今日から始めます!先生ありがとうカウントダウンLIVEInstagramで朝6時頃〜Facebookで夜8時頃〜どちらも15分程を予定しています。現在すでに40人近いかたにご支援いただいていますが、正直かなり厳しいです!ここから急上昇するしかない!!!ありえないくらいの感動の結末を一緒に迎えていただけると最高に嬉しいです!!!
先生ありがとうプロジェクト の付いた活動報告
今日は高校の卒業式卒業おめでとう!と同時に先生ありがとう!が溢れる日。私が最後に卒業生を出したのは、この写真のクラス。卒業式が終わり、HRが終わると、部活や色々一緒に乗り越えた生徒たちが先生を訪ねて「ありがとう」を伝えてくれます。本当に嬉しくて、ありがとうのためにやっているわけではないけど、幸せな気持ちが溢れます。先生やっててよかった〜!!!と本気で思える瞬間で、全てが報われる瞬間です。卒業式当日の最後のHRでの生徒のやりとりはプロジェクトページにも載せているのですが、実はもう一つのエピソードがあります。最後のHRで、担任として何を話そうかなと思った時、私は生徒ではなく保護者の方に向けて話をしました。その時話した内容を記憶を辿って書いてみますね。ーーーみんな、卒業本当におめでとう!私からは保護者の方にお話をさせてください。みんなも一緒に聞いてほしいから、聞いててね。保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。私はお子さんが1年生の時に1ヶ月ほど現代文の授業を持たせていただき、産休育休に入り、今年1歳の子の母となりここに戻ってきました。大きなお腹を抱えながらの生活。決して痛くないとは言えない出産。出産で何かあった時は私よりも子どもの命を優先させてくださいと主人にお願いしたのを思い出します。命懸けまさに子どもを授かり母となって知った、命をかけてでも守りたいと思う感覚が分かりました。復帰してからは、トイレに1人で何も考えず入れる幸せ食事を自分のペースで食べられる幸せを感じつつも、毎日のように頭を下げながら、子どものお迎えのために早く帰り、熱が出たら呼び出され、家に帰ると散らかった部屋でイライラする自分への嫌悪感、夜泣きで何度も起こされる日々それでも朝はやってくる子育てって並大抵じゃない世界でした。今こうやって目の前に17歳の子どもたちがいる。そこまで育ててきた先輩お母さんたちを本当に尊敬します!ここまで育ててきてくれて、ありがとうございます。ーーーこの話をしていると、子どもたちは驚くほど静かで、お母さんの様子を一生懸命思い返している様子でした。そして、お母さんたちの啜り泣く声が教室中に広がりました。心がとっても温かくなり、ありがとうって伝えられてよかったと私は心の底から思いました。その後に、先生ありがとうの生徒たちの演出が。もう私も号泣!笑その全てが終わって、ある保護者の方が私の元を訪ねてくださいました。「先生、本当にありがとうございました。私、初めて担任の先生の話で泣いてしまいました。全国大会に連れて行ってもらえたのも、先生のおかげです。本当にありがとうございました。」驚きました!このありがとうは私の子育ての話で、未来の私に言ってあげたい言葉。でも、今17歳の子どもを育ててきた保護者の方にも響いてくれた。ありがとうは飛躍するんだ!1人のありがとうが、ストーリーを伴って語られる時、そのありがとうは当事者のものだけでなく共感を呼ぶんです。このプロジェクトはそんな共感のドラマを一緒にプロデュースしませんか?というお誘いです。あと20日。頑張る先生にエールを届けるため、最後まで心一つに走りたい!
今年でもう10年になるのか…実は私、大学院を終了してそのまま広島に残り、広島市内の中学校に1年間だけ勤務しました。そこは、のちに広島土砂災害の被災地となった地域。当時は1年生の担任をしていたので、年度当初にまさに土砂が流れた地域を家庭訪問で回っていました。そして、岡山に帰った後の2014年。土砂災害が起こりました。当時関わっていた生徒で、自分の家も浸水したけど友達の家が半壊した…と連絡を受けました。いてもたってもいられず、私は何かできることは?と被災地に復興ボランティアとして出向きました。避難所である小学校の体育館に足を運び、被災者の皆様が使用していたトイレをこれでもかとキレイにさせていただきました。この時、被災者の皆様が「ありがとう」と言ってくださる言葉に、こちらが励まされ心が温かくなったことを今でも思い出します。黙々と掃除を終えて、他にできることは?とキョロキョロと周りを見渡した時、はっとしました。中学校で働いていた時の同僚の先生が、体育館内での物資の支給や、各教室の環境整備などをして働いていました。ある先生に声をかけました「先生!ご無事だったんですね。何かできることありませんか?」すると、キッと表情が変わり、怒られました「周りの先生見てください!」ここだけ切り取ると、なぜ?ですが、今思うと多分いっぱいいっぱいだったんだと思います。ほぼ休むことなく、ずっとずっと自分よりもそこにいる方に配慮し続ける毎日。きっと、その先生はもう心が疲れていて、元気な私たちと普通に話をする余裕は残されてなかったから怒りという感情を私に発散することで心を保とうと思ったんだと思います。今年、能登でも大きな震災による被害が出ました。きっと今もなお、避難所となっている場所では学校の先生も働いています。年始は休み返上で出勤し、地域住民のために体を張って勤務してくれていたはずです。学校の先生、すごくないですか?私は被災地の先生の話もお手紙で届いたらいいな…と実は思っています。もしも届いたら、そのストーリーを本に載せて、能登の学校に届けたいな。そんな思いもあります。当たり前な先生の姿を、スポットが当たるステージに乗せることがこのプロジェクトだと考えています。どうかどうか、届きますように。ぜひこの思いをみなさんの力で繋いでください!
昨日は保育園に通う下の子2人の発表会でした。次男は3歳で3回目の発表会。1年目は舞台で寝る←これ未だに保育園設立以来唯一の快挙の大爆笑武勇伝www2年目は激オコで舞台上で足を組んで座る←これまた母は大爆笑wwwそんな次男くんですが、今年はなんと!めっちゃちゃんと演じて、歌っていました!!!なんなら次男くんが一番大きい声で、歌詞が分からなくって少し止まっちゃったらみんな歌えないくらい頼りがいあるボーイに成長していました!本当に驚きです!!!担任の先生とその感動を分かち合って帰ってきたのですが、こうやって成長への感動を共有できる家族以外の人がいるって本当に幸せだなと思いました。それと同時に、写真を見返していて気づいたことがありました。次男くんのクラスの今年の劇は『大きなかぶ』でした。写真はおじいさん役でかぶを「うんとこしょどっこいしょ!」と抜こうとしているシーン。ご存知のように、このストーリーは大きなかぶをおじいさん、おばあさん、孫、犬、猫、ネズミで力を合わせて引っ張ることで抜くことができたというお話。とっても大きなかぶは決して1人ではなく、しかも最後はネズミなんて本当に力になるの?と思われる小さな小さな力でも加わることで、大きな成果を出すことができたんです!うんとこしょどっこいしょそれでもかぶは抜けませんこのやりとりを何度となく繰り返し、それでも諦めず、たくさんの人の力を借りてでもなんとかやり切ろうとするおじいさんの姿がまさにこのプロジェクトと重なりました。全国の先生にありがとうを届けるなんて、私1人で「ありがとう」と言いに行ったとしても「え?だれ?」で終わって私の自己満足のプロジェクトでしかありません。でも、みなさんの力をお借りできるのなら???私はみなさんのお力をお借りできるからこそ、無力ではなく教育に「意外性」をもたらすと思っています。「うれしい」「ありがとう」既にこのプロジェクトを知った先生が、本当にこんな「ありがとう」が届けられたら嬉しいに決まってる!と仰ってくださいました。1人のご支援で、どこかの学校に本が届けられる。1円でも達成しなければ全額返済、プロジェクト実行なし!ぜひ、たくさんのご支援で大きな大きな教育という「かぶ」を一緒に引き抜いて、一緒に感動をお届けしましょう!どうぞよろしくお願いいたします!!!
な、な、なんと!私の高校の時の恩師が、来年度県教育長になるんだって!!!私は学校の先生になって、生徒から言われてガッツポーズした言葉があります。「先生はなんでそんなに笑っとん?」廊下ですれ違った生徒が、私がニコニコしながら1人で歩いているのを見て話しかけてくれた言葉でした。もうね、私の心の中は「ヨッシャ!」と嬉しくって、すぐに答えました。「だって楽しいもん!先生って仕事は最高なんよ!」おそらく生徒はハテナ?が浮かんでいたと思います。しかし、なんとも嬉しそうに「ふ〜ん」と返してくれました。実はこのニコニコしている先生の姿は、私にとってモデルがいました。それが、高校3年生の時の担任だった中村先生です。中村先生は日本史の先生で、平安時代に生きた和宮が大好きな先生でした。和宮のことが授業で出てくると、和宮の話をいつまでしゃべるんだろうと思うくらい、ニッコニコの笑顔で1人喋り続けるんです。歴史苦手〜と思っていた当時の私は、その内容よりも、先生が楽しそうに話しているその姿を見ているのがとても楽しくて、マジマジとその姿に見入っていたのを今でも思い出します。そして、何を隠そう中村先生こそ、私が初めて見た「ニコニコしながら廊下を歩く先生」でした。「先生なんでそんな楽しそうに廊下歩いとん?」そう声をかけたのは高校3年生の私。その時、中村先生はこう答えてくれました。「ん?そりゃ楽しいからじゃが!」この時、思春期もえはまぁまぁ尖っていたのですが、初めて「この人おもろい」「なんか大人って楽しそう」と感じました。そこからです!この先生なら信用できると思い、受験前の1ヶ月、超絶苦手だった日本史をなんとかできるようにしたいと思い、毎日毎日日本史の教科書と資料集と新しいノートを持って、職員室で中村先生を隣に座らせて説明してもらいながら自作の年表を作りました。写真はそのノートです。このノートは今でも宝物です。中村先生は私にとって元気な先生のモデルの最初の先生です。あんなにも楽しそうに「先生」をやってくれる先生がたくさんいたら、もっと学校は変わる!それはひねくれた私でさえそうであったように、先生の笑顔が生徒の未来を確実に変えてくれた経験があったからです。先生、笑って!先生の笑顔は、先生だけでなくて目の前の生徒の未来をも照らす灯火になります!心からの笑顔が無意識に出るくらい、先生に元気になってほしい!だからこそ、私は先生に元気を届けたい!!!たくさんの「ありがとう」の思いで。届け!届け!とどけーーー!!!ありがとう!!!!!!!!!!