原発事故のことをテーマとしたミュージカルを上演するにあたり、私たちは原発について学び続けています。
先日、3月10日「プレ企画」の第2回では、原発事故によって故郷(浪江町津島)に帰ることがかなわない住民達による裁判「ふるさとを返せ津島原発訴訟」の原告団のお一人、石井ひろみさんからお話を伺いました。
=====石井さんのお話より(一部を要約)
私の家は築150年の古民家、「次の世代に引き継ぐべきものを自分の手で断ち切って良いのか」という思いからいまだ解体することができないでいます。
故郷、津島が地図から消されてしまうのではと、住民達はプロのカメラマンの手を借りて津島のすべての建物を撮影しDVDに収めました(※)。
13年経った今も事故前のようには戻っていません。「ふるさとを返せ」裁判は、ふるさとの環境をもとに戻せなければ、原発を再稼働するなという闘いなのです。
※このDVDを本プロジェクトのリターンとさせて頂いてます。
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また2014年~15年に福井地裁で、裁判長として原発を止める判決をおこなった元裁判官の樋口英明さん(※)から、なぜこれほどの事故を起こしながら原発が止まらないのか、なぜ止めなければならないのか、お話を伺いました。
=====樋口さんのお話より(一部を要約)
今年の元旦に起きた能登半島地震。志賀原発のあたりは震度5強と比較的大きな震度ではなかったけれど結構危なかったんです。外部電源が一部絶たれましたから。止まっていたことが幸いしました。また被害の大きかった珠洲市にはかつて今回の震源のすぐそばに原発計画があったのですが作られなかった。なぜ原発が作られなかったのでしょうか。28年間にわたる住民の反対運動のおかげで白紙撤回されたからです。そのおかげで私達は今、こうして生活していられるとも言えます。珠洲市のように、原発反対運動は各地で成功していて原発立地が撤回された地域は全国で50を超えています。
2011年、福島原発では地震により停電しただけで大事故になりました。あまりの大事故に日本の原発は終わると思いましたが終わっていないです。なぜでしょうか。
(先ほど申し上げたように)脱原発の運動の弱さではないです。いちばんの障害は私たちの心の中にある先入観「原発問題は難しいというもの」だと思います。でも、難しくない。覚えることはたった2つです。①人が管理(止める、冷やす、閉じ込める)していないと暴走するということ、②暴走した時の被害はとてつもなく大きいということ。この2つを理解していれば、本質を理解していれば正しく判断できるんです。
私が原発を止める判決をした理由は、「(原発の)過酷事故は極めて甚大な被害をもたらす」「それゆえに原発には高度な安全性(事故発生確率が低いこと)が求められる」「地震大国日本では原発に高度な耐震性が求められる」。しかし「わが国の原発の耐震性は極めて低い」。だから「原発の運転は許されない」。
当たり前のことを言っていると思いませんか。
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※樋口英明さん略歴(当日配布資料より)
京都大学法学部卒業後、1983年に裁判官となる。2014年5月に福井地方裁判所の裁判長として、大飯原発3、4号機の運転差し止め判決を、2015年4月には高浜原発3、4号機の運転差し止めの仮処分決定を出した。2017年に定年退官以降、原発の問題を広く知って欲しいと講演、執筆活動に精力的に取り組んでいる。著書に「私が原発を止めた理由」など。