2018/04/14 10:06

20歳の頃、ダンス留学から帰って来てダンスバトルシーンに身を投じつつも。

同時に、福祉施設でダンスパフォーマンスをおこなうボランティア活動も始めた。

団体 「共有空間」の立ち上げだった。


そのボランティア活動は3年間で全国100カ所以上の施設に展開して毎年3年間年末に、川崎クラブチッタで利用者さんと若い子たちが混合するイベント「人=人(ヒトビト)」を主催した。

この活動の一歩目の体験が、踊りの本質に触れたときだった。

いわゆる
【 踊りの本質は世界共通言語である。 】
すなわち
【 踊りは言葉を超える。 】

福祉施設へダンスパフォーマンス初日。

クラブでのショーケースのノリで施設で用意してもらったステージで踊る。

施設は川崎にあった。

用意してもらったステージといっても

広場にスペースを空けてもらった感じのイメージ。

普段ショーケースをするクラブとは全く違うお客さんたち。

施設利用者さんたちがお客さん。

まずレスポンスがやばい。

全員、己の世界。


。。。

 

もはや、ビビった。

クラブでは、かっこつけたり、スキルぶちかます!みたいな感覚で挑む舞台前。

そんな感じで、施設利用者さんたちの前に立ったら、

全員、己の世界。

もはや、おれのこと見てない。

見てても、あまり興味なさそう。。。汗

このクラブと施設のギャップにはかなり、動揺した。

そのときに一緒にパフォーマンスしていた介護ヘルパーのダンサー友達が、きにせずオープンに踊り狂っているのを観て分かった。

そうか、ありのままでいいんだ。

もうスキルとか考えないで、衝動で踊った。

本能で踊った。

踊り狂った。

そしたら、利用者さんたちめちゃ盛り上がるという笑

すごい嬉しかった。

彼らは踊る姿ではなく踊る人の『心』を見ていた。

かいていてた汗も爽やかだわ。って思った。

衝動的本能に突き動かされている健常者と呼ばれる成人男性が、Reo Matsumotoのビートボックスで狂って踊っている。

その姿は、一体見せれるものなのかどうかは謎だけど。

けど今でもたまに思う。

その‘ゾーン’に入ったときは、みんな一つになる。

パフォーマンスしている側も、みている側も。

みんな、一つになる。

俗にいう、会場を‘ロック’した刹那。

その刹那は、【 1つの和 】だった。

その感覚を踊りを本格的にはじめて、20歳にダンス留学から帰国した当時。

初めて福祉施設で踊った、あの日に初めて本質的な会場ロック状態を体験した。

その体験をして仲間たちとめちゃめちゃハイテンションになってステージを後にした。

ステージ後に、仲間たちと昼飯食べてたら

だだだだー!!!と走って来た男の子がいて

彼は俺ととても似た症状だった。

彼のメインラングイッジは「小田急線」関連であった。

小田急に関連することしか普段、話さない。

そんなドープな少年だった。

その彼が、俺の手を掴んで言った。

『 感動した!!! 』

これは、本当にそういってくれて、、今でも耳に残っている声。

その光景をみた小田急男子の母が、感動してくれた。

普段、小田急線のことばかりなのに感動なんて言葉めずらしいと言ってくれた。

かつての自分と似た小田急線男子を見ながら同時に子供のころの自分を見ていた。

俺は、踊っていて良かったと思った。

踊りは、言葉を超えたコミュニケーション。

心と心で身体を使って会話する。

言葉を使わない踊りで超えれた言語障害と呼ばれる壁。

本来、その壁だって存在しないんだ。

僕らは子供のころ、全部知っていた。
そして持っていた。

一つの人間であること。

一つの身体をもつこと。

僕らは、世界という船で共に生きている生き物なのだということ。

踊りは、世界共通言語である。

これは、本質である。

つゞく


一舞一生 -one step ,one life -
小畑 ‘OBA’ 大左衛門

【歩んで舞る】特設サイト
http://otona.be/ayundemairu/