2023/11/02 09:22

The Rose 

 バラに興味を持ったのは高校生のときでした。「りぼん」という漫画誌で作品を発表していた清原なつのさんは、金沢大学薬学部出身。化学的・生物学的知識を散りばめた作品のひとつが、青いバラをモチーフにした「未来より愛をこめて」。私は、この作品から、青いバラが存在しないということを知ったのでした。登場人物の名前が全てバラの名前で、クリムゾン・グローリーもジョセフィン・ブルースも、この作品を通して覚えました。私の最も愛するバラは、今でも、クリムゾン・グローリーです。

 とにかく、これがきっかけでバラに興味を持ち、いつか自分の庭を持ったらバラを育てよう…と思ったのでした。その願いが叶ったのは2000年。以来20年以上にわたり、延べ150種以上のバラを育ててきました。2012年には、日本園芸協会認定の「ローズ・コンシェルジュ」という資格も取得しています。

 バラの写真を撮るようになったのも自然な流れであり、写真集も制作しています。今、見返しても写真集の中のバラは十分に美しく、その出来栄えには満足しています。

しかし、2007年に2冊目の写真集を制作した後、これを続けていくことに疑問を持ちました。ガーデンローズの美しさを写真で再現することに何の意味があるのか。もちろん、「記録」としての意味はあります。しかし、「フォト・アート」にはならない。再現を目指すならば、本物は決して超えられないからです。


写真には、バラの大切な要素である「香り」も入りません。そして、こういう写真は誰でも撮れます。誰でも撮れるような写真は撮りたくない。こうして、自分ならではの作品を追求していく中でたどり着いたのが、ボタニカルアート(植物細密画)様式によるバラの写真作品でした。2008~2009年頃のことです。これは、ガーデンローズの写真とは決定的に異なる、細部の精細描写を特徴とした「バラのスタジオポートレート」であり、撮影も含めた作品制作過程は完全オリジナルであるという自負があります。以来、制作を継続し、現在、その作品群は120種にまで達しました。

 前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題です。

 ボタニカル様式によるバラの写真作品は、作家活動の大切な柱であり、ライフワークとしているものです。では、冒頭写真は一体何なのか。なぜ、バラの写真をプラチナプリント作品として制作したのか。

 この写真は、鉢に植えられた数多くのバラを撮ってほしい…という依頼を受けて撮影した中の一枚です。つまり、仕事としての受託撮影でしたから、元はカラーです。納品する前の確認作業をしているとき、この一枚が引っかかりました。正しく思い起こせば、撮影する段階から不思議な魅力を感じていた…ような気がしています。「これはいけるかもしれない」というのは完全に直感ですが、モノクロ変換してネガを起こし、プラチナプリントしてみようと思ったわけです。

 色情報というものは強力です。グラスに注いだワインの色を撮り続けている写真家もいるくらいですから、色だけで成り立つ写真もありますし、逆に言うと、色がなければ成り立たない写真も少なくないでしょう。その色情報を排除したのがモノクロ写真。さらに、このバラの写真で言えば、ボタニカルアート様式の特徴である細部の精細描写も捨てています。加わったのは、プラチナプリントの雰囲気。

 さて、何が見えてきますか?たくさんのものを削ぎ落して見えてくるものとは?

 バラは、他のどの花よりも、人との関わりの深い花だと言えます。人類の歴史に登場する最古のバラは、紀元前2000年頃、西アジアに栄えたシュメール人の手による石板の記述「ギルガメシュ叙事詩」だと言われています。それから4000年もの間、人とともに歩み続けた。人に手による保護を受け、交配によって数多くの品種が生み出され、現在では3万種類とも4万、10万種類とも言われます。さまざまな文学作品に登場し、音楽、絵画、写真などのアートで扱われてきています。

 この一枚の写真に浮かび上がる「バラの核心」は、おそらく、そういったことに関連すると思われます。私にも、おぼろげにしかつかめていません。キーワードだけ挙げてみます。

 不思議な実在感…いのちの輝き…人はバラを想い、バラは人の思いに寄り添ってきた…

 最後に一つだけ付記したいことがあります。ボタニカルアート様式によるバラの写真作品を制作するとき、バラの名前は最重要事項のひとつです。バラの名前、来歴を知らずに写真を撮ることはしません。でも、この写真のバラの名前を私は知りません。撮影するときも、プラチナプリントにするときも気にしませんでした。だから…The Rose