What am I doing here?
ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin, 1940-1989)は、イギリスの紀行作家である。しかし、博識・多才で研究肌の彼自身は、紀行作家と呼ばれることに抵抗があったらしい。
2019年に、鬼才ベルナー・ヘルツォーク監督による「歩いて見た世界」という映画が制作され、昨年、長野市の古い映画館でも上映された。チャトウィンの足跡をたどったドキュメンタリーだったが、伝記的な要素はほとんどない、難解な内容だった。私は、彼の著作もいくつか読んでいるが、若くして亡くなった彼の最後の自選集の題名が、" What am I doing here "(?は付いていない。フランスの詩人ランボーの手紙から引用されている。)である。
私がこの写真を撮影したのは、12年前である。チャトウィンを知ったのは、そのころだったはずだが、どういうきっかけで知ったのかが思い出せない。しかし、自選集の題名が、この写真とすぐさま結びついたことは覚えている。深く共感するものがあった。
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「どうしてぼくはこんなところに?」
という思いにかられて、愕然とすることがある。
「ここで一体何を?」
「ここは、あの頃思い描いた場所と違うのでは?」
と頭を抱え、途方にくれる気持ちになることが。
余儀なく進んだ道もあるが、選んだ道の方が多かったはず。流されたつもりはない。ところが、結果として、何か抗いがたい力のようなものに翻弄されながら、ここにたどりついた気もしている。
知り得たのは、どんなに幸福な日々もそのままのかたちで続いていかないということ。
「こんなひとときがずっと続けばいい…」
と願ったことは一度や二度ではなかった。しかし、いつかはそれも終わりを告げる。生きている以上、あらゆることが変化するから。意識して強く求めるのではないとしても、いつのまにか自分自身の中にさえ、変化を望む気持ちが萌芽されることを知っている。
あえて言うのなら、それは、生そのものに付随する哀しみ。
そして、私の場合は、この一文に対して共感するとき、驚きや嘆きや後悔の後に
「ここも悪くないのでは…」
という不思議な肯定感が生まれる。
ランボー やチャトウィンの年齢を超えた自分にも、ほんの少し、人生を受容する覚悟ができてきたということなのだろうか。そもそも、思い描いた場所などなかったのかもしれない。
またいつかここはここでなくなる。いつまでも途上にあることを「旅」と呼ぶのだろう。その途上、幸せは消えてなくなるわけではなく、気づけば…いつもここに在り続けている。
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11回にわたって書き続けた活動報告は、今回で最終回です。ここまでおつきあいいただきありがとうございました。いよいよ来週15日から写真展開催となります。足をお運びいただき、プラチナプリント作品の実物をご覧いただければ幸いです。会場で皆さまとお会いできることを、心から楽しみにしています。
クラウドファンディングもあと4日。早々に目標を達成でき、186%にまで支援の輪を広げることができたこと、心より感謝申し上げます。皆さま一人一人からの応援が大きな力となり、私の背中を押してくれています。写真展を完遂し、また次の一歩を踏み出します。本当にありがとうございました。写真展の様子や事後報告なども、さまざまな方法手段でお知らせできればと思っています。