本日も引き続き、『地球を翔けた異風者 古賀武夫伝』より、いのちのまつりについて書かれた部分を抜粋してご紹介いたします。
第十八章 いのちのまつり
商業出版へ
ドラゴンボールなどで知られる脚本家の小山高生は、一壽の絵本を読んで、サンマーク出版の編集長・鈴木七沖に声をかけた。「いい本があるんだけど、どうだい」。
同じ日、伊豆哲也(クエスト経営研究所代表)も、同社社長の植木宣隆に絵本を持ち込んでいた。伊豆は、武夫が人生の師と仰いだ末次一郎の甥にあたり、武夫から空手を習った延長で「夢の学校をつくる会」の理事に就いていた。また、独立する前まで、サンマーク出版の宣伝部に十二年間籍を置いていた。社長の植木はそのときの同僚で、昭和五十六年に八十万部を超えるベストセラーとなった『母原病』(久徳重盛著)を編むなど、辣腕編集者として活躍していた。
伊豆から絵本を受け取った植木社長は、パラパラと本を繰ってすぐに編集長の鈴木を呼びつけた。
「おい、なおき、こういう本が来てるぞ」
「うえーっ、たった今見てきたところですよ」
年間に何百本もの持ち込みがあるなかで、目利きの編集者を動かす企画はそう多くない。ところが一壽の絵本には、二人とも「これはいける!」とピピッときたという。
『地球を翔けた異風者 古賀武夫伝』p279-280
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