ドナーリンク・ジャパンの石塚幸子です。この写真は2008年に開かれた乳幼児精神保健学会にAIDで生まれた当事者のグループとしてブースを出していたときの写真です。このときもアメリカのAIDで生まれた当事者、ビル・コードレーさんが日本にいらっしゃっていました。
ビルさんは37歳で自分がAIDで生まれたことを知りました。その後ルーツ探しを始め、ユタ大学医学部の卒業名簿をたよりに一人ずつあたっていき、写真に写っている当時はまだ提供者は見つかっていない状況でした。
しかしその後、DNA検査を行い遺伝的なつながりを調べるサイトに自分の情報を登録したことで提供者が判明、それは2012年のことだったそうです。
彼には少なくとも数十人の異母きょうだいがいて、彼の提供者は母親の主治医だったのです。
この写真を載せるにあたって許可を取るためビルさんにも連絡をしたのですが、その際におっしゃっていたことは、もう隠し通せる時代ではなくなっているということでした。
ビルさんと同様に遺伝情報を調べることで、海外では多くのAIDで生まれた当事者が自身の提供者や異母きょうだい、提供者の子どもたちとつながることができるようになってきています。日本ではまだDNA検査は広く普及していないかもしれません、しかし同じような状況は遠くない未来にくるのではないでしょうか。
実際に提供者の見つかった人はそれをどう感じているのか、提供とどんな関係を築いているのか、提供者は今どういう気持ちなのか、などなど日本ではまだわからない、しかしこれから日本でも起こるであろういろいろな先行事例を、ドナーリンク・ジャパンでは翻訳し、日本国内にももっと紹介したいと思っています。ぜひご支援よろしくお願いいたします。