Check our Terms and Privacy Policy.

増田正昭個展 被爆者の肖像画——語らなかった両親を描く 2月13日~18

これまでに対話を重ねてきた被爆者や、ともに活動を続ける被爆二世の肖像画も多数展示します。また、異国の地で原爆の犠牲となったサイド・オマールさんら南方特別留学生についても、資料を読み込んで在りし日の姿を描きました。「被爆者の肖像画」と対面して平和への願いを感じるとともに、絵画による体験伝承の試み

現在の支援総額

28,000

4%

目標金額は600,000円

支援者数

9

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/01/05に募集を開始し、 9人の支援により 28,000円の資金を集め、 2024/02/18に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

手数料0円から実施可能。 企画からリターン配送まで、すべてお任せのプランもあります!

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

増田正昭個展 被爆者の肖像画——語らなかった両親を描く 2月13日~18

現在の支援総額

28,000

4%達成

終了

目標金額600,000

支援者数9

このプロジェクトは、2024/01/05に募集を開始し、 9人の支援により 28,000円の資金を集め、 2024/02/18に募集を終了しました

これまでに対話を重ねてきた被爆者や、ともに活動を続ける被爆二世の肖像画も多数展示します。また、異国の地で原爆の犠牲となったサイド・オマールさんら南方特別留学生についても、資料を読み込んで在りし日の姿を描きました。「被爆者の肖像画」と対面して平和への願いを感じるとともに、絵画による体験伝承の試み

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

thumbnail

2月の個展に向け

36番目の被爆者の肖像画

栗原さん、布キャンバスに4回目のぬりをおこないました

なかなか進まないが、少しずつ 粘り強く

栗原明子さん(97歳)   広島在住  

当時19歳。 女学生 (広島女学院専門部 2年保健科) だった栗原さんは、勤労奉仕中の東洋工業

(安芸郡府中町 / 爆心地から4.9km) で被爆。 8月7日、 父を探す中で再会した上級生に誘われ、
広島文理科大学の校庭で野宿生活を始める。そこで6名の南方特別留学生と出会い、 7日間を共に
過ごす。 8日からは再会した母・ 兼子さんも加わり、 兼子さんを 「お母さん」と慕い、紳士的な振舞いの
留学生らに、 留学生と口をきいてはいけないと言っていた兼子さんもすっかり心を許すようになった。
一週間の共同生活だったが、 何年も共に過ごしたようで8月14日の別れはとても辛かったと語る。
8月7日の夜に広島文理科大学の屋上で留学生らと見つめた星空は、今も栗原さんの記憶にしっかりと残っている


Towards a solo exhibition in February

Portrait of the 36th hibakusha

Mr Kurihara paints for the fourth time on cloth canvas

It's not easy to make progress, but little by little, she perseveres.

Akiko Kurihara (97), Hiroshima resident

19 years old at the time. She was a female student (2nd year health course at Hiroshima Jogakuin College) when she was exposed to the atomic bombing at Toyo Kogyo (Fuchu-cho, Aki-gun, 4.9km from the hypocentre) while serving her employer.

(Fuchu-cho, Aki-gun / 4.9 km from the hypocentre). On 7 August, she was invited by a senior student whom she met again while searching for her father,
On 7 August, he was invited by a senior student, whom he met while searching for his father, to live in the open on the grounds of the Hiroshima University of Letters, Arts and Sciences. There he meets six other students from the South and spends seven days with them.
From the 8th, he met and spent seven days with them. From the 8th, his mother, Kaneko, whom he had met again, joined him.
Kaneko-san, who had told the international students not to speak to them, came to completely open up to them.
Although they lived together for a week, they seemed to have spent many years together, and Kaneko said that it was very painful to say goodbye on 14 August.
The starry sky she gazed at with the international students on the roof of the Hiroshima University of Letters, Arts and Sciences on the night of 7 August remains firmly in Kurihara's memory to this da


シェアしてプロジェクトをもっと応援!