
私は、父が55歳、母が31歳のときに生まれました。

母にとっては、7年前の流産を乗り越えてようやく授かった命。私が生まれたとき、家族の喜びは計り知れなかったことでしょう。そんな私を包み込むのは、両親と祖母の温かな愛でした。
両親は共働きで忙しく、私は祖母に育てられた「おばあちゃん子」でした。祖母はいつも優しく、私の小さな悩みも親身になって聞いてくれました。そんな日々の中で、家族の絆が私の心に深く刻まれていったのです。
私が中学生になると、両親はお弁当屋を開きました。忙しくも
温かな時間が流れる中、高校2年のとき、父が脳梗塞で倒れました。突然の出来事に家族は動揺しましたが、母は一人で店を切り盛りしながら父の介護を続けました。その姿は、私にとって「強さ」そのものでした。

やがて時が流れ、私が25歳のときに父は他界。そして30歳になったとき、店舗のオーナーからビル建て替えの話があり、母から「一緒にお弁当屋をやってもらえないか」と声をかけられました。母と二人三脚で店を続けることは、父の思いを受け継ぐことでもありました。

しかし、愛する人との別れは突然やってきます。38歳のとき、病気知らずだった93歳の祖母が階段から転落し、足を骨折。その手術からわずか二週間後、祖母は静かに旅立ちました。
そして45歳のとき、母が転倒し大腿骨を骨折。手術は成功したものの、そのわずか一週間後、母は帰らぬ人となりました。これまで私を支えてくれた家族が、転倒というたった一つの出来事で命を落とす――。私は、悲しみの中で一つの決意をしました。
「もう、こんな別れを繰り返したくない」
私はお弁当屋を閉め、柔道整復師の国家資格を取得するために専門学校へ入学。整形外科で働きながら身体について学びました。同時に、「転倒」について深く知りたいと思い、転倒予防学会に入り、転倒予防指導士となりました。

そして、柏市で「柏健康ソーラン倶楽部」を立ち上げました。そのきっかけの一つが、41歳のときに出会った「よさこい」でした。
当時の私は、仕事に追われ、気づけば心が沈みがちになり、少し鬱のような状態でした。そんなとき、ふと目にした「踊り子募集」のポスターが私を変えてくれました。「自分を変えたい」そう思い、募集年齢を過ぎていたにもかかわらず思い切って応募しました。すると、快く迎え入れてくださった方がいたのです。その恩人との出会いがなければ、柏健康ソーラン倶楽部の活動は行っていなかったかもしれません。

よさこいを通じて心が解放され、体を動かす楽しさを知りました。そして、よさこいソーランを踊ることが転倒予防にもつながることに気づいたのです。
今、私が歩んでいる道は、家族が命をかけて教えてくれたものです。大切な人を失う悲しみを知っているからこそ、その痛みを誰にも味わってほしくない。
「転倒を防ぐことは、命を守ること」
この思いを胸に、一人でも多くの人が健康で笑顔あふれる人生を送れるよう、私はこれからも活動を続けていきます。





