「添い寝サービスで感じて欲しいこと」にこんな風に書きました。
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雨があるから晴れが嬉しいんだと思います。
だったら僕は雨も好きでいたい。
さみしさがあるから幸せがあるんだと思います。
だったら僕はさみしさも好きでいたい。
そしたらなんだかいろんなものが好きになりました。
毎日がちょっとだけ楽しくなりました。
さみしさを感じている人が自分のそんな部分も受け入れて、
毎日がちょっとだけ楽しくなったらいいなって思います。
添い寝サービスはそのために最高のサービスだと考えています。
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僕は本当に最高のサービスだと考えてます。
大切にしたいのは、
さみしさを感じている人が、
さみしさと真っすぐに向き合い、
そんな自分を受け入れて好きになることです。
どんな時に一番さみしさを感じるんだろう。
僕は誰かといたいのにいられない時に、ぽっかりと何かが欠けたようなさみしさを感じます。
だけど、女性が男性と一緒に寝たら多くの場合それ以上を求められる。
だけど体の関係までは持ちたくない。
多様なセクシュアリティーを持つ人は、理解して隣にいてくれる人が少ない場合もあると思います。
身体的多様性のある人は、人とスキンシップを取ることが少ない人もいるかもしれない。
自分の信じる道に一人で頑張っている人は、隣ですべてを受け入れて信じてくれる人が必要だと思います。
男性だってただ隣にいて欲しいときだってあります。
だから、そんな時に寄り添いたい。
さみしさは人との関係の中に生まれるものです。
さみしさと向き合えるのも人だと思っています。
前を向けたら毎日が楽しくなると思うんです。
さみしいの連鎖を起こして暗くなってしまって欲しくない。
僕らはお互いに影響を受け合います。
だから、キャストはさみしさを受け止めて前を向いている人たちを集めます。
前を向いている人と一緒にいることで前を向いて欲しいなって思います。
さみしさを感じている人の中には、
きっと自分を受け入れられない人が多いのかな思います。
自分の容姿が嫌だ、
声が嫌だ、性格が嫌だ、根暗が嫌だ、
コミュ障が嫌だ、何もできないところが嫌だ。
だから僕らがすべてを受け入れてあげたい。
自分で受け入れられないなら僕らが受け入れてあげたいなって。
自分を受け入れてもらえることってすごく力になる。
がんばろうって思える。
そのためには、軽いスキンシップも必要だと思うんです。
スキンシップは自分を受け入れてくれているように感じさせてくれます。
「スキンシップまで」ということは自分の体ではなく、
自分という人を受けれてくれているように感じさせてくれる。
それと、ちょっとした後ろめたさも実は大切なんじゃないかと思います。
後ろめたさって これでいいのかな って自問をしてくれる。
あれ、僕/私ってさみしいのかな…
さみしいからってスキマを埋めるサービスを使っていいのかな…
じゃあこのさみしさをどうしていったらいいのかな…
そんなことを考えるきっかけになって、
さみしさをポジティブな対話にしていきたいなって思います。
ちなみに僕は、
さみしさを感じているならそのスキマを埋めるサービスを使ったらいいと思います。
例えば、アーティストやアイドルを好きになるのだってスキマを埋めるためだと思います。
将来何かの形に残らないから一時的なものです。
だけど、僕はそれが大切だと思う。
僕もアーティストやアイドルが大好きです。
それは僕の毎日にちょっとした楽しみをくれます。
一時的なスキマ埋めって、一時的だけど毎日を輝かせてくれると思うんです。
たとえ一時的だとしても毎日を輝かせてくれるものと出会えるってすごく素敵じゃないですか?
僕はそれがあるから明日も頑張ろうって思えるんです。
明日を頑張れるから未来に繋がると思うんです。
もちろん終わらないものは特別に素敵なだなって思います。
なので、このサービスもサービスを作るというより、
居場所を作って行くような気持ちでやっていきます。
ちょっと話がズレましたが、
この添い寝サービスの後ろめたさも考えるきっかけにして、
いいスパイスに変えていきたいなって思ってます。
そんな風に、
自分のちょっと暗い部分も好きでいる人と一緒にいて、
そんな人が自分のすべてを受け入れてくれる。
軽いスキンシップもそのために大切かなって。
後ろめたさも自分やさみしさと向き合うきっかけをくれる。
そして、そんな自分を好きになる。
人のことが好きで、いろんなものが好きな、そんな素敵な人たちが集まる居場所。
それをつくれるのはこのサービスだけかなって思います。