2018/04/27 18:59

応援スタッフのせこぐちです

 

私たちの暮らしは、たくさんの選択肢によって構成されています。

映画を見ること。友達とご飯を食べること。パソコン作業をすること。仕事をすること。

たくさんの選択肢のうち、「わたしがいま何をしたいのか」を選択していくことが、当たり前の生活です。


でも、障害があるから当たり前の生活を送れない人もいらっしゃいます。当たり前の生活を送るために、相当な努力や時間、お金を要する人もいらっしゃいます。自分の意思にそぐわない生活を強いられる人もいらっしゃいます。やりたいことを諦めなければいけない人もいらっしゃいます。


ぼくは障害があっても当たり前な生活を送るようなサポートをするおしごとを8年間していました。働いていたときに特に意識していたのは、その人らしい暮らしをどのように演出していくのか。「その人はいま何をしたいのか」「その人はどのような生活を送っていきたいのか」を常に振り返り、実際のサポートに落とし込んでいました。


ぼくはたくさんの障害の方と向き合ってきました。そのなかで印象的な方がいらっしゃいます。彼女は発達障害を持っています。コミュニケーションが少し苦手で、言葉を直接的に捉えてしまったり、相手の感情を汲み取るのが出来なかったり、人との距離のはかり方が苦手です。


彼女はもともと一般企業で働いていました。毎月の収入は約15万円。ぼくと一緒に外出し、遊んだりご飯を食べたり飲みに行ったりのときは、給料から支払っていました。家族が誕生日のとき、何を送りたいのかを自分で選び、自分のお金で購入していました。


ある日、彼女は会社の先輩と意思疎通がうまくいかずパニックに陥り、職場で暴れてしまいました。その後、休職。最終的には、退職にいたりました。


一般企業を退職した後は、障害の方が働く作業所に入りました。1日数時間のおしごと。いままでの半分くらい。でも、給料はとても減りました。毎月1万円。一般企業で働いていたときの15分の1。ぼくと一緒に外出するときは、家族からお小遣いをもらい、その範囲内で外出を楽しんでいました。明らかに以前より楽しくなさそうな表情を浮かべていましたし、行動に制限が掛かっていました。家族が誕生日のとき、何も送ることはできなくなりました。


そのような日々が幾度となく重なっていったある日、彼女が唐突に嘆きを吐露しました。

「以前のように働き、給料をいただきたい。その給料でお父さんにウナギをおごってやりたい」と。僕はとても胸を打たれました。と同時に何とも言えない悔しさを覚えました。


障害があるだけで、生活を制限されてしまう。

障害があるだけで、給料を大幅に得られなくなってしまう。

障害があるだけで、社会から疎外されているように感じてしまう。


彼女から「仕事」をなくしただけで、彼女の生活は一気に彼女らしくなくなりました。当たり前の生活が成り立たなくなりました。


だから、障害がある人に「仕事」をつくっていけたら。障害がある人に「働く喜び」を感じていただけたら。障害がある人に「役割」を寄与できたら。障害がある人が「当たり前の生活」を過ごすようになっていけたら。


チャリティーショップをつくることでそれらの理想を実現しようとしています。そして、そこを出発点とし、園田のどこかしらに理想を散りばめていく。そして、関西全域に。西日本に。日本全国に。世界全体にぼくが考える理想があふれていくことがぼくの願いです。そして、彼女のように悔しい思いをする人を1人でも減らしていきたいです。