私が「みず多摩」の代表になった訳。
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長い間、中央の市民活動に参加していた自分は、父が病気になったことで、初めてちゃんと「私はこの家で、この土地でひとりで最期を迎える可能性が極めて高い」ということを意識するようになりました。気がついてみると私立校に行っていた私は、地元に親しい友人もいないし、この先どうしていこうかと急に不安になったのです。
そんな中、ずっと誘ってもらっていた「大栗川清掃」の活動に初参加したのが、2020年の4月でした。新しい友達ができるかもしれないと、ワクワクして出掛けたのでした。
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この時の私は、マイクロプラスチックの問題もアウトラインしか知らなかったし、それよりも何よりも、胴長を付けて川に入る体験に感動したり、ごみの多さにびっくりしたりという、本当に新鮮な感想を持つレベルのひとりの参加者でした。
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中でも心に残ったのは、自分がごみを拾えば、川が実際にキレイになるというものすごく単純なことでした。「放射能」という見えないものと闘って来た自分にとって、この単純で劇的な状況は、私をこの活動に引き入れるのに十分な効果がありました。仲間の皆さんのひたむきさ、誠実な活動に心を打たれたのです。
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その後、継続して活動していくと、圧倒的なプラスチックごみの多さに気づき、その深刻さを都度目の当たりにすることになりました。このプラごみは、ただ拾うことだけでは解決しない!、何か違った視点を入れる必要があると強く思うようになると、「よみがえれ、大栗川を楽しむ会」から生まれた「みず多摩」から、活動に参加しませんか?と声をかけてもらいました。
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「みず多摩」は、「ペットボトルを減らしてマイボトルを携帯しよう!」という活動と共に、携帯したマイボトルが空になった時に、汲み足しができるよう「給水スポットを拡げよう!」という活動を展開していました。ごみ拾いから、1歩も2歩も先を行っている活動を知る中で、「マイクロプラスチック問題」をもっとちゃんと理解し、伝えられる人になりたい!と思うようになりました。学習を続けていき、何度か人前で話す機会を頂くようになると、みず多摩の代表を交代する話が出て、あれよという間に代表を引き受けることになりました。これが私が「みず多摩」の代表になった経緯です。
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その後、みず多摩のWEBページをつくったり、多摩市の環境政策課から大栗川のマイクロプラスチック検査データを提供してもらったり、資源循環推進課とタッグを組んで給水スポット拡大を目指したり、スポーツ振興課と「人工芝」の問題を共有したり、「マイクロプラスチック・ストーリー」の映画上映をやったり、様々なことを広げていけるようになり、ついに資金が枯渇し、大きめの金額が必要な段階になりました。
「みず多摩」は、今後も「マイクロプラスチック問題」をもっとわかりやすく、ひとりひとりの問題としてお伝えし、地域の課題としてコミュニティをつくりながら、解決の糸口を探して活動していきたいと思っています。
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