、人とのつながりを大事に自分のやりたい仕事をしたいと考えまして。その時に頭に浮かんだのは、バイク整備の下請け、ハーブティー屋さん、クラフトビール屋さんの三つでした。ビールは好きだったし、東京から静岡、静岡から焼津へ流行がそれぞれ三年遅れでやってくる傾向も踏まえてクラフトビール屋さんをやろうと決意しました!――――――商店街で開業することにこだわりはありましたか?ビアバーなので、人の足のある駅前を第一優先で考えていました。そうした時に仲良くしていた友人から今の物件の話をもらったのですが、駅から川をまたぐと少し遠いと思われないかな?と正直お店を始める前は不安に思っていました。ただ始めてからは、近くに新しく居酒屋やカフェもできて来て、商店街が変わり始めているので、良い流れが来てると思っています!タップは8つ。様々なクラフトビールが入れ替わり。――――――クラフトビールが好きになったきっかけはなんですか?クラフトビールが好きになったきっかけは、友達の紹介で柑橘系(はるみ)のビールを飲んだことですね。とても印象に残っています。当時の世代ではスーパードライなどが主流で、ビールは味がないことが一般的だったのに、そのクラフトビールはしっかり味がついていて驚きました。一方で、最近の主流は味付きなので、真逆のトレンドになってきたなと感じています。Yozzieでも、フルーティなビールは味がイメージしやすいので多めに置いています。――――――クラフトビールの最近のトレンドを教えてください!最近までは、「IPA」が流行っていました。IPA、すなわちインディア・ペールエールとは、ビールの原材料であるホップを大量に使用して作られるビールのことです。しかし割と味が濃いため、少し流行に疲れが出てきていますね。なので現在は、ラガー系のIPAやコールドIPAが台頭してきています!コールドIPAは、ラガー酵母を通常より高い温度で発酵させたスタイルのIPAです。こういったホップが効いてるけど後味はすっきり!みたいなビールがトレンドですね。珍しい缶ビールもたくさん!――――――Yozzieにはどのようなお客さんがいらっしゃいますか?正直、高めのビールを仕入れています。なので、学生というよりは経営者とかお金に余裕のある方が多くいらっしゃいますね。ただ時々、イベントで出展したときには500円のビールも売っていて、若い層に人気です。若い人にとって、ビールを飲み始めるきっかけになってもらえれば。ちなみに、元々お隣の藤枝市はバーが多いのに対して、焼津は居酒屋の文化が盛んで、一本のボトルを囲む文化もあったと聞きます。Yozzieのようなバーは今までの焼津にあまりないものだからこそ、参入余地があったのかもしれません。――――――Yozzieの特徴はどんなものがありますか?今の居酒屋における主流は個室ですが、それだと横の客との繋がりがないですよね。Yozzieはカウンターに仕切りもないので、お客様同士での交流がとても盛んです。お客様同士で話をしてくれていたら、1オペなのでお皿洗いの時間もできますよ笑。私も混ざって話をしていると、弁護士や社長、医師など、これまで普段は会わなかったような方と出会えます。若い人は、そういったお金のある方にうまく甘えて、お酒を飲ませてもらってもいいかもしれないですね笑。お店の中はこんな感じ!――――――あつみさんの思う焼津の魅力を教えてください!改めて思うのは、「荒祭り」ですね。前はあまり興味がなかったのですが、今見てみるとなかなかに面白いです。そして、ただ見るだけではなくて、出てみるともっと楽しめます!私も参加して、焼津の色々な側面が見えてきました。加えて、なんでこんなことが1000年も続いているんだろうなんて思ったり笑。一般的なものでは満観峰が好きです!若干焼津ではないのですが、山頂からは富士山と駿河湾が見えてとてもきれいです!去年の荒祭りの様子!お神輿を取り合う。――――――焼津に今後どうなってほしいですか?駅前に飲み屋街がほしいですね〜。焼津は良い飲み屋が点々とていて代行を使わないといけないところもあるのが少し大変で…。公共交通機関の最終時間も早いですし、タクシーがいなくなる時間も意外と早いので、飲み歩くにはちょっと大変ですね。――――――どんな方が焼津へ来たら嬉しいですか?バックパッカーや出張族など、外から異文化を持って来れるような方が嬉しいですね。理由はやっぱり、面白いからです。いろんな人の価値観が混ざって、話が豊になったらいいです。あとは、西洋人が来てくれたら嬉しいです。ビール文化の本拠地ですから。西洋より単価が安いので、楽しめると思いますよ!お店のロゴシール。――――――西町DOCKやRenovate Japanへの印象を教えてください!おもしろいですよね!新たな入り方だと思います。ただ、最終的な印象は宿泊業が立ち上がってから築かれるものです。今はまだ、「改修とか楽しそうだな」という感想になります。これからどう集客して運営していくか考えながら、長く続けていくことが大事だと思うよ。――――――応援メッセージをお願いします!「楽しみにしている」としか言えないです!普通のビジネスホテルとは違って対象がビジネス客だけではないから、どういう客層の人がくるのか楽しみにしています!そうた:ありがとうございます!クラファンもあと少し!頑張ります!インタビュー後にパシャリ。左からあつみさん、かい、そうた。


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どうも、Renovate Japan代表の甲斐です。最近は怒涛の資料や文書の作成に追われています。それでもまだまだ届けたい!!執筆!!焼津クラフト人シリーズ第5弾!!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は、吉田つぐみさんをご紹介します!つぐみさんは色々と取り組まれていて、一言でまとめるのが難しいところはありますが笑、掲題の通り「まちの再興」、つまり「焼津のかつての賑わいを新しい世代にも何かしらの形で届けたい」という想いが核としてあるように筆者は感じます。早速インタビューしていくので、皆さんもこの想いを感じ取って下さい!お店の外観。――――――Q. 今のお取り組みを教えてください!色々やってますよ!整理できるかな笑。まず、atelier & gallery cafe TSUGUMIを経営しています。甲斐くん(Renovate Japan代表)とはここで出会いました。偶然フラッと立ち寄ってくれて。アトリエなので、絵も描いています。自分で創作することもあれば、依頼を受けて創ることも。関連で、絵画教室もやっています。お店の中。「ちょっくら焼津」という焼津市の市民活動団体にも所属しています。焼津愛の溢れた異業種メンバーで、焼津を盛り上げるために活動している団体です。「焼津やってGOドリル」や「焼津みてGO紙芝居」など、焼津の人にもっと焼津を知ってもらうための製作が主な活動内容になっています。「焼津やってGOドリル」は現在vol.3まで発行され、vol.4は外国人旅行者や在焼津外国人向けに英語での作成に臨んでいて、ちょうど大詰めを迎えています。「焼津みてGO紙芝居」は、中高生のボランティアさんたちが焼津にまつわるお話をもとに制作してくれていて、私はその絵の指導を担当しています。紙芝居は読み聞かせの出張や、貸し出しもしています。「焼津ストリートスポーツ協会」にも所属しています。子どもたちが安全にストリートスポーツを楽しめる場をつくる活動をしていて、昨年は海辺の近く(ふぃっしゅーな多目的広場の中)にコンクリート広場を設けようと取り組みました。こちらは特に、毎週のゴミ拾いや署名活動、多くの方々の協力もあって、信じられないスピードでオープンまで辿り着きました!これからは更に、最終目的としてスケートボードパークを焼津の地につくるために頑張りたいです。一歩ずつコツコツと、ね。スポーツも現役なつぐみさん!浜当目にてSUP。「カツオSHOWてん」という取り組みの実行委員もしています!こちらは駅前商店街の活性化を目的とした、秋を彩るアートイベントです。第一線で活躍されているプロ作家の方々、市長、一般参加の皆さんが、同一の「カツオ板」にそれぞれ、焼津や海、漁業、環境問題などへの想いを込めたカツオアートを制作し、商店街のアーケードに飾り付けます。シーズン中は、制作者も、お店の人も、お買い物をする人も、皆で楽しんでもらっています!いずれはこのイベントを、焼津市全体のアートイベントとして成長させていけたら良いなと思い、その期待を胸に頑張っています。カツオアートが彩る商店街。最後にビーチクリーン、すなわち海辺のゴミ拾い活動もやっています。私にとって海は、子どもの頃は遊び場で、高校生の頃はサーフィン、現在はSUPと、ずっとお世話になっている存在です。だから、「ありがとう」の気持ちを込めて、ゴミ拾いを始めました。ゴミ拾いを始めてからは、ゴミや漂流物を活用した作品も生まれるようになったので、アートの面でも海から恩恵を受けています。そのように、私の表現の世界を広げてくれた海には本当に感謝しかないです。現在は、友人5人で浜当目の海岸をゆるく清掃していますが、自分のやりたい時にやりたい場所で、無理なく気軽に習慣として続けていきたいですね。――――――Q. 印象に残っていることは?最近の一番は、モンゴル国に行ったことです!まさか自分のローカルな活動が海外へ繋がるとは…。焼津市ではもともと市役所にモンゴル国出身の方がいて、さらに2020年のオリンピック・パラリンピックを機に焼津がモンゴル国のホストタウンとなり、市民間での交流も推進し始めました。そこでスポーツに限らず交流をしていきたいということで、紙芝居の文化紹介が提案され、モンゴル国友好協会の会員らが現地で紙芝居を披露した上でそのキットを届けるという運びになりました。私は当時会員ではなくて、モンゴル国は正直ノーマークでしたが笑、渡航メンバーの方に誘われて会員となり、ツアーへ参加しました。モンゴル国の人の熱烈な歓迎や優しさ、異文化に触れて刺激を受け、すっかりモンゴルファンになりました!また行きたい!!行くよ!!モンゴルにて紙芝居を披露!左がつぐみさん。そして、これからもっと多様な異文化に触れていきたいという想いが高まっています。焼津にも、もっと海外客が増えたら楽しいかもしれません!甲斐:西町DOCKでも海外客へのアピール、頑張ります!――――――Q. これからはどういう活動を?カフェの方は実はこれからリニューアル!アトリエの部分を工事して、もっと使いやすくします。これは、ゆうじ(第4弾出演!)にお願いしています!中身の面では、前述のモンゴル国を含めて他国の方との面白い繋がりが最近増えていて。そんな素敵な繋がりやご縁を、他の人たちもたくさん触れられるように色んな形で広げていきたいと思っています。そのために、このアトリエカフェも活用していけたらと。焼津全体としては、面白い人やモノなど色々と活用できるはずのリソースが溢れています。これからは、そこで何をどうするのか?のアイディアが重要だと思います。私自身も、自分が持っている経験や繋がりを活かしたい!何を地域にもたらすことが出来るのか、模索し続けます。――――――Q. 焼津への想い私は、自分が子どもの頃の活気をまちに取り戻したい。あの頃の焼津の感覚を、新しい人たちにも味わってほしいんです。別にそのまま昔をよみがえらせたいわけではなく、新しい形で面白いまちにする。構想としては、各地域でそれぞれの「自分王国」がつくれたら良いかな?と考えています。無理に全てを同じ箇所に集めることはせず、広域に分散型で、昔の駄菓子屋さんが点在していたように。そうすれば、皆が自分の徒歩・自転車圏内でまちを楽しめるし、それぞれの点を中心に周囲へ活気が生まれていくはずです。私たちのようなスモールビジネスは、そうやって大手企業には出来ないものを手掛けていくものだと思います。浜当目ビーチクリーンの様子。流行も技術も、最先端を使いこなしているのは若者たちです。その最先端を知る子たちが、これからのまちを、自らが住んでいる場所を楽しくするために、どうしたいのか?何をしたいのか?そういった模索ができるように、大人たちは支える役割を担うべきだと思います。前述の通り、せっかくリソースはあるのだから、それを若者たちが知ること・使うことを、私はサポートしていきたいです。私は組織ではなく個人として、出来ることを粛々とやります。無理に統率はせず、個人ベースで活動が広がっていくのが良いと思っています。――――――Q. 応援メッセージをお願いします!西町DOCKが開業すれば、焼津は絶対に面白くなる!昔、漁業が盛んだった時代は漁師が泊まる旅館がいくつもあったのだけれど、漁業と共に衰退していってしまいました。これからは違う形で、宿泊業を描かなくてはならないと思います。西町DOCKでは、一般的なビジネスホテルでは味わえない、地域感、ホーム感を出していけるのではないかと期待しています。楽しみです!焼津へ来てくれてありがとう、ホテル再生だけでなく色んな意味で。代表甲斐(左)とつぐみさん(右)。


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こんにちは!RenovateJapanインターン生の宮田まほです。インタビュー企画「焼津クラフト人シリーズ」第4弾!※焼津クラフト人シリーズでは、焼津で何か活動している方を取材し、その方のクラフトする(つくる・くわだてる)ものをご紹介していきます。今回は「焼津PORTERS」にて色々とクラフトしている市民6名をご紹介します!焼津PORTERSは、古くから漁具倉庫だった建物群を、フードコートやコワーキングスペース、テナント賃貸などへと改装した複合施設です。地域に開かれた場所を目指していて、マルシェなど様々なイベントも開催されています。漁具倉庫の味も残したデザイン。――――――Q.まずは、自己紹介をお願いします!・まっすん私は焼津出身で、しばらく外に出て働いていましたが昨年12年ぶりにUターンしました。今は、フリーランスとして活動しています。PORTERSでも関わっている事業者さんたちなどとお仕事させてもらっています。中でも最近は、オンデマンド交通サービスの「つなもび」の実証実験に力を入れていますね。他にもPORTERSで「焼津もくもく・ワーケーション会」を発足させていて、焼津市内のワーケーション施設を巡りながら作業をする人たちを集めています。これからもPORTERSのトップファンとして、この場所を盛り上げたいと考えています!・りゅうせい私は東京出身で、母が経営している株式会社吉村の工場が焼津にあることをきっかけに、7年前に移住してきました。妻は石津浜の近くでカフェ「旅の途中」を営んでいます。共に焼津で3児の子育てをしています。長年焼津に工場がありながらもまちとの関係性が希薄であったことに問題意識があり、もっと焼津に関わりたいという想いで市役所の方に相談したところ、突如PORTERS MARKETでテントサウナを出店することになり、そこから密にPORTERSと関わるようになりました!(詳しくは、こちらをチェック!)・あきの私は幼少期からずっと焼津です!山福水産株式会社に勤めていて、弊社がPORTERSに「こめふく」というおむすび屋さんをオープンする運びになり、広報担当として関わるようになりました。プライベートでもPORTERSに関わりたいと思い、イベントの企画などに携わっています!私にとって、この施設の存在意義は大きくなってきています。ヨルチル、大盛況!・かねひら私の出身は北海道で、父の定年退職を機に焼津へ移住して12年程が経ちます。去年の4月に8年間勤めていた会社をやめ、フリーランスのデザイナーとして独立しました。massara design works.という屋号でwebデザインやグラフィックデザインをしています。前述の「つなモビ」のモビリティデザイン、キャラクターデザインやSNS運用も担当しています!最初のきっかけはPORTERS MARKETの際、運営陣がそのポスターやチラシのデザイナーを探していたらしく、PLAY BALL! CAFEのゆーこすさん(第一弾に出演!)からご紹介を受けました。以来PORTERSとは積極的に関わっています。新しい企画などがあるときのロゴデザインや、SNSの発信などを行っています!・カリーホークス私は焼津出身で、しばらく東京で過ごした時期もありますが、Uターンで帰ってきました。本業は介護職をしています。こっそりカレー屋さんもマルシェに出したり笑。まっすんのInstagramを見て初めてPORTERSへ訪れ、懇親会に参加したら、気さくな方々が向かい入れてくれました!ほとんど毎月の懇親会にも参加していて、ヤイズヨルチルなどイベントの企画にも携わっています。・艦長私は東京出身で、去年の3月から焼津に住み始めました。株式会社Smart Hotel Solutionsに勤めていて、ホテル事業の開発案件としてPORTERSの企画に関わり始め、気づいたらプロジェクトマネージャーになっていました笑。仕事とはいえ焼津に住むようになってからは、この土地柄や雰囲気、人が好きになっていって、「他の人にここを任せるのは嫌だなあ」と思うようになり、艦長として継続していく希望も会社に出しました。弊社メンバーも夏のイベントに参加!――――――Q.焼津の好きなところは?※ここからざっくばらんに話している様子をまとめていきます!ちょうどいい立地ですよね、静岡や東京にもすぐに行けるし。生活するには十分な施設が整っているのにも関わらず、人が多すぎず、かつ田舎すぎない。エリアによって、雰囲気が変わるところも好きです!駅周辺、浜当目、石津浜など、それぞれ特徴があるように感じます。自然が豊富で、山・川・海があって、蛍もいるし、富士山も見えます。温泉があって、美味しいお店ばかりなのに安い!地価が安いからですかね。窓からは港が見える!楽しんでいる大人が多い!自己表現している人が沢山います。皆、人柄がすごく素敵だなって思います。他の地域から焼津へ来て思うことは、お店や近所の方がとてもインクルーシブということ。来てすぐに受け入れてもらえたことが、とても印象的です。移住者にとって優しい地域だと思います!それでも地元愛は強いですよね笑。お祭り(焼津荒祭り)も大きくて、わざわざそのために地元へ帰って来る人もいると聞きます。インタビュー中の様子。――――――Q.これからPORTERSをどんな場所にしたい?間口を広げたいです!どういう施設か中身があまり伝わっていないから入りにくいのかな?と。存在は認知されているけれど、来たことない人がほとんどだと思う。1Fのフードコートをうまく利用して、いろんな人が来れるような場所にしたいです。焼津市外の人と地元の人を繋げるような場所にしていきたいです!例えば、前述の焼津もくもく・ワーケーション会もその意図があって発足させてみました。もくもく作業。――――――Q.西町DOCKの印象を教えてください!駅北へ行くきっかけがあまりなかったのですが、あの廃ホテルをリノベーションしてくれることで、雰囲気的に前が通りやすくなったり、そもそも楽しそうだから遊びに行く理由ができたりすることがとても嬉しいです!初めて事業内容を聞いたとき、ホテルの商業的なコンセプトだけでなく、背景に貧困や空き家といった全国的な社会問題を解決するための仕組みとしてのタテナオシがあることを知り、衝撃を受けました。理論だけで先行することなく、焼津にいる人たちも改修現場に巻き込みながら準備を進めていてすごいですよね。西町のエリアに価値を感じて活動してくれていることや、タテナオシの地方進出における最初の事例として選ばれていることが嬉しいです!――――――Q.最後に応援メッセージをお願いします!個人的な出会いはクラフトビールのお店「Yozzie」(今後出演予定!)でフランクな形でしたが、今ではこうして真面目なところでも関わることが出来て、なんだかとてもよかったです!交流型の宿泊施設がなかなか焼津にはなかったのですが、安心して友達に紹介したいと思える場所が出来て心強いです。暗いイメージになりがちな貧困問題や福祉の領域を、明るいコンセプトと組み合わせて上手く実践していて、この先の期待がふくらみます!西町も駅前もPORTERSも、様々な拠点が連携することで焼津を盛り上げていきたいですね。今後ともよろしくお願いします!取材後に皆でパシャリ!