2024/03/30 11:18
クラファン期間は 45日
込めた思いは 5年分

このプロジェクトに至るまでの原点を遡って考えてみると、
多分きっかけは2019年に近しい人を3人亡くしたところに辿り着く。

1月に、師匠。
生前、師匠から『たくさん仕事をしなさい』という言葉をいただいた。
それは、私が師匠に最後にいただいた言葉でもある。
師匠のお葬式、集合時間よりも大分早く葬儀場に着いた私は、
誰もいない広い会場の中、ひとり師匠の遺影の前に座った。
信じられなかった。
受け止めきれなかった。
そして何より【最後まで、たくさん仕事をしている姿を見せることができなかった自分】への悔しさ、
情けなさで押しつぶされそうだった。
「今のままの自分でいちゃいけない。変わりたい、変わらないと、変わるんだ」
ずっとずっと心の中で唱えてた。

4月に、祖父。
師匠のことがあったから余計、後悔が少ないようにと出来るだけ病院へ通った。
少し認知症の入った祖父だったけど、最後は『お前、もう自分のことしていいよ』と私に言った。
だから、家族葬だけ出て、焼き場には行かず、舞台のお稽古に行った。
稽古場の外で、桜を見ながら祖父の好きだったMAX缶コーヒーを飲みひとり献杯した。

9月に、親友。
突然、亡くなった。
命が失われる瞬間を知った。
俳優の同期で、同志で、親友で、家族のような存在だった。
映画界からも、誰からも、愛され、惜しまれる人だった。
彼のことを感じていたくて、何かせずにはいられなくて、彼の映画の特集上映会副実行委員長をやった。
あの場にいたみんなが彼を愛していた。
『君を映画界に残していくよ』と『君の分まで続けるよ』と誓った。

それからは、寂しさに押しつぶされないように毎日を迎えることで、精一杯だった。

変わるって
自分のことに集中するって
続けるって
誓ったのに
身体のどこを掘り起こしても
エネルギーが湧いてこなかった。
SNSも辞めて、
人との関わりも最小限になった。

あれからもう5年が経って、
気がついたら2024年。

私を癒し元気にしてくれたのは、
一緒に生きてきた人たち
未来しかない子どもたちの成長と笑顔(保育士の仕事)
そして、
脚本を書くこと
芝居、映画、創作表現、作品たち
と共に
ひとつひとつ積み重なっていく
時間
だった。

そして、私は、千葉にきた。
ほぼ知り合いゼロの土地。
だけど、何だかすごくしっくりきた。

ほぼ毎日海辺を散歩して、
少しずつ少しずつ千葉と仲良くなった。

千葉は、師匠が生まれ育ったところ。
今も眠る土地。
歩くたびに、不思議とパワーが湧いてきた。

私、ここで、今度こそ変わりたい。
たくさん仕事して
好きなことを好きなまま続けて
人と一緒に『幸せだね』と実感して
人の居場所になって
ちゃんと人と共に生きたい。

だから、
【映画でつながる。千葉と、人と。】
クラファン終了の3.31(日)はゴールじゃなくて、
必ず新たなスタートにする、そう決めてる。

ここから、はじまる。

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