こんにちは、ポップヴァイオリニストの式町水晶です。
前回の活動報告では、「大切な人を支えている人」にも「支える人」が必要という投稿をさせていただきました。家族、仕事仲間の方々、周囲の方々、ファンの方々の「支え」がなければ、ヴァイオリニストにはなれていないですし、こうして投稿もできていない、と思うのです。
とはいえ、ポジティブな経験だけが今の自分を作っているわけではなく、ネガティブな経験も今の自分を作ってくれています。
例えば、障がいによっていじめ・不登校を経験したからこそ、メジャーデビューアルバムのタイトルでもある『孤独の戦士』が生まれました。
また、学校での講演・演奏ができるのも、そうです。
「なぜ、式町水晶と学校での講演・演奏会をした方が良いのか?」
という疑問にもお答えしやすいです。これは、家族、仕事仲間の方々、周囲の方々、ファンの方々の「支え」があったからこそ、思えることです。
「支え」には「守り」と「攻め」の2種類がある
「支え」には2つあると思っていまして、1つは「守り」の意味の支えです。困難を抱えている時に、
「大丈夫?」
「一緒に考えよう」
と声をかけてもらえる存在はとても大きいものです。
しかし、「守り」すぎてしまうと、無自覚なうちに「縛り」になり、本人の自立を阻む「壁」にもなってしまいます。(良かれと思って心配されているというのが大前提であると思います)
例えば、「チャレンジしたいことがある」と本人が言っているのに、「危ないからやめた方が良い」という感じです。これは特別支援学校に通っているクラスメイトとも話していたのですが、「カゴの中にいる鳥」のような感覚になってしまうイメージだとわかりやすいでしょうか。
そこで、大事になるのがもう1つの「支え」である、「攻め」の支えです。言い換えると「本人の選択・権利を支えること」であり、簡単にいうと「させてみること」です。
例えば、ぼくがヴァイオリニストを目指す中で、祖父が持ち家を売って、支援・応援をしてくれました。ボクシングも応援してくれました。うちの家族は、母と祖母が「守り」で祖父が「攻め」の支えを担当してくれていたと振り返って思います。
これは、障がいの有無に関係ありません。
ぼくは、「守り」が手厚かった分、「攻め」とのバランスが偏ることもありました。しかし、祖父はどんな時も、「水晶はそうしたいんだろう?」と信じ、選択と権利を支えてくれました。このようにあらためて考えてみると、祖父が亡くなった時の喪失感は、とてつもなく大きいものだったことが客観的にもわかります。
こういった「支え」を受けてきたこともあり、どんな人にも、「守り」と「攻め」の支えがあれば良いなという想いがあります。
やはりこうした人生経験から自分は「戦士」であり、「癒し(守り)」と「鼓舞(攻め)」の精神・価値観が形成されてていることを、冊子や書籍を執筆する中で実感しています。
あなた自身、周りの大切の選択・権利を大切にしていただきたい。
あなたのこれからの人生で楽しい時間がたくさんありますように。
そう願い、今回の活動報告とさせていただきます。
式町水晶
▼挑戦中のクラウドファンディングのご報告
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大切な人を支えるために頑張って生きるあなたを癒し、鼓舞する1曲を創り、届けたい!
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